第33話

 それでも日常は続き、数日が経過した。何もない退屈な学校生活だと思っていた。だが、それがどれだけ幸せなことだったのか気づいていなかった。


「なあ椎名、放課後の映研のことだけど」


 放課後、人気のない中庭で一ノ瀬凪に扮する静に遭遇した。


「撮影終わったことだし、俺、しばらく休みます」


 目を逸らそうとしたが、彼女を見てしまう。輝いている気がした。どうしても女性と意識してしまう。あのときフラグを立ててしまい双子ができたからなのか。


「なんだよお、せっかく初めての共同作業を終えたのに」


 いつものように体を押し付けてくる。そんな彼女を振り払うべきだと思った。そうすれば静との関係も崩れ、双子の魔力も落ちていくはずだ。そして……。


 自分の子供の敗北を願うのか? そう考えると胸が痛い。それは生まれるべき子供を選ぶのではなく、すでに生まれた子供を切り捨てる行為なのだ。


 椎名は思った。誰かを救うならば一人よりも二人なのでは?


 一ノ瀬静と付き合えば二人を救える。


 ……馬鹿な。何を考えている? 数など関係ないじゃないか。


「先輩、とにかく休ませてください」


「そっか。じゃあ気が変わったら部室に来て。編集作業やってるから」


 そっけない態度の椎名を残し、彼女が立ち去っていく。

 しばらくすると気配を感じた。振り向くとそこには少女が立っていた。


「……レナ」


「ナナよ。姉のほう」


 黄色い魔力をまとう少女。頭上にも黄色い魔力の輪が回転している。


「ちょうどホノカに逃げられたところ」


 戦いは続いている。自分の知らないところでレースが佳境を迎えている。


「それより、ママを雑に扱わないで」


 彼女の表情には怒りと悲しみが混ざっていた。


「ママが双子で入れ替わって活動していたのは私も知らなった。でも、同好会の話はよくしてくれた。そして馬鹿なことに付き合ってくれた同級生のことも。ずっと近くにいたのに恋心を気づいてくれなかったって。……事実を知ってみればまあ当然よね」


 確かにずっと凪とは長い付き合いだ。面倒な先輩だったが、それでもこの学校生活で一番言葉をを交わしたことは事実だ。


「兄を利用していたことに後ろめたさを感じていたのかも。だから、私たちの名前には凪が使われてる。奈凪と玲凪ってね。この時代に来てやっと名前の意味がわかったかも」


 目の前の少女は本当に椎名の子供なのだ。


「本当のママは静として学校に残って映像研究会も続けるのね。凪さんとして作った映像は捨てて、あなたと新しいものを撮るのよ。その時間の中であなたたちは恋人となる」


 ……そうか。だからナナとレナの未来にはあの映像が残っていないのだ。


「あなたは深入りしないほうがいい」


「気を使ってくれてるのか?」


「いいえこれは警告よ」


ナナは首を振る。


「誰が生まれる未来になろうとも、あなたは私たちと触れ合うことはないの。ただ血が混じっているだけの関係。育てる責任も放棄して姿を消す、そんなあなたが未来に生まれる子供のことを憂慮する必要はない」


