第8話
……それが昼休みのやり取りだった。
椎名は五時間目の授業をうわの空で聞いていた。
魔法を抱えて未来からやってきた少女。さらに咲希の娘だという。
消化しなければならない情報が多すぎる。これに比べたら今やっている微分積分の授業なんてシンプルだ。中間テストの点数は低かったが理解できる範囲内だ。
斜め前を向くと、体育会系のくせに真面目に数学の問題を解いている咲希の姿があった。放課後に咲希が怪我をする。それが予言ではなく事実となるとしたら。
咲希のことだ、椎名が部活に出るなと言っても聞く耳を持たないだろう。
だからこそ怪我をした後の対処が問題となる。
それにしても、と思う。ホノカと名乗る少女が咲希の娘だとして、疑問に思うことがある。タイムリープという大きさに対し、やるべきことが小さすぎる。
咲希を助けることと、時空を跳ぶという比重のギャップ。
ホノカは本当の目的をほのめかしていたが、それがなんであるのか……。
そして結論が出ないまま数学の授業が終わり、二年一組のクラスは動き出す。
委員会に出る者、期末試験のために図書室へ向かう者、帰宅部たちはいつもと同じグループで集まり教室から出ていき、何をするわけでもなく教室に残る者もいる。
椎名はそんな教室を、いつものように窓際最後尾の座席から眺めている。
しばらく動けなかった。消化できない情報が今になってもたれている。
……とにかく咲希だ。
椎名は立ち上がった。実際にダイアモンドアイは故障した。あんな暴力的で口の悪い女でもクラスメイトであり、やはり怪我の原因となる部活に行かせるべきではない。
教室から出て階段を下り下駄箱に駆け込む。
だが外に出ると、校庭が妙に閑散としていた。
野球部の連中がいたが、制服姿でキャッチボールをしているだけだ。いつもならラグビーやサッカー、陸上部や野球部が入り乱れて活動するという野蛮な光景があったはずだ。
「なあ、今日は練習は?」
キャッチボールをしている同じクラスの野球部の男子に問いかける。
「今は期末テストの準備期間だろ」
準備期間中は活動できないとの答えに顔をしかめる。椎名が所属する映画研究会は、まったくそんなそぶりを見せなかったので知らなかった。
「誰か怪我とかしなかったか?」
「いや、誰もいないし」
そもそも校庭に人がいない。では咲希の怪我は回避されたのか?
……そうだ、花翠だ。椎名はあの時の言葉を思い出す。花翠は咲希に手伝ってもらうと言っていた。それは旧校舎の屋上の清掃。
校舎へと走った。怪我をしたのは放課後としか言っていない。旧校舎の屋上を片付けるときに怪我をする可能性があった。
靴も脱がずに校舎に入り階段を駆け上がる。渡り廊下を全速力で走り旧校舎に。
……いた。屋上への階段を上がる二人の女子の後ろ姿が見えた。
花翠と、ポニーテールを揺らして階段を上がる咲希。
「おい、咲希!」
椎名が呼びかけると、屋上への階段を一段抜かしで上っていた咲希が振り返った。
同時に咲希がずるっとバランスを崩した。
すでに椎名は階段を駆け上がっていた。
「あっ……」
声は椎名の胸の中の咲希だった。
宙を舞った咲希の体は、墜落する寸前に椎名に受け止められた。
「……椎名?」
目の前に咲希の顔がある。
……近い。咲希をこんなに間近に見たことは初めてだった。思ったよりも小柄で軽く、整った顔をしている。長いまつげとブラウンの瞳……。
ころころと小さな粒が階段を転がっていた。それはBB弾だ。旧校舎で活動したサバゲー部、いや園芸部の残した残骸。咲希はこれで足を滑らせた。
「気をつけろよ、もうすぐ大会があるんだろ」
「え、あ、うん?」
咲希はここでやっと状況を理解したようだ。ボンっと一瞬で顔を真っ赤にすると、ポニーテールを振り回しながら椎名を突きとばす。
「な、なに変なとこ触ってるのよ、この馬鹿!」
「……今のはさ、俺が正しいよね」
振り向くと、両手を広げた花翠が安堵していた。反射的に咲希を助けようとしたらしい。
「うん、正しい」
花翠がちゃんと椎名の味方をしてくれた。
「正しさとかの問題じゃないの! 行くよ花翠!」
咲希が花翠の手を引っ張り、屋上へと駆け上がっていく。
バタンと閉められた鉄製の扉を前に、椎名はぼーっと突っ立っていた。助けたときにとても柔らかい感触が右手にあったが、やっぱりあれだろうか。故意でないにしろあの部分を触ってしまったのか。そう考えると、あの態度も許せる……。
「なに、やってるの」
振り向くと階段の下にホノカが立っていた。
「お前のママって、お礼を言ったら死ぬルールとかあるのかな?」
そのとき、突然視界の端が青く光った。
それは莫大でいて複雑な数式。目の前の空間が歪んでいく。パソコンが膨大すぎる情報を処理できずバグが発生しているような、そんな感覚……。
そして、ぐにゃりと鉄製の扉がひしゃげた。
溶けた扉の隙間から青い光が漏れる。
それは可視化された情報。そう表現するしかなかった。質量や速度や座標などがつめ込まれた数式の集合体は青い光の矢となり、椎名の頭――の横をすり抜けて飛んだ。
何本もの青い光線が横を飛んでいく。明滅する青い光……。
その直撃を受け吹っ飛んだのはホノカだった。青い光が衝突し、さらに体に突き刺さる。
……魔法の矢だ。
大量の青い矢がホノカに降り注ぐ。
※次回更新は11/4です
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