第26話 諸侯会議はポルカを踊る
マルティナが王城に来てから二日後。
王国の有力諸侯たちが王城に緊急招集され、会議が開かれていた。
議題は、現王であるロヴェル・フォン・アルズライトが危篤状態であるが故の後継者問題。本来であれば、既に決まっている王位継承順位から第二王子ルディウスが指名されるはずっだたのだが――。
「皆、周知の事実かと思うが、以前からルディウスには王に相応しくない言動が目立っていた。学友たちと遊び惚け、婚約者がいながら令嬢たちを侍らせていた。勉学や武術も蔑ろにし、自分は王位を継ぐ気がないのだと口にしていたという。そのような不誠実な者が国を治めることなどできようか? いや、不可能だ。ルディウスにアルズライト王国の王は務まらぬ。そう判断したのは、他でもない父王ロヴェルである!」
王城の一室の円卓で声高々に話しているのは、第一王子パーシバルだ。
有力貴族たちを相手に熱く弁を振るい、いかにルディウスが愚かな弟であるかを語り、彼らを頷かせていく。しかし元々、数だけならば圧倒的にパーシバル派が優勢であるため、賛同者は何も言わなくとも勝手に首振り人形のように頷くのである。
「ロヴェル王がそう仰られたのならば、そのお言葉に従うのが臣下である我らの務め。ルディウス殿下に王位継承権を破棄させ、第一王子のパーシバル殿下のご即位を薦めようではないか!」
「この私、内務卿ディラン・フォン・コルバティールも賛同致す。パーシバル殿下のような人徳のあるお方ならば、貴族の規範となり、平民たちを太平に導いてくださるに違いない」
カルロス侯爵とコルバティール伯爵を筆頭に、貴族たちが「パーシバルを王にせよ」と声を大きくする。彼らにとってのパーシバルは、文武両道な人格者なのである。不出来なルディウスが王位継承順位を上回っていることが許せず、ここぞとばかりにパーシバルを推薦している。
しかし、意を唱える者も少なからずいた。
「それは短慮ではないか? ルディウス殿下は、真の実力を隠されている気がするがね。実際、最近の殿下は以前とは別人のようであると、皆も噂していたではないか」
「僕も、娘たちから聞き及んでいます。魔術学院の座学試験も満点を取られたそうですし、攻撃魔術が使えないにも関わらず、腕っぷしの強さは騎士顔負けだとか。ね?」
ジェルマン侯爵とクンツァイト公爵が口を開くと、円卓を囲む貴族たちが水を打ったかのように黙り込んだ。以前からルディウスを推していたクンツァイト公爵はともかく、つい先日までパーシバル派の中核として構えていたはずのジェルマン侯爵がルディウスを擁護していることに動揺していたのだ。
だが、当のジェルマン侯爵は意に介する様子もなく、マイペースに「あの演奏から王の器を感じたよ」と一人で笑んでいる。
そして、その場違いな笑みに円卓は揺れる。
「近頃のルディウス殿下は、未来の王になると発言していたそうではないか」
「しかし、問題児であることは変わらないのでは?」
「かつては婚約者を蔑ろにしていたようだが、最近は共にいることが増えておられたと聞くが」
誰かが口にした「婚約者」という言葉がきっかけとなり、その場の貴族たちの視線が一気にローゼン伯爵――マルティナの父に集まる。
一方、当のローゼン伯爵は逞しい両腕を胸の前で組み、鋭い目つきでパーシバルを見つめていた。歴戦の猛者であり、軍事を司る役職とだけあって、そこにいるだけで空気が引き締まるような存在感に周囲は思わず息を呑む。
「娘は、過去の軋轢は水に流し、ルディウス殿下を慕っています。そのことを陛下もご存知であり、娘とルディウス殿下が国を治めることを望まれていたはず。パーシバル殿下、先程貴殿が仰られたことは、まことに陛下のお言葉なのですか?」
触れたら稲妻が走りそうな気迫である。ローゼン伯爵はここにいる誰よりもロヴェル王との関係が深いためか、皆が腹の底に沈めていた疑問を容赦なく言い放った。
しかし、疑念の矛先であるパーシバルは臆せず、寧ろ勝ち誇った笑みを浮かべていた。
