第29話 ご令嬢は断罪フラグを折って立てる

 怒りを滲ませるパーシバルが叫ぶと、来場者たちがその只ならぬ剣幕に押されて大広間の隅へとはけていく。普段穏やかなパーシバルが声を荒げる姿が信じられないのか、息を呑む者の呼吸が重なって聞こえてくる。

 だが、マルティナはパーシバルが如何にルディウスを羨み、妬んでいるかを知っていた。だから、驚くことも怯むことはない。


「パーシバル殿下、まさかこの方がルディウス殿下だと? まぁ! びっくり仰天ですわぁ!」

「そうだ。私の目は誤魔化せん。マルティナ、それは危険な男だ。今すぐこちらに来い」

「そんなそんな。弟君に対して、物騒ですわね。剣を収めさせてくださいな」

「それはできん。私は君を救わねばならぬ。何故なら、ルディウスは父に毒を盛るという大罪を犯したからだ」

「まぁ! 酷いお話ですわ!」


 マルティナが言ったのとは違う意味で、大広間には「なんと酷いことか」と戦慄が走る。ロヴェル王の不調は実の息子であるルディウスによるものだったという衝撃の事実を聞かされたのだから、当然だろう。「王は毒のせいで……」、「父親に毒を盛るなど、許せん」、「人の心がない」などと仮面の青年を侮蔑する言葉が飛び交い、冷たい視線が彼に突き刺さる。

 だが、当の仮面の青年は沈黙を貫いており、弁明も抗議もない。静かにパーシバルや来客たちの言葉に耳を傾けている様子だった。だから、喋るのはマルティナとパーシバルだ。


「ルディウス殿下が陛下を毒殺しようとなさったと? いったいなぜですの?」

「次代の王というプレッシャーに耐え切れなくなり、王位継承権を与えた父を逆恨みしたのだ。寛大な父の意向でこのことは伏せおき、ルディウスは国外に追放することとしたのだが……。私はこれ以上は我慢ならぬ。父を病床へ追いやり、我が婚約者をかどわかす貴様を私は許しはしない! 王家の名誉など地に堕ちてもかまわぬ故、この場で貴様を裁く!」


 パーシバルが指で指示をすると、彼の親衛隊たちがギラリと鈍く光る鋭利な剣を抜いてマルティナたちを囲み、にじり寄る。数の暴力をする気満々である。

 そのタイミングでマルティナは急いでパーシバルの元へと走った。「怖いですわぁ。助けて、パーシバル殿下」と甘えた声を出しながら。


「わたくし、ルディウス殿下に悪事をはたらく度胸なんてないと思っておりましたもの。信じられませんわ」

「それも仕方あるまい。奴はそれだけ狡猾なのだ。安心しろ。私が伴侶として君を守ろう」


 マルティナはパーシバルの背中に隠れるようにして身体を寄せる。すると、パーシバルは顔を真っ赤にしながらも目一杯キザな台詞を口にした。彼がまんざらでもないどころか、内心踊り出しそうなくらい喜んでいることが手に取るように分かってしまうが、可愛いなどとは決して思わないマルティナである。


 パーシバルは、あくまでも正義のヒーローという姿勢を貫きたいらしい。自身の格と人望を高めるために、ルディウスを徹底的に貶めようとしている。いや、それ以上に堂々と殺めるつもりだろう。

 その証拠に、パーシバルがひらりと抜いた剣には彼の炎の魔術がごうごうと宿り、仮面の青年に照準を合わせている。おそらくあの剣は、一定時間治癒術を封じることができる自己治癒術阻害の呪術が込められた魔剣に違いないと、マルティナは確信する。ルディウスの記憶で垣間見たパーシバルならば、無意味に普通の剣をルディウスに向けはしない。パーシバルは、どこまでもルディウスを傷つけ苦しめたいのだ。


(あれを殿下が食らったら、致命傷間違いなしですわ……)


