第26話

「あ、ごめん、がっついちゃった」


「よかった」


 そのやり取りを見ていたホノカがにやりと笑い、顔をしかめたノゾミが近寄ってくる。


「耳寄りな情報が」ノゾミがひそひそ耳打ちする。


「実は今日のレース結果を知ってます」


「……え?」


「過去に跳ぶにあたって色々と調べていたのです。もしも金銭的に困ったときのために」


「こいつー、よくやった」


 椎名はノゾミの頭をなでてやる。


「ですから、そのお金でママにディナーを……」


 何かを察した咲希が顔をしかめている。


「買ったら怒るぞ、この馬鹿。……ノゾミちゃんはまだギャンブルは早いからね」


「はい!」


 ノゾミは咲希に素直に従った。母親の忠告は聞くようだ。


「たとえ運よく勝ったとしても、未来に得るものはないんだよ」


「その通りです。ただ私は競馬というブラッドレースに純粋に興味があったんです。だから今日は咲希さんと一緒に来られて、はしゃいでしまいました」


「そ、そうなんだ。なんか欲しいものがあったら買ってあげるよ。うちの親の会社のスポンサー関連でグッズの割引券とかあるから遠慮しないでいいし」


「あまりわがままを言うと……ママに怒られちゃいますから」


 ノゾミがペロッと舌を出した。キューンという音が咲希から聞こえた気がした。


「こんな可愛い子がいていいの? もしかしたら天使で空から落ちてきたの?」


 ……いや、お前の体の中からだ。だらしなく笑顔を浮かべるこの女はちょろいというより娘に激甘だ。きっと将来ノゾミを生んだとしても、いいように扱われそうだ。

 ちらりと振り返ると、花翠とホノカも自然に会話をしていた。


「花翠さんは、競馬場に来るの初めてなの?」


「二回目。初めて行ったのは、修学旅行での京都」


「え、修学旅行で京都競馬場に行ったの?」


 一瞬だけ花翠と目が合った。……そして思い出した。

 この学校では修学旅行を一年時にすませてしまう。そして行先は京都だった。

 日程を知ったとき椎名は喜んだ。これは奇跡だとさえ思った。

 デビュー前から噂になっていたダイアモンドアイのデビュー戦が京都競馬場に決定し、修学旅行の日程と重なったからだ。

 当然ながら自由行動の日に、椎名は一人別行動をとって京都競馬場に向かった。そこで京都の街を歩く花翠と遭遇した。あの頃孤立していた花翠は、たった一人で歩いていた。


 椎名が何気なく誘うと花翠はついてきた。二人で電車に乗り淀駅で降り、京都競馬場で一緒にダイアモンドアイの勝利を見届けた、という思い出。

 特に会話はなかった。彼女はただ静かにレースを見つめていた。

 今から思い返せば京都らしい思い出ではない。気の利いた店に入るわけでもなかった。持っていた黄色いパッケージのブロッククッキーをあげた記憶があるが、せめて京都らしく抹茶味があればマシだっただろうか。

 あのとき花翠は何を思っていたか未だに聞けていない。花翠を横にはしゃいでしまった失態故に、記憶の引き出しの奥に押し込めていたものだった。


「私は京都の淀でサラブレッドの美しさを知ったの」


「金閣寺とか銀閣寺じゃなくて競馬場? 清水寺とか変なタワーだってあるのに?」


「思い出深いのは、なんといっても淀」


「あ、もしかしてそのレースって、ダイアモンドアイの……」


「うん、だから残念」


 椎名は二組の母娘の会話を邪魔しないよう、先ほど買ったスポーツ新聞を手に取った。


『アイアイに残酷な結末』


 そんな見出しがある。ダイアモンドアイ予後不良で引退へ、さらに落馬した女性騎手も骨折し重傷を負ってしまった、という悲惨な結果が記事となっている。女性騎手の名前が藍子なので、アイアイという愛称で親しまれたペアだった。

 血統の奇跡と称された最強馬の引退。


 ダイアモンドアイはラムサスという父を持っている。そのラムサスは第二のサンデーサイレンスと称されるほどの種牡馬で巨大なシンジゲートが組まれている。

 そしてダイアモンドアイはラムサスの超インブリードだ。

 インブリードとは近親交配のことだ。名馬の子供は名馬が多い。だからこそ、その血を濃くしようとする行為。


 たとえば名馬エルコンドルパサー。父側の血の四代目にノーザンダンサーという名馬の血がある。そして母側の三代目にもノーザンダンサーは出現する。ぞくに言う『三×四』だ。

 ちなみにダイアモンドアイはそれよりも強いラムサスの『二×三』となっている。何故そんな配合が行われたかは、規制緩和された一口馬主制度やクラウドファインディングシステムの導入などで、生まれる前から血を買われた、からだ。ともあれ本来であれば近すぎる交配だが、それが成功したことで奇跡と呼ばれた。


 競馬はノゾミの言うとおり血のレースなのだ。

 強い牡馬の血をどれだけ継いだかが能力を左右する。日本競馬界にサンデーサイレンスの血が入り運命が変わったように、優秀な血統が必要とされる。

 サンデーサイレンスが長きにわたり年間最優秀種牡馬リーディングサイアーに輝いた一方で、弱い血は淘汰され消えていく。そんな残酷な戦いの歴史がこの場所にある。


 同時に思った。ホノカとノゾミも同じなのではないか。

 血を残すという二人のレースは始まったばかりだ。



※次回更新は11/27です

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