第32話

「フラグが立つのも運命ですから責任を感じる必要はありません。花が咲くのに罪がないように、愛が生まれるのにも罪はないのです」


 椎名の部屋でノゾミが横になっている。

 あれから一ノ瀬静を公園に運び、そこで彼女は目を覚ました。当然ながら自分が静であるとばれてないと思っており、椎名は凪として対応した。

 その後、ダメージの残るノゾミを部屋に運び、ホノカは念のため花翠と咲希の様子を見に行った。ナナとレナの行方はわからない。


「でも、子供同士で戦うなんて」


 椎名の行動のせいで、さらに戦いが混沌とした。


「あの子たちが正しいのです。今は私とホノカは休戦中ですが、あの双子に勝ったら、次はホノカと戦うことになります」


「揺らぎの原因は探さなくていいのか」


「それは些細なこと。このレースに勝ち残るより重要なものはありません」


「負けたら死ぬから?」


「死ぬのではありません。なかったことになるだけ……」


 椎名は寝かせたノゾミの体を拭いていた。咲希の子供なのにとても華奢な体つきだ。裂傷があるわけではないが、攻撃を受けた部分が濁って見える。魔力がよどんでいる。


「もう大丈夫です」


「まだ駄目だ」


 体を起こしたかけたノゾミがよろけたので、椎名は彼女を抱きとめる。

 ノゾミは一瞬だけ抗ったが、おとなしく身を委ねた。


「なんだか、落ち着きますね」


「いや、未来では抱っこぐらいされなかったのか?」


「私が物心つくころには椎名さんはいませんでしたから」


 ノゾミは平然と驚きの事実を言った。


「ママはシングルマザーとして私を苦労して育ててくれました」


 頭を打たれた気がした。自分はそんな無責任なことをしたのか。いやするのか……。


「おそらくホノカたちの並行世界でもそうでしょう。あなたは逃げたのです。私たちを捨てて子供ができるプレッシャーから逃避した……」


 あのよそよそしい態度の原因はそれだったのか。


「と、思ってましたが、今では理由があるのだろうと察します。椎名さんの血が世界の運命を変えるのですから、それらの事情から姿をくらましたのかもと考えています」


「咲希は、怒ってなかったか?」


 椎名は馬鹿なことを聞いてしまう。


「ママは椎名さんのことを話すときは楽しそうでした。夏祭りで浴衣姿を茶化されつつも褒めてもらってうれしかったとか、バレンタインでは偶然ながらもチョコを食べてもらえたとか。体育祭のリレーで頑張ってくれたとか、夏休みの宿題を一緒にやったとか……」


「意外にいい思い出に昇華されてるんだな……」


「好きだという気持ちに気づいたのは、階段から落ちるのを助けてくれたとき」


 ノゾミが跳んできたあの場面だ。もしも助けなかったらどうなっていたか。別のシーンでフラグが発生していたのだろうか。


「でも、きっかけは最初に助けられた時だったと」


「最初?」


「子供のころ、リンゴの樹に登って降りれなくなったんです。雨も降ってきてどうにもならなくなったとき、男の子が助けてくれたって」


 椎名の記憶がそのシーンを引き出す。リンゴの樹の上で泣く女の子……。


「時間を跳ぶとき、少し座標を迷いました。その時にも小さなフラグが立ってたんでしょうね。そして高校生になって再会したけど、覚えててくれなかったと怒ってました」


「咲希を助けたかわりに、リンゴを貰ったんだ」


「それは初耳です」


「そのリンゴはおいしくなかったからさ、少しかじってから帰りに公園の隅に埋めたんだ」


「ホノカが跳んだ場所ですね」


「うん。しばらくしたらリンゴの芽が生えてて、今じゃカナリアの巣だ」


 ノゾミがくすっと笑う。そのくったくのない笑顔が咲希と重なる。


「もう少し未来のことを教えてほしい」


 椎名が言うと、ノゾミはうなずき机のボールペンを手に取った。


「整理するとこうです」


 0


 と、ノゾミは左手で書いた。


「これが今です。そして十年後に私が生まれます」


 10 子供が生まれる。


「準Fポイントと呼ばれ、恐らくこの未来に収束します。そしてこの0ポイントから10のポイントまで三つに枝分かれしている状態です」


 さらにノゾミは15と書く。


 15 少女たちに魔力が生じるという事件が起こる。


「これはFポイントであり、決して避けられない運命。ある年齢層の少女に発症したそれは魔法と名付けられます。魔法はウイルスのように世界に一瞬で拡散し、荒廃させました」


