第6章 ご令嬢は婚約破棄を認めない
第28話 ご令嬢は舞い踊る
諸侯会議から数日間。マルティナはパーシバルからのデートの誘いをのらりくらりとかわしながら、父に会ったり、与えられた部屋で読書に勤しんでいた。もしパーシバルが「婚約したのだから、いいではないか」と迫ってきても、
「ま! パーシバル殿下ってば、せっかちさんですわね。お楽しみは婚約を発表してからにいたしましょう」
この言葉を盾にマルティナにっこり、パーシバルでれでれ、である。
パーシバルが何を楽しみにしてくれているかは分かりかねるが、彼がこちらにぞっこんラブでいてくれているお陰で、マルティナは婚約発表舞踏会の裏の準備をスムーズに進めることができた。
作戦が成功するかは分からない。だが、パーシバルのような凶悪性と自己中心的な思考を持った人間をアルズライト王国の王にするわけにはいかない。国民、病床のロヴェル王、秘密裏に毒の首輪を付けられ国外追放されたディヴァンやステラ、幼い頃から苦しめられていたルディウスのためにも、マルティナはしなければならない。「ざまぁ」を。
そして、そろそろ定刻が近いだろうかと、マルティナは読みかけの異世界転生小説を机に置いて鏡の前に立った。鏡の前で、マルティナは優雅に微笑む。ステラではない王城のメイドだちによって着飾られることにはまだ慣れないものの、今日のドレス――夜空のような深い藍色のノースリーブドレスはなかなか良い。そして、ツンと高いハイヒールも。
(殿下よりも、身長が高くなってしまいますわね。怒られてしまうかしら?)
ラピスラズリ色の髪を掻き上げ、ハイヒールをカツンと鳴らす。向かう場所は、婚約発表が盛大に行われる王城の大広間。愛憎渦巻く舞踏会。
「さぁ。ショータイムですわ!」
***
同時刻、王城の正面入り口が大いにざわついていた。
婚約発表舞踏会に訪れた貴族たちの馬車の一つから、目元を隠す白銀の仮面を付けた青年が現れたからである。仮面だけではなく、燃えるような紅蓮色の髪も目を引いた。国の貴族であれば誰しもが知るその髪色は、先日国を出たとされる第二王子のものと同じだったのだ。
そんなはずはないと、パーシバルの息のかかった兵士は「失礼ですが、仮面を外していただけますか」と怪訝な声で尋ねる。
第二王子は、婚約者だけでなく仲間の命まで握られ、兄王子に逆らえないままに国外に追われたはずなのだ。その後、暗殺者も派遣されており、今頃生きているはずがない。
だが、万が一彼が生きていたら……?
兵士は第二王子が主君を告発する姿を想像し、思わず目の前の白銀の仮面に手を伸ばそうとした。しかし、その手は横からパシンと払われてしまう。兵士はハッとしてそちらを向くと、眉根を寄せたローゼン伯爵が侍女を伴い、すぐそばに立っているではないか。
「ろ、ローゼン伯爵……!」
「無礼だぞ。彼は私の連れだ。通せ」
ローゼン伯爵の鋭く威圧的な視線に射すくめられた兵士は、「失礼致しました!」と慌てて頭を下げて脇に退いた。ローゼン伯爵の表情は険しく、とてもではないが娘の婚約を祝う親の顔ではない。パーシバルのことを快く思っていないと噂で聞くため、当然かもしれないが。
そのことも含めて、兵士は「そういうことか」と合点がいった。
――ローゼン伯爵が連れるということは、ますますあれは第二王子に違いない! なぜ生きているのかは分からないが、第二王子は伯爵と共にクーデターを起こす気だ!