 マルティナは分かっていても恐ろしくなり、つい目をつぶってしまう。

 パーシバルが雄々しい叫びと共に炎の魔剣を振り下ろす熱気を肌で感じ、炎弾が仮面の青年にめがけてぶっ飛んでいく音を聞いた。そして、仮面の青年が炎の魔術を相殺すべく展開した光の魔防壁が砕かれる音と、生命を癒す治癒魔法特融のふんわりと柔らかな音も。




「ルディウス! 貴様、長きに渡り、私を欺いていたのか? 治癒術しか使えぬと嘘ぶき……。いや、それでは治癒の説明がつかん。何故……、何故貴様は私の眼前に立ちはだかるのだ!」


 マルティナが目を開けると、開き切った瞳孔を震わせながら立ち尽くすパーシバルの姿があった。驚きのせいか、魔剣が右手から床にカランと落ちていく。そして、彼は視線で相手を殺そうとしているのではないかというほどの憎悪の瞳を仮面の青年に向けていた。

 なぜ、治癒魔術しか使えないはずの弟が光の魔術を使うことができたのか。なぜ、自己治癒術を阻害するはずの魔剣による攻撃を受けていて、傷が回復しているのか。それがパーシバルには分からなかったのだ。


 すると、仮面の青年がようやく口を開いた。同時に白銀の仮面と紅蓮色のウィッグをしながら。


「残念だ。自分の魔術だけで貴方の攻撃を防げなかった。まだまだ精進しなければならないね」


 瞳の色を変えて見せる仮面の下から現れたのは、透き通るような蒼眼。ウィッグで隠されていたのは、眩い金の髪。スラリとした長身の青年は、自ら名乗りを上げる。


「僕は魔術学院生徒会長兼、アルズライト王国内務卿コルバティール伯爵家嫡男ディヴァン・フォン・コルバティール! 畏れ多くもルディウス殿下の代理として、この場に立たせていただいた!」

「こ、コルバティールのせがれだと⁈」


 分かりやすく慌てた表情を浮かべるパーシバル。だが、大広間に居合わせた者たちは、コルバティール伯爵の息子がルディウスに変装していた理由も、パーシバルが狼狽する理由も分かるはずがなく、不穏な空気が満ちていく。

 マルティナも、「まぁ! どういうことですの……?」と不安そうな言葉をつぶやきながら、パーシバルの右手に指を絡め――。





 その時、大広間の扉が勢いよく開け放たれた。


「ティナのエスコートは俺の役目に決まってんだろうが!」


 マルティナの愛称を呼ぶ聞き慣れた声――愛しい人の声に、マルティナは笑顔で入り口の扉を振り返る。

 会いたかった。その気持ちが満たされていく。


「ルディウス殿下!」

「よぉ。父上がなかなか生き返らなくて手間取ったぜ」


 扉の前にいたのは、瞳こそダークグレイに変わっているが、紅蓮色の髪をした青年――ルディウス・フォン・アルズライトその人だった。

 ルディウスは纏っていたくたびれた外套を投げ捨てると、銀地の礼服姿になって歩を進める。そして、彼の後ろにはマルティナの侍女のステラと、なんとロヴェル王の姿まである。ロヴェル王に至っては、顔色も良くなり、堂々と二足で歩き、白く濁っていた瞳まで美しい翆眼に戻っている。


「ルディウス。わしを勝手に殺すでないわ」

「8割あの世に足突っ込んでただろ」

「私の見立てでは、9割でしたね」


 三人はパーシバルそっちのけで軽口を叩いている。

 その何ともゆるりとした温度の会話に、大広間の貴族たちは戸惑いを隠せない。なぜ、国外にいるはずのルディウスがいるのか。なぜ、病床に臥せているはずのロヴェル王が健康そのものな様子でここにいるのか。変装をしていたディヴァンのことも含め、答えを導き出せる者はいなかった。もちろん、パーシバルも。


