第3話

「それに悪くないでしょ? 一番近い場所から見ることができる」


 確かに役得ではある。プールの飛び込み台に座るセーラー服はとても美しい。


 高坂花翠は夏の日差しを受けてもクールだった。生徒会の副会長でありつつ、だからといって出しゃばらない。クラスでも委員長をやっているという完ぺきなプロフィール。

 だが、その内実は孤高すぎる人間だった。彼女は愛想笑いもせず言葉も飾らない。だから入学当初から孤立していた。クラス委員長も面倒な役を押し付けられたようなものだ。

 花翠は女子のルールを守らない。グループに入り「かわいーい」を共有せず、真実しか言わない彼女は周囲の女子から敬遠され孤独だった。


 そんな彼女に椎名は惹かれた。だが、花翠に近づく勇気が出ずにこの距離にいる。


 対して踏み込んだのが久遠咲希だ。

 彼女はエナジードリンクの缶を持ちながら、一ノ瀬静にステップを教わっている。揺れるポニーテールがかわいらしいが、性格は反してきつい。椎名は彼女とはよく会話するが、向けられるのはいつでも怒りだ。

 体育祭や合唱祭を真面目にやれというのはまだいい。テストの結果や生活態度を注意され、趣味の競馬をやめろだの部活にでも入れなどと干渉するのは越権行為ではないか? この同好会に入ることを受け入れたのも、彼女の怒りを少しでも減らすのが理由だった。そんな気持ちも知らず、咲希と会話できる椎名がうらやましいとぬかす男子が出るので始末に負えない。


 そんな咲希は花翠と気が合ったのか、二年生でクラスメイトになると、花翠の唯一の友達となり親友まで一気に駆け上がった。


 そのころには花翠の誇り高さは周囲に認められるようになった。それでも未だに笑顔を見たクラスメイトはいない。花翠を気にする男子たちが氷の仮面をはがそうと試みたが、結局彼女が落とされることはなかった。


 プールのフェンス越しには多くの観客がいた。日曜日の部活を終えた者、これを見に来るために来た連中すらもいる。あの二人はそれほど輝きを放ち人を惹きつける。


「君も男の子だねえ」


横を向くと凪がにやにやとしていた。


「監督の権限を使って君も出演させてキスシーンとか入れたげよーか? それとも僕ので我慢しておく?」


 凪がふざけて唇を突き出してくる。こいつのいつもの嫌がらせだ。


「キスするんならせめて静ちゃんのほうでしょ」


 妹の静と似ているのを利用している、というか同じだ。髪の長さも同じで、後ろに縛っているのが静で下ろしているが凪と区別するしかない。ちなみに一ノ瀬の家系は双子が多く、盆に親戚で集まり混乱するのが毎年の恒例らしい。


「静も僕もまったく同じ顔だろ。だったら同じじゃん」


「同じでも、俺の運命ががらっと変わりますよ」


「もう、いつもそれやってるね」


 おなじみのやり取りをしていると、レフ板やマイクを抱えた静が走ってきた。ジャージ姿の彼女のベルトにはガムテープやらスプレー缶などの小道具がクリスマスツリーのように飾られている。この同好会は実質三人で、静が雑用のほとんどを担っていた。


「凪、準備は終わったよ」


「よし、そろそろ本番だ」


 ちなみに凪は監督兼カメラマンで、自分でカチンコを鳴らしてから映像を撮る。


「椎名君、合流してくれてありがとう」


 凪と同じ顔の一ノ瀬静いちのせしずが笑いかける。顔が同じなので脳がバグりそうだ。


「ちょっと寝坊しちゃって」


「来てくれただけいいんだよ」


 期待のハードルが低くて助かる。静の疲労の色が濃いのは横暴な兄のわがままを聞いていたのだろう。たった数秒お腹から出てくるのが遅れたミスのためだ。


「午前中は例の場所に行ったんだって? 入れ違いになったよ」


 例の場所とは廃墟の教会だ。大きな公園のすぐ近くにあるエリアだが、その中に映える教会がある。そこで映像を撮ろうと立ち入ったのだと、凪からメールで知らされていた。


「咲希ちゃんの気分が悪くなって、自転車の鍵もなくしちゃったしですぐ引きあげたの」


「あそこは立ち入り禁止じゃなかったっけ。一ノ瀬さんは風紀委員なのに見逃していいの?」


「まあでも、今回は……凪が気合入ってるし、映像撮りたいって覚悟は本物だから僕も手伝ってあげたくて。でも、少し周りに迷惑をかけちゃったかな」


 凪も静も自分を僕と呼ぶので紛らわしい。


「鍵はこれでしょ」


 椎名は自転車の鍵を見せた。51とナンバーの刻まれたキーホルダーつきだ。


「あー、その鍵私のじゃん!」


 いつもの声。振り向くと揺れるポニーテールが見えた。


「咲希のキーだったか」


「そうよ、私のイチローのキーホルダー」


 数字はイチローの背番号ということだ。子供のころに東京ドームで行われた引退試合に連れて行ってもらったとよく自慢された。そこでファンになったのか、シアトルマリナーズで最多安打を更新したシーンもこの目に焼き付いている、と思い出を改変し始めた。そのときお前は生まれてなかったのだと、いくら説明しても聞く耳を持たない思い出泥棒だ。


「よかったあ、鍵は予備があるけど思い出にはスペアはないからね」


 咲希が手を出したが、椎名は鍵を引っ込めた。


「言うべきセリフがあるよな?」


「……わかった。今までのセクハラなどの嫌がらせ行為などを受け続け、私からあんたへの好感度を数値で換算するとマイナス3753。今回は思い出のキーホルダーを拾ってくれたから数値を相殺してあげる」


「なるほどね、そうきたか」


 ふと視線を感じた。

 それはプールの飛び込み台に座る花翠のものだった。彼女はいつものように黄色いパッケージのブロッククッキーを食べている。真夏でも涼しげな女子の姿……。


「まあいいよ、ほら」


 咲希に鍵を渡してやる。花翠の前でいつもの醜い喧嘩をするわけにはいかない。


「それにしても、よく見つけてくれたよ」


「うん、まあな」


 頭上の飛行機は隣の調布市の飛行場からの小型機だ。そして視界に入る小鳥……。


「一応感謝する。これでポイントはマイナス3703ね」


 ……お前の感謝の気持ちはたった50ポイントか。


「お礼は見つけてくれたカナリアに言ってくれ」


「は? なんかの隠語? なんか今日は素直ね?」


「スワローズもアイも負けて騒ぐ気にもなれないよ」


「え、負けちゃったの? それって本当?」


 どっちのことかわからないが、咲希が意外に食いついてきた。


「……ダイアモンドアイ、負けたの?」


 透き通るような声。それはいつの間にか咲希の背後にいた花翠のものだった。


「あ、うん。ちょっとトラブルがあったみたいで」


 わずかに曇る花翠の瞳。……そもそも彼女は競馬に興味があるのか?


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