第30話 ヤンキー令嬢の拳は悪を砕く

「なんだと……? 今、この私に何と言った⁈ ルディウス!」


 パーシバルが目を剥いて聞き返す。

 とても威圧的なその様は、マルティナがルディウスの記憶の中で見た彼と同じだった。いつでも絶対的優位にありたいパーシバルは、ルディウスが自分に意見することなど決して許さない。ましてや、命令などもってのほか。彼にとってのルディウスは、自分よりも劣る愚弟でなければならないのだから。

 だが、ルディウスはマルティナの熱い眼差しに励まされたのか、強く頷いてから再び開口した。


「何度でも言ってやる。あんたは国外追放だ!」

「誰が貴様の指示になど従うものか! 弟王子でしかない貴様に……!」

「俺は王子じゃねぇよ。なぁ、父上」


 ルディウスが父を振り返る。

 パーシバルは父の言葉を予見したのか、唇を震わせて「まさか……」とかすれ声を出すが、その哀れな姿を見たからといって、最早父はパーシバルに慈悲を与えることはない。

 ロヴェル王――否、ロヴェル前王は、「この時をもって、アルズライト王国の王位をルディウスに継承する」と皆の前で宣言したのである。


 それを聞いた大広間中の人間がどよめき、ルディウスに視線を注ぐ。

 燃えるような紅蓮色の髪の新国王は、堂々たる態度で前王による最後の王命を受け入れていた。しかし、兄王子は違った。


「皆の者。これより、ルディウスの言葉は王命であると心せよ」

「み、認めない! 私は認めません、父上! これは奴の陰謀です! 私は父上に毒など盛ってはおりません。国のため、父上のために尽力してきたこの私が、そのような愚かな真似をするはずがないでしょう!」

「……わしは、良い父親ではなかった。王が何たるかを教えることができず、悪事にまで手を染めさせてしまった。すまなかった。故に、裏切りを恨みはしない。……今お前に与えられるものは、更生の道だ。受け入れてくれ」


 父の悲しそうな顔にも気がつかず、パーシバルは大きくかぶりを振り続ける。褪せた赤い長髪を揺らし、狂ったように「違う」、「認めない」を繰り返す。そしてその矛先は、そばにいたマルティナへと向けられた。


「君なら分かってくれるだろう、マルティナ。私は正しい。誤っているのはルディウスや父上だ。【未来視の瞳】を失ったルディウスなど、何の価値もない。私は王になるべき存在なのだ。そうだろう? そう思うだろうッ?」

「パーシバルでん……、いたっ!」


 両肩を強く掴まれ、痛くなるほど揺すられる。

 追い詰められたパーシバルが自分にすがってくるであろうことは予想していたマルティナだったが、いざ対峙すると哀れを通り越して腹が立ってきた。


(あぁ。こんな情けない方が、王になるなどと……! ちゃんちゃら可笑しいですわ!)


 マルティナを助けようと動きかけるルディウスと視線が重なり、「ご心配なさらず」と目で答える。元より、無礼講の許可は既にロヴェル前王から貰っているのだ。

 だから、マルティナは力いっぱいパーシバルの手を振り払うと、大声で彼を叱責した。


「貴方は自惚れ屋さんのお馬鹿さんですわ! ルディウス殿下が【未来視の瞳】のおかげで王位を約束されていたとお思いのようですが、お父上はそのようなことを一度でも仰られましたか?  国の未来が見えるからなんですか! 見つめるべきは未来に導くべき民。考えるべきは他者を陥れることではなく、如何にして奮い立たせるかではありませんことっ?」

「お、おかしい……! 君は、ルディウスではなく私のこのとを愛しているはずだ! 幼い頃からいつも、私のことを見てくれていたではないか! お楽しみは? 婚約発表後のお楽しみはどうなる?!」

「心当たりがごさいませんわ」


 パーシバルはマルティナの剣幕に唖然とした顔で「ま、まる……」と言葉を詰まらせながら後退る。精神的なパンチを食らい、冷静な思考など消し飛んでいる様子である。

 このまま公衆の面前で変なことを言い出されては困ると、マルティナは「婚約破棄させていただきますわ」とトドメの一言を言い放った。


「わたくし、ルディウス陛下の婚約者にして一番の腹心ですの」

「な……! あ、あり得ない! わかったぞ。君は何者かに洗脳されているのだ! そうでなければ、何か弱みを握られ脅されているのだろう? 私が救ってやろう! 今すぐに!」