 胸に痛みを感じた。自分の娘はなんて残酷なことを言うのだ。


「そんなあなたに私は取り入ろうとは思わない。でも、ママを雑に扱うことはやめて。ホノカを応援するために彼女の母と仲良くなるのは構わない。それでも私たちは勝つから」


「俺は本当に逃げたのか?」


「顔だって知らないし、こうして会っても何も感じない。私たちが欲しい未来はママとの未来であって、あなたは関係ないの」


 未来の負債がこの今にのしかかっている。子供と一緒に負債が跳んできた。


「もうすぐ私たちが勝つ。それから過去が揺らいだ原因を探すことになる。あなたは何もしないことが唯一やれることであって責任を取る方法」


「なあ、飯はどうしている? 寝る場所は?」


「それを聞いてどうするの?」


「盗むとかはやめてくれ。俺から受け取りたくないとは思うけど、せめてこれを使ってくれ」


 椎名は財布を差し出したが、彼女は受け取ろうとしない。


「じゃあ、私がもらっておくね」


 ふわっと緑のイメージが出現した。


「ナナ」


「レナだよ。早く覚えて」


 ぴょこんと片足を上げて椎名に抱きついてくる。そんな少女を抱きしめながら考える。自分が間に入って休戦の契約ができないものか……。


「駄目だよ」


 彼女が上目遣いで椎名を見る。


「私たちの未来は消さない」


 それは戦い続けてきた魔法少女の強い表情だった。


「あと、これくらいで養育責任を果たしたって思っちゃ駄目だよ。またね」


 彼女は椎名の財布を受け取ると、すっと姿を消した。同時に黄色と緑の魔力も消えた。

 残ったのはフローラルな香りだけだった。

 椎名はその場に立ち尽くす。――自分は子供を選べる立場ではない。

 あたりが薄暗くなっても動けずにいた。体が鉛のように重く感じる。


「どうにもならないのか……」


 椎名が問いかけると、視界の端で何かが揺れた。


「……ホノカ」


「よく、気づいたわね」


 中庭の錆びた自動販売機に横に、ホノカが膝を抱えて座っている。


 ホノカはボロボロだった。頭や口から血を流し、まとう魔力も濁っている。まるでぼろ雑巾だ。頭上を回転するジャミングの魔法も弱弱しい。なんでこんなことになったんだ? 自分はこの絶望的な結末を、ただ見ることだけしかできないのか……。


「心配しなくても大丈夫。基本的に私たちはサーチ能力は低いのだから。ジャミングを使う相手と戦ったことがないからね。だから隠れるのはたやすいのよ。まあ、見つかるのは時間の問題だとしても」


「なあ、やっぱり話し合わないか。もう、これ以上……」


「してどうなるの?」


 ホノカは膝を抱えたまま言う。


「話し合ったとしてもレースはなくならない。それに勝ったとしても未来にママはいないのだから。……そう、私がもっと子供のころに死んだ。魔法の暴走に巻き込まれてね」


 椎名は息をのむ。……花翠が死ぬというのか。


「過去が揺らいだって言ったでしょ。でも、それは大したものじゃなかった。時空を跳ぶ努力をしたのは、それを解決したかったからじゃない」


 ホノカは目を閉じる。


「……ただ会いたかった」


 ホノカは花翠に会いに時空を超えてきたのだ。


「私は世界にワクチンとして利用された。大切なママが消えて、私はただ怒りを拠り所にして戦い続けた。気づいたら世界は秩序を取り戻したけど、私はすべてを失っていた。……だから目的は果たしたの。どうせレースに勝って戻ったとしても何もない時代に戻るだけだもの」


「そんなの間違ってるだろ」


「間違ってないわ。ここで私たちが何をしようとも世界が秩序を取り戻す未来は動かない。そしてこの時代の私が消えて、あなたもママも私のことを忘れる」


「そんなわけないだろ!」


「ノゾミを覚えている?」


 椎名はごくりと唾を飲み込んだ。……ノゾミ?

 なんで忘れかけてた? ノゾミが家から出て行き、たった数日だ。それなのに……。


「魔力が失われかけているから。……そんなものよ。あなたのせいじゃない。時間という莫大な情報の中では記憶なんて簡単に消失していく」


「そんな……」


 そういえば咲希とも最近は会話していない。まるでノゾミと同調するように。


「あなたがママと仲良くなれば魔力が上がるのは確か。でも、その逆もある。つまりシンクロしているのね」


 ホノカはよろけながら立ち上がった。


「私は今日でお別れ。あの双子が学校を見張ってたのを知ってたのに来ちゃったのは、やっぱりママに会いたかったら。そしてこの学校から逃げることはできない。ノゾミはまだ生きているけど、最後にやっぱりママに会いに来ると思う。そこで終わり」


 レースはあっさりと終わろうとしている。鍵を握ったのは双子という数の利点だった。


「ホノカ、俺は……」


「あなたにそんな顔をする権利はないわ。教育を受けた覚えもないし養育費も受け取っていない。血が繋がっているだけの他人なのよ」


 ホノカは椎名を突き放した。


「あなたに私たちが作った誇り高い未来を汚す権利はないの」


 頭を殴られた気がした。それほど重い一撃だった。

 視界が滲み足が震えた。立っているだけで精いっぱいだった。

 子供が生まれる未来が決まっているのに、それはホノカではない。

 目の前の子供を抱きしめてやりたかった。だができない。自分にはそんな権利はない。未来で責任も取らなかった人間だ。きっとすべてを忘れ、生まれてきた子供も捨てるのだろう。

