第27話 婚約は反撃の狼煙と共に

 なぜ、マルティナがパーシバルからの婚約の申し出を快諾したのか。その理由は、パーシバルがマルティナにプロポーズをした直後にまで遡る。

 始めは、己との婚約について「拒否は認めない」とまで言い切ったパーシバルを、もちろんマルティナが素直に受け入れることなどなかった。何言ってんだこいつ、といった呆れ半分驚き半分の視線を相手に向けると、口でも「ちょっと仰っておられる意味が分かりませんわ」と首を傾げながら言った。


 だが、パーシバルはまったく気にも留めない様子で話を続けた。


「父上の状態は、直接会って理解しただろう? もう、いつ亡くなられてもおかしくない」

「……そう、ですわね」


 マルティナは、パーシバルが淡々と実の父の死後を語ることが怖かった。極端に現実逃避をしてほしいわけではないが、彼が実父の状況を全く悲しんでいないことが見え透いていすぎてゾッとしたのである。なにせ、呑気にアフタヌーンティーに誘ってきたくらいなのだから。


「父王の死で国を混乱させるわけにはいかない。一刻も早く次代の王を選定しておく必要があるのだ。賢い君ならば、そのことは理解できるな?」

「賢い者ならば、次の王が王位第一継承者のルディウス殿下であることも分かると思いますけれど?」

「あの愚弟を買っているようで気の毒だが、アレは王の器ではない。父王の危篤を知るや否や、逃げるように他国への留学を言い出した腑抜けだ」

「りゅ、留学?」


 驚きのあまり思わず、パーシバルの言葉を繰り返してしまった。

 このタイミングで他国への留学を希望するということは、無責任に王位を放り出したも同然だ。兄に全てを押し付け、自分は他国で気楽に過ごす……、そんなふうに捉えることができる言葉だ。


(かつての『今世』の殿下ならば、そのような愚行に出られても不自然ではありませんけれど、『前世』の記憶がそれを許すとは思えませんわ。……いいえ。最近の『今世』の殿下だって、ちゃらんぽらんではなかったですわ! 殿下は、民のため、未来のために行動しておられましたもの!)


「ルディウス殿下に会わせてくださいまし! 婚約者に勝手にいなくなられては困りますもの」

「マルティナ。可哀想だが、アレは私が止めるのも聞かずについ先ほど城を発った。もう、二度と戻って来ることはないだろう」


 それを早く言いなさいよと、マルティナは弾かれたように階段を駆け下りようとした。だが、今ならまだ追いつけるかもしれないと、ヒールを脱ぎ捨てて全力ダッシュをする寸前でパーシバルの右手に腕を掴まれてしまう。「行くな」と語気を強めるパーシバルの瞳には嫉妬の色が滲んでおり、同時にマルティナは全てを知ることとなった。


 決して、パーシバルの視線のみで事の全貌を理解したわけではない。

 唐突に、過去の音と景色――ルディウスの記憶と思しきものが脳内に直接流れ込んできたのである。


 アルズライト王国を愛する気持ち。

 大好きな兄に認めてもらえない苦悩。

【未来視】の瞳を持つが故に、次期王に選ばれてしまった焦燥。

 兄からの嫉妬と暴力。そして恐怖。

 自らを偽り、周囲から侮蔑される道を選ばざるを得なかった情けなさ。

『前世』の力を借りて、運命を変えようとした希望。

 希望を失い、再び堕ち行く絶望。

 マルティナを守りたいという想いと変わらぬ愛。


『ティナのためなら、何だってする。俺は、ティナを幸せにしたい。……たとえ、その隣が俺じゃなくても』


 ルディウスの悲しい声が胸に刺さり、マルティナの碧眼から大粒の涙が零れ落ちる。


 自分はずっと彼に守れらていた。

 彼を軽薄だと罵り、何も知らずに距離を置いていた。

 小説のヒロインのように婚約破棄を待ち望んでいた。

 一番そばにいたはずの自分が、どうして彼の心を理解しようとしなかったのだろう。

 自分は、ずっとずっと彼に愛されていたというのに。


(今のは、なんですの……?)


 自分の身に何が起こったのかが分からず、慌ててパーシバルに掴まれていない方の手で涙を拭うマルティナ。

 そして、潤んでぼやけていた視界が鮮明になると、マルティナの腕を掴むパーシバルの右手の中指にマジックリングと思しき指輪の存在が見て取れた。それは、ルディウスやかつてのロヴェル王の瞳の色にそっくりな翡翠色をしていたのである。


 マルティナは今見たばかりの映像の最後――つまり、パーシバルの陰謀と策略を示す記憶を思い出し、ハッとした。


(殿下の『前世』は、この指輪に閉じ込められていて、わたくしに直接殿下の記憶を流したのですわ! パーシバル殿下の悪事を暴き、陛下やディヴァン、ステラ、『前世』をも助け、ルディウス殿下のお心を救うようにと――!)


