第30話

「どうしました?」


 振り返ると凪がぼーっとしている。


「なんか変な感じ」


 強引に凪の手を引っ張り雑木林を進む。しばらく進むと木々が途切れ、建物が見えた。

 半壊した建物があり、屋根の十字架が夕日を受けて赤く光っている。

 凪と並んで壊れた扉からその中に……。


「わあ……」


 凪が声を漏らした。天井が抜けているため夕日が差し込んでいる。教会内のほとんどが朽ち果てた代わりに花が咲き乱れていた。まるで魔法だ……。


「先輩、もうすぐ陽が」


 ぼんやりとしていた凪が、はっと我に返る。


「これ、どこに置きます?」


「えっと……あの、石櫃みたいなのの上に置こう」


 凪が監督の顔に戻った。エナジードリンクの位置などを指示し、スマホを構える。


 口笛のような音は廃墟を吹き抜ける風だった。草花が揺れるその様に現実感を失う。まるでこの場所だけが赤いスポットに照らされているかのような神秘的な風景に、見とれた。


「……ありがとう」


 凪の声に我に返る。気づくと暗くなっていた。奇跡の時間が終わった。

 一秒も使われないだろうワンカット。そのためにずっと凪はスマホを構えつづけていた。


「いや、俺はただ手伝っただけですし」


 撮影はこれで終わり、あとは凪が編集作業をするだけだ。

 このシーンを見られてよかったと心から思った。きっとあの光景は流れ続ける時間の中でたった一瞬しかなかった。


「手伝ったんじゃなくて、一緒に作ったんだよ。僕らの子供のようなものだな」


「それはちょっとキモいですけど、よかった」


「なんだよ、素直すぎるな。もっとキモがれよ」


「いや、俺はいつでも素直ですよ」


 軽口を返しながらも、椎名は視線を外せずにいた。

 エナジードリンクの缶。そしてそれが置かれた石の棺……。


「ほら、お礼をしてやるから」


 抱きついた凪が唇を突き出してくる嫌がらせを始めた。

 それはいつものやり取りだった。凪がキスをする振りをして椎名が逃げる。そんな一連の行為。だが、いつもと違ったのは椎名が動かなかったこと。そんな些細なことでズレた。


 凪と椎名の唇が接触してしまった。


「あ……」


 凪が後ずさりバランスを崩す。椎名は反射的に凪を支えた。いつも通りのやり取りをやらなかったミスだった。そして接触事故で困惑した凪と視線が合う。


「へへへ……」


「いや、なんていうか」


 何か口を開かねばと、思ったその時、ぐにゃっと何かが歪んだ。

 ……この感覚。

 この感じは……これで三回目だ。

 一回目はプールにて。二回目はノゾミの時だ。ということは……。


「え? 先輩?」


 ズシリと重さを感じた。見ると凪は椎名の胸の中で気を失っている。


「椎名さん」


 振り向くと崩れた出入り口にノゾミが立っていた。


「ノゾミ、なんでここに?」


「ちょうどこの辺にいただけです」


 要するに椎名をつけてきたらしい。


「それよりもここから離れますよ。この時間の流れの中で座標が発生しました。つまり何者かが来ます」


          *


「もしかしたら、これが要因かもしれません」


 横を走るノゾミが言う。椎名たちは暮れた廃墟の中を急いでいた。


「過去が揺らいで並行世界が出来た理由です」


「ホノカも探していたものか?」


「何者かが来たとしたら、ここで迎え撃ちますが」


 ホノカの手が青く発光する。正確にコントロールされた情報は青い弓を作り出す。


「なあ、俺はさ、先輩の手伝いをしていただけだ」


「だから危ないのです。私はフラグを目印に跳んできましたけど、今回は違うでしょう」


 ホノカとノゾミが跳んで来た理由は、自らが生まれるきっかけが生じたからだ。だが、今回は横暴な先輩の手足となって働いていただけだ。


「それに、この場所はおかしい。とても薄いですがジャミングの魔力を感じました」


 魔力? ということは人が近寄らなかった理由はそれなのか。


「動かないでください。椎名さんを狙ってくるかもしれません」


 ノゾミは弓を構えながら廃墟に目をやる。その鋭い視線は猛禽類を思わせる。