 自分はそんな無責任な人間なのだ……。


「それじゃあね」


 ホノカが消え、椎名は錆びた自動販売機に寄りかかる。できることは、子供も助けられない無能な自分を呪い何もしないこと。自分には彼女たちのレースに参加する資格はない。

 レースが終わるのを静かに待ち、忘れることだけだ……。

 陽が沈み暗くなる。椎名は必死に自動販売機にしがみついていた。この冷たい箱に支えられないと立っていられない。


「どうしたの?」


 その声はいつもと変わらない。立っていたのは幼馴染だ。

 ショートボブの髪はずっと変わらない。両親が死んだときも横にいてテストでもお世話になり、映画やドラマが好きで知識も豊富で会話も楽しい。そんな自慢の幼馴染はいつもそばにいてくれる。


「いろいろなことがあった」


「わかってる」


「どうしたらいいかわからない」


「それでも大丈夫。私はそばにいるから」


 彼女が椎名に手を差し伸べた。


「いろいろなことが起こりすぎて、どうしていいのかわからない」


「君はいろいろ考えすぎちゃう。だから寄りかかりな。その自動販売機じゃなくて私に。大丈夫、全部私が受け止めてあげるから」


 誰でもいいからもたれかかりたかった。この冷たい箱ではなくもっと優しいものに。残酷な未来から目をそらすために……。

 顔を上げると彼女と視線が合った。そして距離が縮まる。


 初めて彼女の顔を間近に見たように思えた。こんな顔をしていたのか……。




 二人のシルエットが重なった。



          *


「チェックメイトね」


 ホノカの前に立つのはナナだ。


「話し合うことはできない?」


「この期に及んで命乞い?」


「そうよ」


 ホノカは魔力を解いてみせた。というより、もう維持できる力がなかった。ここ数日は双子の立ち替わりの襲撃で体力も魔力も削られていた。


「ノゾミを助けてやって。もうノゾミはもう戦えない。だから最後ぐらいは母親のそばに」


 ナナはその言葉に一瞬だけ表情を変えたが、別の声に遮られる。


「それはできない。私たちの未来が変わる因子は排除しなきゃね」


 背後に立っているのはレナだ。


「そんな大した未来なの? 多くの犠牲を払って世界は秩序を取り戻した。たとえ機構のような悪しき集団が何をしようとも世界は変わらない。そう、何も変わらないわ。ここで何をしようともママが生き返ることだってない」


「それでも私たちが生まれる未来でありたい」


 ナナの周囲に魔力が発生する。黄色く発光する短剣のイメージだ。

 ホノカはナナと向き合う。ナナが派手に魔法をアピールする理由は知っていた。ナナに注意を惹かせ、背後からレナが攻撃するというパターンだ。


 それを知りつつもホノカは振り向かなかった。

 死を受け入れた。

 いや、これは死ではない。ただなかったことになるだけだ……。


 その時、ぞわっと全身に鳥肌が立った。それは死の恐怖ではない。

 空間がねじれるようなぐにゃりと溶けるような歪な感覚……。


「え?」


 その魔力を感じ取ったのかナナの表情も変化する。

 この魔力に触れたことは二回あった。ノゾミ、そしてナナとレナがこの時代に跳んできた瞬間、つまりフラグ。


 ……だが、今回はそんなレベルではない。

 何が起こった?


「待ちなさい、レナ」


 ナナが叫び、緑の魔力で構築された短剣がホノカの首筋でぴたりと止まった。


「な、なに? 今さらこれ、助けようっていうの?」


 レナも汗をかいている。その何かを感じ取っている。

 ホノカは夜の校舎を振り返る。広域にジャミングが影響しており、校舎には人影がない。

 ずずっと音が聞こえた。

 それはとても耳障りな魔力のノイズ。吐き気を感じるほど不快な音だった。


 ……なんだこれは。

 見てはいけないと本能が警告する。視界の端に蠢くその何かは危険だ。


「お姉ちゃん、なんかやばくない?」


「レナ、逃げるよ!」


 我に返ったレナが叫ぶ。


「これはどうするの!」


 レナがホノカに魔力の武器を向けたまま答える。


「いいから、逃げろ!」


 ナナが叫ぶ前にホノカは走っていた。それは絶対に関わってはならない魔力。

 レナはほんの一瞬だけ迷った。逃げたホノカに気を取られたからだ。


 その一瞬が命運を分けることとなった。


 どす黒い手が何本も見えた。時空を跳んできた破壊の数式が手のイメージとなって、逃げようとしたレナの足をつかみ、次々に黒い魔力が覆っていく。



 ――レナの体が弾けた。



 魔力が爆発するように拡散し、レナという存在は消滅した。



※次回更新は12/13です

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