第29話
この街には『例の場所』と呼ばれる場所がある。
それは廃墟にある教会で、崩れ落ちた天井から陽の光が差し込み花が咲き乱れ、大きな棺が置かれているという。
そしてそんな場所の噂がありつつも、誰も近寄らないという不思議な場所。探そうとしても迷ってしまうなど、まるで意図的に認識から外されているような……。
『迷った』
スマホから声が聞こえる。
「迷うほどの広さはないでしょ」
『でも、迷ったんだよう』
スマホ越しの凪の声が廃墟に反響する。凪が例のあの場所に映像を撮りに行ったらしい。だが、見つからなかったうえに迷ってしまったと。
「どこにいるんです?」
『なんかでっかい木? そこにカラスがいる』
生き物を目印にするのは方向音痴の悪癖だ。
椎名は命令され凪を迎えに来ており、ホノカとノゾミには先に戻ってもらっていた。
「なんで俺なんです?」
『今日は撮る約束だったじゃん。なのに通話を無視されたから一人で来たんだよ。静はコスプレイベントに行っちゃったし』
確かにエナジードリンクの最後のカットを撮ると言っていたような気がする。
だが、風景映像のワンカットならば一人でもできたはずだ。
「とにかくスマホのマップで座標を送ってくださいよ」
『なんか通話はできるんだけど、ネットがおかしくて。ジャミングされてるのかな』
そんなわけないだろ、と呟きながら椎名は草木が生い茂る荒れ地を進んだ。夏の夕方なのでまだ明るいが、湿気を含んだ空気が重く暑い。風もよどんでいる。
椎名は歩きながらホノカたちのことを考えた。
ホノカは現在の自分が揺らいだからこの過去に来たと言った。その原因がなんであるのか判明していない。その要因があったため、現在から椎名の子供が生まれるという準Fポイントまでの流れが二つに分かれた可能性がある。
準Fポイントへと時間は流れるが、そこまでの流れが分岐した。つまり並行世界のようなものができてしまったとしたら。
……原因はなんだ? 問題を解決するにあたってそこは知るべきだ。
『ちょっと黙らないでよお、怖いからなんか話して』
「あー、今回の映像コンセプトは十秒ってとこがいいですよね」
『お、いいぞ、映研らしい話をで間を繋ぎやがったな』
「去年の文化祭で作った十分映画、咲希が開始三十秒ぐらいでで『あと九分三十二秒も耐えなきゃいけないの?』とか言ってましたよ」
『九分後に面白くなる構造だったからなあ』
「撮影時に俺が橋から川に飛び降りる危ないシーンがあったじゃないですか。俺が嫌がってたら先輩は『これでクランクアップだから大丈夫』とか言いましたよね。あれ、未だに許してませんから」
『あの時は悪かったから、とにかく椎名ぁ、早く来きてよお』
「わかりましたから甘えないでください。キモいから」
こいつはたまに女のような感じになるからやりづらい。それでも話していると気分が晴れた。この短い間に非現実的な多くの出来事が起こったが、こいつだけは現実だ。映像が絡むとおかしくなるが、それでも魔法などに関連していない人間。
……それにしても。一応立ち入り禁止となっているこのエリア、人がいないのはおかしい。大きな公園のそばという立地は探検場所になりそうなものだが、そんな子供の姿はない。そして例の場所は映えるとSNSなどに拡散されてもいいはずだが、それもない。
いきなり娘が出現し、魔法を見せられ、ダイアモンドアイが敗北した。この世界では何が起こるかわからない……。
『椎名』
「はい?」
『動かないで。絶対に振り向いちゃいけない』
ふいにスマホから凪の囁きが聞こえた。
「え?」
『いいから。絶対に動くな』
その真面目な声は、映像関連以外で聞く半年ぶりぐらいの深刻なトーン。
「え? 先輩……」
通話が切れていた。何が起こったのか理解できずに石のように固まる。
その時、背後にぱきんという音を聞いた。それは小枝を踏んだかのようなとても小さな足音。振り向くべきか。しかし凪は絶対に動くなと……。
いきなり背中に衝撃が走って、椎名の体がくの字に曲がる。
「わあああああああ!」
何者かの叫び声が反響し、椎名はその場に崩れ落ちた。
腰が抜けたまま、首だけを動かし振り返る。……そこには凪が立っていた。
「あはは、びびった?」
へらへらと凪が笑っている。
「いや、椎名が来たの見えたからさ」
「先輩、温厚な俺もさすがに怒りますよ」
椎名の腰は未だに抜けたままで、地面にへたり込んでいた。
「なんかぼーっと突っ立ってたからさあ」
凪に手を貸され立ち上がる。さすがに怒るべきかと視線を向け、首をかしげた。
目の前にはミネソタ・ツインズの迷彩柄キャップを被った凪がいる。膝上までの短パンとTシャツといったラフな格好に、釣り人が着るようなジャケットをつけている。
「ん、どした? もしかしてオコ?」
「いや、凪先輩ってこんな感じだったっけ?」
椎名は凪の体を嘗め回すように見つめた。
「おい、セクハラはやめろよな。今日は一人のつもりだったから」
「なんか胸が……」
「フィッシングジャケットに小道具とか入れてるからだよ」
凪に肩を乱暴に叩かれる。
先輩だからとこの態度は許されるのか。たった数秒の恩恵を受けただけなのに。
「子供じゃないんだから、迷ったとかなにやってんだか」
「なに先輩に向かって呆れてんだよ。腰抜かしてヘロヘロになってたやつが威張るなよ」
「そういう低レベルな争いはやめて行きますよ」
「ん、どこに?」
凪がきょとんとしている。こいつは自分の目的を忘れているのか。
「例の場所に行くんでしょ?」
たった十秒の映像の最後のシーンを撮りに来たはずだ。
「やっぱりあんな場所ないんだよ。そんな噂を聞いてこの前も来たけど、結局見つからなかったし。誰も見たことがないんだし」
「いや、俺は見たことありますけど?」
驚いたのは椎名だ。あの場所は都市伝説のように伝わっていたのか。
「あ、でも、迷ってるうちにエナドリなくしちゃって……」
「それも買ってあります」
椎名は尻ポケットからエナジードリンクを出した。自販機で買って持ってきたのだ。
「椎名、お前ってやつはそんなに映研のことを……」
凪がギューッと抱き着いてくる。なんだかこいつの体は妙に柔らかい。
「いや、さっさと終わらせたいのがほとんどです」
とにかく最後の画を撮れば終わるのだと、凪を突き放す。
「だけど責任があるのは確かです。あの映像だけは完成させないと」
「そんなに大げさな映像じゃないけど」
「いや、未来に残るんです。だからまずは完成させないと!」
椎名は突っ立つ凪の手を強引に引っ張る。確か目の前の雑木林を抜けていくはずだ。空が赤い。陽が沈む前に行かねばならない。
※次回更新は11/30です
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