「父上とルディウスが何故共に……!」

「パーシバルよ。それは、ルディウスがわしを治癒術で癒してくれたからだ」

「死の淵におられた父上を……?!」

「あぁ。お前がコルバティールの令息をルディウスだと思い込み、警戒している間にな」


 ロヴェル王の言葉に、パーシバルはルディウスとディヴァンを交互に見つめて青くなった。図られたと気がついた時には既に遅く、反論する間も与えず今度は大広間の奥からローゼン伯爵が現れる。


「私はディヴァンとステラを伴い、この場にやって来た。貴殿の部下に見張られているのは居心地が悪かったが、お陰で警備を手薄にできた」

「ば、馬鹿な。父上の部屋の周囲には、兵がいたはずだ! いくら警備が薄くなったとはいえ、国外追放を受けたルディウスが侵入できるわけがない!」

「眠り薬です。貴殿なら、よく存じておられるのでは?」


 人々の群れから前に進み出て来たのは、クンツァイト公爵と娘のヒルダジルバ姉妹だ。軽蔑した表情でパーシバルを睨んでいる。


「眠り薬を香のように炊き上げ、兵たちには眠っていただきました。なかなか強力な代物ですね」

「私たちに送り付けて来たアレです! ソレが陛下に飲ませていたコレと同じ研究施設で作られていたこと、貴方が研究員たちに指示を出していたことをお父様が突き止めました! ね、ジルバ」

「そして、閉店ガラガラガッシャンです。ね、ヒルダ姉さま」

「えぇと、陛下と殿下を陥れる毒や眠り薬を製造していた施設は、クンツァイト公爵家によって取り潰させていただいた! 貴方が秘密裏に建てた施設であるという証言も得ている」


 クンツァイト父、翻訳をする――というのは置いておいて。

 次に声を上げたのは、ディヴァンとステラだった。


「貴方は僕とステラが逆らわないように、毒の首輪と付けた。ルディウス殿下を殺せば、外してやるという条件を付けて。だが、僕たちは自ら首輪を外した!」

「毒で死ぬとお思いでしたよね? 残念。私たちには、殿下がかけてくださっていた自動治癒魔術がありましたから、一瞬で解毒されましたよ。地獄が見えかけましたけど」


 二人は懐からちぎれた首輪を取り出すと、ごみ同然に床にポイと投げ捨てた。


「自動治癒魔術が毒が回る速度に追いつけるかは賭けだったが、僕たちは殿下を信じているし、命を懸けるに値する主君だと思っているからね」

「私は、マルティナが信じるルディウス殿下を信じたまでです」


 ジェルマン侯爵が貴族たちの輪の中で、「彼らを保護したのは私なのだよ」と自慢しているが、それは置いておいて――。


「むず痒い。黙れ、お前ら」


 ルディウスがディヴァンとステラを疎ましそうに、しかし少し照れながら二人を後ろに下がらせ、自分はパーシバルに近づいていく。

 小さく震えているのを隠して。かすれそうになる声を張り上げて。


「暗殺者は全員とっ掴まえて、ローゼン伯爵に引き渡してある。全員、兄上の指示で動いたって吐いたらしいぜ」

「そ……、それは貴様が父上に毒を盛ったが故の断罪が目的で――!」

「これだけ証拠が出てんのに、まだシラ切んのかよ。だせぇからやめろよ」


 ルディウスはぶっきらぼうな物言いとは裏腹に、悲しそうな瞳でパーシバルを見つめていた。揺れるダークグレイの瞳には、わなわなと震える兄の姿が映る。本当は目を背けたいけれど、守りたいものがあるルディウスがもう逃げ出すことはない。「俺はもう逃げねぇ」。マルティナには、彼がそう言っているかのように見えた。


(殿下。大丈夫、皆がついていますわ)


 マルティナは、パーシバルの後ろからルディウスに頷きかける。

 過去のトラウマに負けない愛と勇気を貴方に。

 貴方はもう自由に未来を選び取れるのだから、と。


「兄上……。いや、パーシバル! 前国王暗殺を企てた罪は許されねぇ。ルディウス・フォン・アルズライトの名の元に、あんたを国外追放する!」


 ルディウスの声は大広間に流れる混乱した空気を一瞬で沈め、震わせた。



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