第38話

「…………」


 ひゅっと息が漏れた。ほんの少し蓋をずらした瞬間にわかってしまった。

 ……そこにノゾミの姿はなかった。

 蓋を投げ捨てるように開けるが、やはりいない。

 代わりにあったのはどす黒い色。べたべたと手の形をしたそれは……血だった。


 ――失敗。

 いや違う。それを認めてはいけない。ノゾミはいるはずだ。この時代に戻ってきているはずだ。なのになんでここにいない?


「場所が間違ってる。ノゾミは別のところに……」


「これは現実よ」


 ナナが言う。空っぽの空間は冷たい現実を表現していた。周囲がぐらぐらと揺れた。自分の足が震えていることにやっと気づいた。なんでだと思った。なんだこの残酷な結末は……。


「何かがある」


 石のように動けない二人をよそに、ナナが棺の底にある何かを手に取った。


「手紙。それぞれへのメモね」


 ナナから渡されたそれは『椎名さんへ』と書かれた三角に折りたたまれた小さなメモだった。ホノカも同じく小さな紙片だが、ナナ宛てのは便せんに入っている。

 まず、ホノカが紙片を広げた。


もしものためにリンゴは掘り出しておきました。


「意味がわからない」


 それだけしか書いておらず、ホノカはただ首を振った。リンゴ? もしものためとはなんなのだ? それよりノゾミは……。


「じゃあ、私への手紙を読む」


 自分宛ての手紙を確認するナナの顔から、すっと血の気が引いた。


「……色々と書いてあるけど、まずわかったことがある」


 顔を上げたナナは、椎名を向いた。


「あなたに幼馴染はいない」


 発せられたその言葉をまったく理解できなかった。


「連れ去られたわけではない。初めからあなたに幼馴染はいなかった。というより彼女自体の存在がなかった」



 一番冷静だろうナナへの手紙に説明を残します。

 あいまいな過去の座標へのトリップ。

 体という物質の構成は時間がかかり、さらに記憶にもダメージがありました。

 それでも一応ながら成功したのです。

 それは驚きでした。自分でも成功することはないと思っていましたから。それを覆したのはママの恋愛感情でしょう。そんなフラグを目印にどうにか跳べたのです。

 まず一年。

 それが自分の記憶を取り戻すのにかかった時間です。

 それまでは災害用の備蓄倉庫をあさり食いつないだりと、告白せねばならない悪事は多くありますが割愛します。

 記憶を取り戻した時にはママは遠くの街へ引っ越していました。確かこの街に戻ってくるのは高校生になってからでしたでしたね、残念です。

 なので私は、当初の予定通り椎名さんの幼馴染を探しました。

 この時代は機構の手の及んでない時期。問題の根源を見つければすべては解決すると。

 ……でもいませんでした。

 あの家には年老いた夫妻が住んでいただけ。

 そんなはずはないと、椎名さんの思い出を頼りに動きました。

 でもいない。

 夏の祭りにもプールにも、秋のキャンプイベントにも彼女はいない。椎名さんが無料のサンマを食べにいったことも公園で雪だるまを作ったことも確かです。でも、そこに幼馴染はいなかったのです。

 時間と魔法を紐づけできる能力を持った少女は私だけ、いえ私たちだけのはずです。それなのに何故機構側が利用しているのか。

 でも魔力が尽きそうになった私には、それを調べる時間がない……。

 つまり私が跳んでわかったことはこれだけです。

 幼馴染は存在しない。



 それが手紙の内容だった。


 まず受け入れねばならないのは、ノゾミが戻ってこない事実だった。

 死んだわけではない。ただ、ノゾミが生まれる未来がなくなった。初めからなかったのだ。


 自分宛ての紙片を開くこともできず、あのキーホルダーと一緒に握りしめる。

 すぐにノゾミに返すという約束は守れなかった……。

 そしてノゾミは幼馴染が存在しないとメッセージを残した。

 そんなことがあり得るのか。過去の記憶があるというのに存在がないなどと……。

 おかしい、絶対におかしい。そして胸が苦しく痛い。

 ……なんでこんなに胸が苦しいのか。

 ぽっかりと胸に穴が空いてしまった。いや、胸に穴をねじ込まれた。

 息苦しいまま、椎名はただ頭を抱えた。叫びたかったが声は、出ない。


※次回更新は1/7です


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