「マルティナ。それはルディウスのことを想っての涙か?」


 腕を掴むパーシバルの手にさらに力がこめられ、その痛みをきっかけにマルティナはぶち切れた。


「そうに決まってますでしょう!!!!」


 マルティナは大声で叫ぶと同時に腕に雷魔術を流し、驚いて緩んだパーシバルの手を力いっぱい振り払う。そして、怒りに任せて振り払った手は勢いを保ったまま空を斬り――。


 ビカビカビカァァァァッッ!


 マルティナの腕から拳に溜まった雷魔術が水平にほとばしり、王城の壁を突き破って飛び出していく。その距離、数里。

 外から見れば、突然王城の上階から横向きの特大雷ビームが発射されるという不可解で恐ろしい光景だっただろう。実際、すぐそばでそれを見ていたパーシバルは、マルティナが放った天変地異の如き一撃に腰を抜かしていた。マルティナがこのような大魔術を扱えると思っていなかったらしく、パーシバルは「ま、ま、ま、マルティナ……!」と上手く言葉が出てこない様子である。


 その姿を見て、マルティナは確信した。


(大丈夫ですわ。たとえ、前世の記憶がなくても。チートスキルがなくても。選ばれた聖女や悪役令嬢でなくても、この悪党には負けません! わたくし……、いえ。は!)


 雷魔術で無残にえぐれ、焦げ臭いにおいを放つ王城の壁の前で、マルティナはパンパンとドレスについた埃を払い、コホンと軽く咳払いをした。為すべきことは、もう分かっていた。


「あ~、スッキリ。ルディウス殿下とお別れできて、涙がでるほど嬉しいですわ。……で、パーシバル殿下はわたくしを娶ってくださるのですわよね? お城の修繕、よろしくお願いいたしますわ~」


 ラピスラズリ色の長い髪を指で梳きながら、カツカツとヒールを打ち鳴らしてパーシバルの隣を優雅に歩いて抜ける。しかし、その速度はまるで競歩。慌てて立ち上がって追いかけて来るパーシバルの笑みなど見たくはないのである。


(わたくし、絶対に負けませんわ。殿下)





 ***

 マルティナがパーシバルと対峙していた頃、くたびれた外套がいとうを纏い、王城の裏の森に潜む者たちがいた。

 一人は黙って俯き、残る二人は不安と恐怖を振り払うかのように会話を交わしている。三人は、つい今しがた不本意な出国命令を受けたところだった。


「あれがパーシバル殿下の真の顔だというのか。陛下に毒を盛り、実の弟であるルディウス殿下を国外に追放するなど、許せるものか! 抗うべきだ!」

「抗うって言っても、私たちに毒の首輪が付いているせいで、殿下は逆らえなかったんですよ? いろいろと詰みです」

「だが、命ある限り戦うのが騎士だ」

「命、ですか。国外追放とは名ばかりで、おそらくすぐに暗殺者が来ると思います。確殺ですよ」

「君は諦めていいのか? マルティナ嬢の元に戻りたくはないのか?」

「戻りたいに決まってるじゃないですか……! 賢いくせに馬鹿ですね!」


 感情が溢れ出し、涙するメイド服の女性。悔しそうに唇を噛みしめる金髪の青年。

 そして、俯いている紅蓮色の髪の青年が「ごめん……」とくぐもった声を出す。その青年の瞳は暗い灰色をしており、生気がまるでなかった。


「未来が見えなくなった……、いや。『前世』がいなくなった俺には、特別な力なんて何もない。運命を変えるような知識も、特異な魔術も、全部ぶち壊せるような拳も……」


 青年の言葉に、沈黙が流れる。

 彼は、二重に創り上げていた虚像を失った。今はただひたすらに愛する人の幸せを願い、残った自分の非力さと臆病さを呪うことしかできない。


(なぁ、『前世』。原作通りじゃなくなった物語はどうなるんだよ? 全部がバッドエンドなのか? どうにかして、俺だけの不幸で終わるようにできないのかよ……)


 胸の内に語りかけても、答えてくれる者はもういない。運命を変えようと未来を指示してくれた相棒は、奪われてしまった。


 だが、その時。

 青年の問いに応えるかのように、空を横切る稲妻が視界を駆け抜けた。暗い瞳に光を映し、美しく輝かせるほどに強烈に明るい稲妻だった。


 あれは――と、青年は思う。


(俺に諦めるなって言ってんだよな? 自分は負けないって、そう言ってんだよな?)


 彼女は、あの兄の手に負えるような令嬢ではない。この雷の大魔術――愛しい人が上げた反撃の狼煙を見て、心の底から思う。あいつの隣は、俺でなくてはいけないと。俺も、諦めてはいけないと。


「……ディヴァン、ステラ。俺に付き合ってくれるか?」


 青年のダークグレイの瞳が燃え上がる。

 そして、決意を帯びたその瞳は仲間たちを奮い立たせるには十分だった。二人は膝を折り、声を揃えて言う。


「地獄の果てまでお供します。ルディウス殿下」

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