2人のこと。
2年生の高校生の夏に、私は不良仲間の先輩と付き合い始めた。どれもこれも、新しい世界ばかりであって、彼氏からもたらされるすべてのことが楽しくて仕方なかった。嫌なこともあったけれど、彼氏の甘い囁きに私はずっと囚われて、周りを見ようとはしなかった。
そうしているうちに、お腹に子供ができた。彼氏には言えなかったが、彼らのグループとドライブに出かけた帰りに、全員の相手をする事になって、彼に嫌だと言って、子供のことを告げた。結果は、好き放題された挙句、路側帯に置き去りにされた。
「崖から落ちとけよ」
バンから降ろされて、助手席の窓から笑いながら彼氏は言い残すと去っていった。
そこからは、どうしたか覚えていない。
でも、バイクのヘッドライトの光が私の記憶の中に残っている。
そして、終わることなく、今があることも。
「どうした?大丈夫か?」
受付の机に座ってカルテの整理中に動きの止まった私に、後ろから院長の声がかかった。
「ママ、大丈夫?」
3歳になる愛くるしい愛娘が私を心配そうに覗き込んできた。ふわふわのほっぺにくりっとした目に流れるような髪、幼い頃の私に瓜二つだ。
「パパ、ママ診てあげて」
心配した愛娘が院長をパパと呼んで、そのまま院長の元までいくと両手を広げて抱っこをせがんだ。
白衣のままで抱き上げると、院長は微笑んで頷いた。
「大丈夫よ。ごめんなさい、心配かけて」
「それならいいけど、でも、無理したら駄目だよ」
「夕飯を何にしようか、考えていただけだから」
適当な言い訳を見繕って私は言った。きっと院長には見透かされていると思う。
「私はカレーがいい!」
元気な声が、最近、特にお気に入りの私に手作り料理を言う。これだけは自信がある。
「じゃぁ、カレーかな。今日はもう閉めよう」
診療室の片付けが終わったのだろうか、彼は扉脇にあるスイッチを切ると奥の部屋か順番に蛍光灯の光が落ちてゆく。外は夜の帳が降りていて真っ暗だ。
「わかりました。あなたも一緒にいきましょ」
カルテを閉じて鉛筆立てに筆記用具をしまうと、愛娘を抱っこしたままの院長、いや、診療後だから夫になるのだけど、そう呼びかけて先に2人を部屋の外へ出すと受付の電気を切った。
私が連れてこられた診療所は、2階建の小さなところだった。月村診療所という限界集落に昔からある。山一つ隔てた向こうには都市が広がっているが行き来にはぐるりと回らねばならない、不便なところだった。
あのあと、私は手当を診療所の老看護師、私を助けてくれたこの診療所院長の母親にあたる人より受けた。何も言わない私に詳しいことを聞くこともなく、老看護師は微笑みを浮かべて私を手厚く世話してくれた。
院長は立場上黙っているわけにはいかなかったので、警察には連絡をして、そして私の両親にも連絡が行った。両親は2人とも再婚で私は父の連れ子だったが、2人の間に子供、つまり、私の妹ができるとそちらばかりを溺愛し、私には辛く当たる日々が続いた。そうなれば、必然的にこうなるしか道はなかった。私の居場所なんてなかったのだから。
両親はすっ飛んできて詫びた後で私を激しく責めた。それを診ていた老看護師が穏やかであった笑みを鬼の形相に変えて2人を叱りつけた。それは両親が驚くほどの剣幕で最終的に私はこの診療所で過ごすこととなった。
「あなたは今からウチの子です。なにも心配しなくていいのです」
老看護師、あ、いや、今になっては義母だけれど、そう言って過ごさせてくれた。院長曰く、名家のお嬢様だから、こうと決めたら曲げることはないので安心しなさいとのことで、私は居場所を生まれて初めて与えられた。受けてこなかった礼儀作法や、教養を時に厳しく、時に優しく、義母は親切丁寧とはこういうことなのだろうなと思わせる指導で導いてくれた。院長も私に勉強を教えてくれて、そうなってしまうと、私が惹かれていくのも無理からぬことだった。
お腹の子は堕ろす選択肢も考えたが、義母は辛いと思うが、命だけは切らないでほしい。と言い、私も一生懸命に考えた結果、出産する事にした。
産後、しばらくして、私は院長と付き合い、そして、娘が一歳になったところでプロポーズを受けた。結婚式はなく手短に済ませようとしたが、こう言った祝い事はしっかりしなければならないという村内の老人方によって、村で盛大に祝っていただいた。と言うのも、診療所の手伝いをするようになってから、村の方々が娘のように可愛がって下さり、まるで宝物のように大切にして頂いた。
「ママ、いくよー」
足を止めた私を愛娘の元気な声が呼ぶので、返事をして受付のドアを閉めた。
受付の扉には2枚の写真が貼られている。
一枚は村総出の結婚式の写真。
一枚は義母と夫と私と娘の4人の写真。
どれもこれも、笑顔の溢れる素敵な写真ばかりだ。
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