第6話

「たとえ雨に濡れる猫を拾ったシーンを見たとしても、あんたの評価は変わらない」


 胸元にどすっと指を突きつけられた。というか刺されたのかと錯覚した。

 月曜日の昼休み、人気のない旧校舎の屋上。目の前に咲希がいる。


「そんなことより、ちょっと話が……」


「そこのゴミ箱にでも話しかけたら?」


 足がすくんでしまった。咲希の怒りは一晩たっても衰えていない。


「私は雨の中で猫を拾われたら心を動かされる、かも」


 フォローをしてくたのは花翠だ。咲希と花翠はランチタイム中だった。


「今日はこんな場所で食べてるんだ?」


 この旧校舎側の屋上は、使い古した椅子やらが置かれゴミ捨て場のようになっている。


「誰かのドロップキックでプールに落とされた件でいろいろ聞かれるのが面倒だから」


「生徒会の仕事で放課後にここを片付けるの。咲希が手伝ってくれるって、様子を見に来るついでにここでお昼を食べたの」


 こちらを威嚇する咲希の代わりに、花翠が説明してくれた。


「へえ、優しいところあるなあ。部活やったあとに手伝うのか?」


「ねえ、この卵焼きあげるから、少し離れて、そして黙ってて」


 咲希が椎名の手のひらに卵焼きを置いた。

 食べ物を与えて黙らせようという汚いやり口。だが一口かじってみると……うまい。濃厚な出汁とほのかな甘み。まるで料亭の卵焼きだ。

 卵焼きを味わいながら二人が食べ終わるのを待つ。


 花翠はいつものようにゼリー飲料と黄色いパッケージのブロッククッキーを食べている。ついばむように食べるその姿は可愛らしいが量が多い。積み重なる箱のクッキーを黙々と食べ、空箱を丁寧ににたたんで持ち帰るといういつものランチルーティーン。

 これだけカロリーを摂取しても保てるスレンダー体型。特に運動もしていないのに不思議なことだ。将棋の棋士は一局で体重が一キロ以上も減ると聞いたことがあるが、彼女は冷たい仮面の下で常に脳をフル回転させているのだろうか。


 対して咲希は可愛らしいランチボックスだ。中身もカラフルでいて栄養バランスを考慮している。そうだこいつは意外にお嬢様なのだ。観察してみると箸使いも美しい。言葉づかいもそうであればよかったのに……。

 そんなことを考えていると、二人はランチを食べ終わっていた。


 花翠は空箱をまとめ、咲希はランチボックスをしまいながらこちらに向いた。


「それで、あんた何しに来たの? また覗き?」


「またとはなんだ、またとは! あれはなあ、情報収集してたんだよ。ほら花翠さん、ここから競馬場が見えるでしょ。土曜日だったからちょうどレースがあって、双眼鏡で見てただけなんだよ。俺ってデータ派だから」


 誤解されてはならない。花翠の前で言うなんてこいつは鬼なのか。


「なんのデータなんやら」


 目の前の咲希との確執はあの事件が始まりだった。椎名が高校一年生の五月。中間試験の追試を受けに土曜日に通学した椎名は、ここから双眼鏡を使って競馬のレースを見ることにした。


 事件はメインレースが終わった時だった。双眼鏡をほんの少し下にずらすと新校舎が見えた。カーテンの少し開いた教室と、そこで着替える一人の女子……。

 すべては偶然だった。メインレースで応援していた馬が負け、ため息とともに双眼鏡が下に向いたこと。そして休みの日に自主練で着替えていた女子がいたこと。まず目に入ったのは青と白のストライプ、そしてその下着をつけていた女子と双眼鏡ごしに目が合った。


 一瞬だった。咲希はカーテンをばっと閉めると、椎名の体感的には新校舎からこの旧校舎の屋上まで数秒で走りこんできた。ポニーテールを揺らし走るその様は、どんなサラブレッドよりも速かった。まさに怒髪天を衝く、だった。


 それからだ。咲希が椎名に対して執拗に絡んでくるようになったのは。

 夏祭りでは浴衣をからかっただけでキレられ、浴衣姿の咲希との全速力の鬼ごっこが始まった。体育祭のリレーで他のクラスに椎名が抜かれて怒り、雪が降った日の校庭で軽い気持ちで始めた雪合戦は氷のような球をぶつけられた。バレンタインでは机に置かれていたチョコを食べたのだが、それは咲希が友チョコとして友人に用意したものらしく、これも悪態をつかれた。


 理不尽な暴力や暴言に耐えているのは、あの件があるからだ。見てしまった責任もあるが、こんな凶暴な女でもかわいいパンツを履くのだと考えると、なんだか許せる、ような気がする。


「咲希に聞きたいことがあるんだよ」


「勝手に聞けば。答えないけど」


「咲希ってさ、子供はいるか?」


 咲希のポニーテールが逆立った、気がした。


「は? は? あ?」


 咲希の表情がめまぐるしく変化する。目を吊り上げ歯を食いしばったかと思うと、呆れように脱力し、最後はにやっと笑いながら椎名の胸倉をつかんだ。


「それがあんたの人生最後の質問ね」


「いやいや、いないならいいんだ。ちょっとした確認だから」


 こいつは本当に屋上から投げ落としかねないと、椎名は必死に咲希から距離を取った。


「死ね、馬鹿、クズ」


 咲希はいつものようにシンプルに罵倒したあと舌打ちをし、メッセージでも来たのかスマホをポチポチいじり始めている。


「ついでに、咲希のアドレス教えてくれないか?」


「私スマホ持ってないの」


「その手に持ってるやつだよー」


 椎名を無視して屋上の出入り口に歩いていく。咲希の背中に怒りを感じる……。


「そういえばさ、咲希ポイントってどうなってる?」


「マイナス3700」


 咲希はそう言い立ち去った。相変わらず咲希の好感度は低いままだ。

 ……ん、マイナス3700? 直近のポイントはマイナス3703ではなかったか? ほんの少しだけ借金が返済されているではないか。


「そんなに怒ってないと思う」


 すぐそばに花翠がおり、間近で向き合ってしまいドキリとする。


「また教室で」


 花翠は小さく手を振ると、咲希を追いかけ屋上から出て行った。




※次回更新は11/2です

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