兵士は、ローゼン伯爵と白銀の仮面の青年の後ろ姿を黙って見送ると、すぐさまパーシバルの元へと走り出した。
二人を見張り、クーデターを未然に防がなければならない。もし、あの【
***
華やかに飾られ、優雅な音楽が流れる王城の大広間――。
そこには、第一王子パーシバルの即位の内定と婚約を祝うために、たくさんの人々が集まっていた。顔の知れた諸侯だけではなく、滅多に王都に訪れないような辺境伯や貴族騎士団長、貴族の大魔術師といった国中の有力者たちが訪れていた。名目は婚約発表舞踏会であるため、優雅な演奏団による音楽に合わせて踊る美しい令嬢たちに目が行きがちにはなるのだが、実際のところは政治と金が動くイベントである。
つまりは、次期国王への取り入りを目的として動く者たちがいるということだ。なかなかメインの婚約発表にたどり着かず、パーシバルは数えきれないほどの貴族たちからひっきりなしに挨拶をされ、高額の祝いの品を渡され続けている。隠さない賄賂といったところか。それとも、祝いの品の箱の中には金が入っているのかもしれないと、マルティナは目を細めてその様子を見つめていた。
(皆、次期国王に取り入ろうと必死ですわね。税がああだの、領土がこうだの聞こえてきますわ)
仮にもマルティナは本日の主役の一人のはずだと言うのに、長らくほったらかしである。パーシバルの婚約者であるため、他の令息からダンスの誘いは来ないし、話しかけてくれるような令嬢もいない。孤独極まりない。
なんだか、魔術学院で催されたルディウスの誕生日の夜会を思い出してしまう。
あの時も、マルティナは独りぼっちだった。ルディウスが自分を夜会に招いてくれたのではないかと期待し、舞踏会でパートナーにエスコートされることを夢見ながら、ラピスラズリ色の髪をもてあそび――。
マルティナはついぼうっとしてしまっていたのだが、不意に大広間がざわつき始めたことに気がつく。
「そこの殿方は、ルから始まるあの御方では?」、「まさか、隣国からバッとご帰還された?」と、令嬢たちが甲高い声で騒ぎ立て、会場中の来場者たちの視線を一心に集めるその人物は――。
「マルティナ・リタ・ローゼン伯爵令嬢。一曲お相手願います」
目元を隠す白銀の仮面を付けた長身の青年が、海のように割れていく人々の真ん中をゆっくりと歩いてやって来る。彼の燃えるような紅蓮色の髪は、マルティナの瞳に静かな闘志の現れとして映った。
「わたくし、次期国王の婚約者ですわよ?」
「では、殿下にバレぬうちに」
皆が見ていることを承知で、仮面の青年は悪戯っぽい笑みを口の端に浮かべながら手を差し伸べてくる。断られることなどありはしないという自信に満ちた誘いに、マルティナも釣られて笑ってしまう。
「あぁ。初めてのダンスのお誘いが、貴方からだなんて」
ある意味一生忘れることがないかもしれないと、マルティナはため息まじりに華奢な手を重ね、コツンとヒールで大理石の床を蹴った。
どこかの音楽好きの侯爵が「極上のミュージックを!」と音楽団に向かって指を鳴らすと、これまで演奏されていた上品ななワルツから軽快なポルカへと楽曲が切り替わり、人々は思わず目を見張った。大広間の中心に躍り出たマルティナと仮面の青年のダンスがあまりにも魅力的だったからである。
マルティナが仮面の青年に手を引かれ、くるくると回る姿はまるで美しい花が咲いたかのよう。一方、仮面の青年のダンスは指の先まで優美で繊細に見え、絶妙なタイミングでマルティナをリードしている。
初めて合わせたというのにこの踊りやすさは流石というべきかと、マルティナも相手に対して心の中で感服せずにはいられない。
(楽しい時間ですけれど……)
マルティナの青と仮面の青年の赤が人々を魅了し、まるで彼らの時を止めたかのように意識をさらう――。ただし、パーシバルと彼の親衛隊以外の。そのことをマルティナは肌でピリピリと感じ取っていた。
媚びへつらう貴族たちの中心にいたパーシバルに一人の兵士が駆け寄り、何やら耳打ちをしている。すると、パーシバルの顔が、みるみるうちに嫉妬と怒りに満ちたものへと変わっていく。大広間でマルティナと仮面の青年が優雅に踊っていることに気がつき、周囲の精霊が沸騰した湯のように熱く震え出す。
彼の内側の狂気が仮面の青年の存在を許さないことは想定済みであったものの、その変貌ぶりにマルティナの背筋は思わず寒くなってしまう。
だが、怯えてはいけない。
毅然と振る舞い、胸を張れと、マルティナは己に言い聞かせて踊り続ける。たとえ、殺気を向けられたとしても。周囲をパーシバルの親衛隊に囲まれても。
自らを鼓舞するマルティナは、仮面の青年に腕を絡めながらその顔を見上げた。
そう。見上げたのだ。
「時間は稼げましたかしら?」
「あぁ。フィナーレといこう!」
名残惜しくも曲は終わり――。
マルティナと仮面の青年が美しいポーズでピタリと動きを止めても、拍手は聞こえてこない。静まり返った大広間に響くのは、一人の男性の声だけだった。
「何故、貴様がここにいる。私のマルティナから離れろ。ルディウスッ!」
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