「誰が洗脳なんて……!」

「殺してしまおう。君以外すべて! ルディウスであろうが、父であろうが、誰であろうがかまわん。王は孤独であり、屍の上に立つ覚悟が必要なのだから!」


 パーシバルは狂気じみた笑顔を浮かべながら、落ちていた魔剣を拾い上げる。込められた炎の魔術はどす黒い感情を吸い挙げて大きく燃え上がり、剣先はルディウスだけでなく、周囲全ての貴族たちに向けられた。まるで、殺意の塊。まさに、乱心という表現がぴたりと当てはまる状況に大広間は震え上がる。


 しかし、マルティナは違った。

 余裕たっぷりにラピスラズリ色の髪をふわりと掻き上げると、それからぐぐっと右の拳を固く握って雷の魔力を溜める。

 ビンタの嗜みはあるが、グーパンチの経験はない。だが、やり方は彼が教えてくれた。

 腕っぷしが強く、オラオラしている彼――ルディウスの「前世」が。


「未来の王の婚約者は、ちょっと悪いくらいでなければ務まりませんの。それこそ――」


――いくぜ、マルティナ! 体重と魔力乗せて、ぶちかませ!


「ええ! ヤンキー令嬢くらいの器量がなければ!」


 マルティナの左の中指で、翡翠色の指輪が瞬く。

 それを見たパーシバルが、自分の指から指輪が抜き取られていることにようやく気がつき慌てるが、時すでに遅し。彼がハッとした時には、マルティナの蒼雷を纏った強烈な一撃が左頬に炸裂。魔剣の炎は掻き消え、魔剣そのものも大広間の天井に飛んで突き刺さった。


「ふぐぉぉぉぉっっっ!」

「今のは、お父上の分ですわ!」


――左、溜めて打て!


 マルティナの内に「前世」の声が響く。

 ルディウスの「前世」と指輪越しに会話をするなど、できてしまっていいのだろうか――などとは、思わない。なぜなら彼は異世界転生者。常識や秩序を超えた、天下無双のご都合主義な存在なのだから。


「これは、欺かれた民草の分!」


 氷結で固められた左の拳が、ドゴォォォンッという重低音を立ててパーシバルの右頬にめり込む。クリティカルヒットだ。

 だが、これまでにないほどの量の魔力を凝縮しているせいで、両の拳が高温やけどを負ったかのようにズキズキと痛む。このまま次の一発を放てば、手首から下が爆散しそうである。


(それでも、わたくしは――)


――止まるんじゃねぇ! を信じろ!


 彼の言葉は、未来が見えるために発されたものではない。

 絆から得た自信と確信が、全てに終止符を打てと叫ばせている。


 ルディウスを自由にするために。

 過去と決別し、原作にない未来を歩むために。


「ティナ!」という声が近くで聞こえたかと思うと、左手を大きな手で包み込まれる。それは駆け寄って来たルディウスの手であり、強力な癒しの魔術を流し込むものだった。

 すると、途端にマルティナの崩壊寸前だった右の拳が息を吹き返し、再び魔力が豪音をあげて溜まり始める。


(ならば、わたくしも!)


 マルティナは、繋いだ手を介してルディウスに魔力を流す。彼ならば、暴れ馬のようなマルティナの魔力を受け止めてくれると信じて。


「ティナのために!」

「殿下のために!」


 手を強く握り合った二人は、空いている手――雷と氷でガッチガチに武装された拳を大きく後ろに引くと、次の瞬間には力いっぱい前へと繰り出した。

 すると、大広間に耳を塞ぎたくなるような轟音がとどろき、激しい稲光と氷の嵐が唸りを上げて直進していく。パーシバル・フォン・アルズライトに向かって。


――ぶっ飛びやがれぇぇぇっ!


 マルティナとルディウスが拳を振り切るのと同時に、大広間の横壁を二人の魔術がくり抜き、大穴を開けた。つまり、壁をぶち破り、パーシバルを王城の彼方遠く遠くへと吹き飛ばしたのである。

 数日内に王城に二つ目の大穴が開くなどと、誰が想像しただだろう。


「ま! いちばん星……」

「相変わらず、パーの台詞吐いてんな」


 手を繋いだま、壁に開けられた大穴から夕空を見つめるルディウスは、やれやれといった表情で笑っていた。釣られて、マルティナも「デジャヴですわね」と微笑む。

 そして、二人が絡め合う指の間から、翡翠色の光が淡く漏れ出し――。


――最っ高にイカしてたぜ。ヒーロー。ヒロイン。


 満足そうに、しかし少し寂しそうな「前世」の声がマルティナとルディウスの胸に響いたのである。



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