 未知なる存在に人類は対処できなかった。そもそもある年齢層の少女に発症する、などと理解できるわけがない。わかったとしても世界の少女たちを処分できようか。


「でも、私は違いました。コントロールでき、そしてそんな私をサポートするグループと一緒に戦いが始まりました。それが今から十七年後」


 つまりノゾミは七歳から戦い始めた。


「それから三年後には魔法が解明されはじめ、少女たちの暴走も減少します。人類は崩壊に向かいつつも科学の力で魔法の解明に挑んだからです。それはゼロから始める苦難の道のり。解明する集団も一枚岩ではなく、魔法を悪しきことに利用する集団も出現しました。私たちは機構と呼んでいるのですが、それらは魔法を利用しての混沌を望みました。そして……」


 23 世界は秩序を取り戻す。


「未来はこのFポイントに誘引アトラクトされることになります」


「魔法のライトサイドが勝ったんだな」


「そうです。魔法を完全に解明できたとは言えませんが、発症する少女もの魔力も微弱になっていった。つまり世界の魔力自体が弱体化していったのです。そして私の戦いも終わり、自らの魔力と向き合ううちに自分の異変に気付いた……」


「ノゾミのようにコントロールできる女の子が、現代に跳んでくるとかあるのか?」


「ありません」ノゾミは首を振る。


「時空を跳ぶ、という魔法は私しか使えません。つまりあなたの血を継いだ少女だけなのです。それもできたのは偶然でした。ずっと魔法という宇宙を見つめているうちに、光る座標を見つけたというもの」


 ノゾミはそんなフラグをたどってここに来たのだ。ホノカもナナもレナもそうだ。

 ……なんで並行世界ができてしまったのだろうか。

 何もできないもどかしさを感じてノゾミをただ抱きしめた。


「ママを悲しませたあなたのことは嫌いでした。でも、とても温かいですね……」


 ノゾミが椎名の胸に左手を添え、そっと離れた。同時に扉がばたんと開いた。


「体調はどう?」


 ホノカが袋を下げて部屋に入ってくる。お使いも頼んでいたのだ。


「適当に買ってきたから食べて」


 ホノカはちゃぶ台に袋を置いてから、窓の柵に寄りかかるように座った。


「それより問題はあの双子ね。魔力はそんなに強くない。でも双子なのが厄介。魔力が似ていてまぎらわしい。お互いの色を変えることもできるから気を付けないと」


 ノゾミから聞いたのだが、魔力を可視化してコントロールするのに色付けをしているようだ。基本的にイメージしやすい色がつくという。ノゾミは青でホノカは赤だ。


「食べたら、まずはあの二人を倒すわ」


「お断りします。協定も解消させていただきます」


 顔をしかめたホノカが何かに気づいた。


「ノゾミ、あなた……」


「ええ、腕がもう動かず、武器の構築ができません」


 ノゾミが震える右手を動かそうとすると、濁った色の魔力が揺らいだ。


「もともとこの体はこの時代で借りたもの。回復するには時間がかかります。つまり私はレースから脱落します」


 ごくりとホノカが唾を飲み込む音が聞こえた。


「……まあ、別に急いで結論出す必要はない、から」


「そうだ、まずは食べよう。腹が減ってると悲観的になるからさ」


 椎名はノゾミの体を起こすと、ホノカが買ってきたカットリンゴを食べさせてやる。


「ちゃんと手入れしないから髪がぼさぼさ。後ろに縛っちゃばいいのに」


 ホノカはノゾミの髪をブラシでとかしている。はたから見れば仲のいい姉妹だ。

 同時に思う。ナナとレナは今どうしているのか。ホノカたちと敵対しているとはいえ自分の子供だ。知らない時代に来て飯は食べているのか、寝床はどこなのか。

 未来への道が一つだけならば、自分は誰を助ければいいのか……。


「このレースは椎名さんには関係のないものですよ。これは0から10への三つの道をどれにするか、というだけのもの」


 ノゾミの冷たい視線があった。


「そしてあなたと私たちの関わりはただ、血だけです。やるべきことは傍観すること。たとえ誰がレースに勝とうともそれを受け入れ、起こったことを忘れること。そうするだけで世界は秩序を取り戻す川の流れに乗ることができますから」


 ……そして翌日、ノゾミは部屋から姿を消した。


『押し入れの上はホノカに譲ります』


 そんな書置きだけが残されていた。

 だが押し入れの上段は使われることはなかった。


 同じ日にホノカも姿を消した。それはレース続行の決意表明だった。


※次回更新は12/6です

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