「相手はなんなんだ?」


「わかりません」


 そのとき何かが聞こえた。鳥の囀りのような風の音のような……。

 ……歌だった。

 黄色いカナリア……違う、少女が歌っている。

 ショートヘアーの少女が、足を揺らしながら木の幹に座り、ハミングしている。

 そして彼女を覆う黄色い魔力。やはり魔法少女だ。


 ノゾミと少女の視線が合った。

 木の枝に座る少女の周囲が黄色く光る。魔力でナイフ形状の武器が瞬時に構築され、少女の守るように回転する。数十本の魔法のナイフがルーレットのように回っていた。


 ナイフが飛んだのとノゾミが矢を放ったのは、ほぼ同時だった。

 ノゾミが飛び退いた場所には、魔力のナイフが何本も突き刺さり光の粒となり散った。

 ノゾミの矢も捉えられず、少女は姿を消している。


「相手も飛び道具を使えますか」


 ノゾミが椎名のそばまで後退してくる。


「おい、血が」


 ノゾミの腕から血が流れていた。相手の攻撃が当たっていた。


「ご心配ならさず、ほぼガードしました」


 ノゾミを覆う青い魔力に波紋が広がっている。魔力を防御にも使っている。


「こっちの攻撃もかすった、はず。怪我は慣れているので気にしないでください」


 その冷静な態度に椎名は痛みを感じた。未来のノゾミは血を流しながら戦っていたのだ。


「まあ、この距離からの撃ち合いならば、勝てます」


 ノゾミが椎名を守るよう立つ。同時に激しく魔力が飛び交った。青い光の矢が飛んでいき、ときおり黄色い発光体が飛んでくる。それはノゾミが正確に弓で弾き飛ばした。

 撃ち合いはノゾミに分があるように見える。しかしノゾミは椎名を守りながら戦っているために行動が制限されている。さらに相手の正体も目的すらもわからない。

 それでもノゾミの表情も呼吸も落ち着いている。


「この程度なら問題ありません。こんな雑な魔力など……」


「う、ん……」


 うめき声は凪だった。ここまで荷物のように運んできて忘れていた。


「場所を変えますか。これだったら開けた場所のほうがいいです。その先輩さんをどこかに置いてから、やりましょう」


 ノゾミが視線で椎名を誘導する。確かに凪を連れたままやりあうのはまずい。


「対象はマークしています。ゆっくり廃墟の外に向かってください」


 ノゾミが魔法の矢を連射したのを見て、椎名は凪を抱えたまま動く。


「ターゲットと逆方向に走りますよ」


「わかった。向こうにフェンスの穴がある」


 そこから廃墟エリアを抜け出し、まずは凪を何とかしないといけない。公園に出て芝生にでも転がしておけばいいだろうか。


「行きます」


 ノゾミが矢を連射しながら動いた。椎名も凪を米俵のように担いで走る。

 敵の動きはない。ノゾミは標的をマークしつつ、無防備な椎名を守って動いている。

 と、いきなりノゾミが椎名を追い抜いた。


「止まって!」


 ノゾミの体が吹っ飛び、ブロック塀にバウンドして地面に倒れた。

 それは予測しない方向からの攻撃だった。ノゾミはどうにか態勢を立て直したものの、相手はすでに廃墟の建物の陰に隠れている。


「どういうこと?」


 ノゾミが口から血を流しながら唖然としている。


「先回りされてたな」


 椎名も見えたが、ノゾミを攻撃したのはあの少女だった。


「そんなはずはありません。……速すぎます」


「魔法だろ」


 ノゾミは魔法の弓を構えながら首を振る。


「背後にいたはずなのに前に出現するなど、ワープをしない限り不可能です。魔法はあくまで物理や力学の延長ですよ」


 こんな状況でもノゾミは冷静だ。相手の居場所をしっかりと探知している。

 しばらく膠着状態に陥るが、ときおり椎名の目にも見えた。

 魔力をまとう少女の姿がちらちらと見える。まるでこちらに見せているかのように。


 相手の出方を窺っていたノゾミが小さく速く息を吐いた。同時に雑木林に青い矢の連撃が行われる。林の中で魔力がぶつかる衝撃が椎名にも感じられた。


「当たりました」


 すでにノゾミは動いていた。確実に仕留める気だ。


「あっ」


 ノゾミの体がその場に崩れる。背後から飛んできた魔力の短剣に体を貫かれた。

 膝をつきながら矢を構え直すノゾミの前に、魔力をまとった少女が無防備に姿を見せた。

 やはりノゾミと同じ魔法少女だ……。


「おい!」


 椎名が声をかけると、少女はすっと半壊した建物の陰に消える。


「やはりあれが揺らぎの原因ですね」


 ノゾミがよろよろと立ち上がる。


「待て、あれって同じじゃないか? ノゾミが来た時と同じシチュエーションだろ」


「私は過去の揺らぎの原因を探しに来たのです。そして魔法少女に出会ったら先に攻撃しろというのが鉄則。それをやったまで」


「だから相手もそうならないか?」


「フラグが立つようなきっかけがありましたか? 私のママを助けたように、ホノカの母があなたの優しさを知った時のように」


 ……そう言われるとわからない。では今戦っている相手は何者なのか。


「とにかく相手の狙いも能力もわかりません」


「やっぱりワープ?」


「ワープはあり得ません。考えられることは加速。信じられませんが回り込めるだけの速さを持っている。ざっと計算したところ、時速二百キロで走れば回り込めます」


 時速二百キロなどダイアモンドアイでも出せない速度だ。さらにこの廃墟には多くの障害物がある。ではどうやって移動した? 何か見落としてはいないか?

 先ほどちらりと見えた少女。あれはホノカやノゾミと同じような……。


「見えました!」


 今度は近距離だった。姿をさらした少女にノゾミが照準をつける。


 そのとき椎名は見た。もう一人の少女がノゾミの背後から襲い掛かる。

 同じ少女。――二人いたのだ。


 ノゾミも気づくが間に合わない。前後からの挟み撃ちだ。


 ガツンと魔力が反発した。

 ノゾミは前方からの攻撃を防ぎ、その背後の攻撃を受け止めたのは――ホノカだ。


「ジャジャーン、みたいな感じ?」


 魔力の剣を構えるホノカが椎名の前に立つ。


「効果音のわりには遅いですよ」


「ママを送っていったからね。それより、これが原因?」


「そうとしか思えません」


 ホノカとノゾミが視線を向ける先には、それぞれ少女がいた。


「お姉ちゃん、やっぱりこいつらが原因だよ」


 ホノカの前にはショートボブヘアーの少女がいる。緑色の魔力で覆われた体はスレンダーだ。歳はホノカと同じぐらいだろうか。


「そうね」


 ノゾミの正面に立つ少女はそう言うと、雑木林に隠れすっと気配を消した。同時にホノカの前にいた少女も身を隠す。

 お姉ちゃん? 姉妹……それも双子か?


「気をつけてください。高速演算(フラツシユ)系でジャミング能力持ちです。あえて私に見せていたのは、双子だと隠すためでした」


「よく見たら魔力の色が違うわ。姉のほうが黄色、妹のほうが緑」


 ノゾミとホノカはこんな状況でも理性的に動いている。

 そして椎名は別のことを考えていた。それは先ほどから抱きしめている凪の体の柔らかさ。


「攻めと守りにわかれましょう。椎名さんを狙っている可能性もあります」


「私が出るから、あんたが援護ね」


 椎名はそんな二人を制した。


「待て、彼女たちは俺を狙わない」


「そんなのわからないでしょ」


「わかる。だってあいつらはお前たちと同じだからだ」


 双子というワードは椎名のすぐそばにあるものだ。

 そして目の前に姿を見せたあの少女……やはり似ていた。


「話し合いたい!」


 椎名は姿を隠した彼女たちに叫んだ。


「話し合うよりもまずは勝つことよ。たとえばAIはサッカーの戦術を解析したけど、重要なのは攻撃ってなったわ。攻撃は守りにもなるけど守りは攻撃を兼ねない」


「そうです、そのあとに話し合うのです。過去の戦争だってそうでしょう。殴りつけてから話し合い。それが正しい順序というものです」


「駄目だ、俺の子供同士で争ってもらいたくない」


「は?」


 ホノカとノゾミの声がハモった。


「お前たちの母親は――ここにいる」



※次回更新は12/1です

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