「ローゼン伯爵。その問いは最もだ。今、父は皆の前で話すことができないほどに衰弱しているために、証明が難しい。……だが、ひとつだけ確かなことを言おう。我が弟ルディウスは、王が危篤であると知るや否や王位継承権を破棄し、隣国への留学を申し出たのだ」
ローゼン伯爵の眉がピクリと動き、他の諸侯たちからは驚きの声があがる。パーシバル派を公言している者の表情は明るく、うっかり拍手をした者までいた。
「やはり、あの愚弟には一国の王という地位は荷が重かったらしい。だが、このことは弟の名誉のためにも、どうかこの場にいる者だけの胸にとどめておいてほしい。王になるとは、命を懸けるほどの覚悟が必要なのだ」
「……つまり、ルディウス殿下は陛下や娘を置いて国外へ逃げたと?」
「そういうことになるが、安心してほしい。国王陛下とローゼン伯爵家で交わされた婚約の内容は『ローゼン家のマルティナを未来の妃として迎えること』――。ルディウスとの婚約ではなく、王位継承者との婚姻が約束されていたことになる。ともなれば、だ」
パーシバルが言葉を切ったタイミングで、会議室の扉が内側に向かってバンッと開かれた。その勢いのよい開扉の音に、諸侯たちの視線が一気に集まり――。
視線の先に立つマルティナが「皆さま、ごきげんよう」と、優雅にお辞儀をしてみせた。ラピスラズリ色の美しい髪がさらりと流れ、男だらけの部屋に甘く華やかな空気が揺れる。間違いなく、父であるローゼン伯爵以外の者は、その美しさにため息をついていた。
だが、その優美を体現したかのような令嬢マルティナの表情は、纏うオーラとは正反対なものだった。眉根が寄せられ、笑顔は固く、目は吊り上がっている。
「……わたくし、王に即位なされるパーシバル殿下と婚約いたしますわ!」
「と、いう訳だ。急であるが、私が王位を継ぐことと、マルティナの婚約を盛大に発表する場を設けようと思う。具体的には――」
パーシバルの言葉が頭に入って来ないほどに、諸侯たちは驚いていた。
半分は、「パーシバル殿下のでれでれ顔すごくない?」と、普段とのギャップに驚いており、もう半分はマルティナに対して。
「ははははは! 君のお嬢さん、顔に不本意だと書いてあるじゃないか!」
ジェルマン侯爵のマイペースな発言に、ローゼン伯爵はどうすべきかと「うむむ」と唸ったのであった。
***
第一王子パーシバルが即位し、マルティナを王妃として迎える──。
ジェルマン侯爵やローゼン伯爵らが否定的な態度を取るために混迷しかけた諸侯会議だったが、その会議に結論を下させたのは、他でもないマルティナだった。
「パーシバル殿下との婚約……。真意を聞かせるのだ、マルティナ。つい先日、この父にルディウス殿下への愛を唄った恥ずかしい文を送りつけて来たところであろう」
諸侯会議が終わり、ローゼン伯爵こと父ミハイルに別室――王城の客室に呼び出されたマルティナは、突然の婚約表明について追及を受けた。だが、もちろん想定内のことであり、マルティナは整然とした態度で「そうでしたかしら」と言い放つ。
「お父様。わたくし、ルディウス殿下の奔放ぶりには、昔から呆れておりましたもの。酷い扱いも受けましたし、最近はオラオラされていて怖かったですし。パーシバル殿下の方が、よほど聡明で品がありますし、魔術や戦略にも長けておられるではないですか。国王陛下は英断をなさいましたわね」
「本気なのか? それが本当に陛下の御意向かどうかも――」
「まぁ、まぁ。お父様。読書でもなさって、落ち着いてくださいな」
言いかける父に、マルティナは無言で数冊の本を手渡す。それは、マルティナが王城滞在中に読もうと持参していた異世界転生小説だった。
「このような時に何のつもりだ。私は、若者向けの民衆小説は読まない。俗過ぎる。お前にも、その趣向は控えるように言っているはずだ」
複数の本を無理矢理押し付けられたミハイルは、ムッと苛立った色を浮かべるが、それは一瞬のことだった。マルティナの言葉と表情があまりにも合っていなかったからである。
マルティナはのんびりとした言葉とは裏腹に、彼女は何かを訴えるような切実な表情をしていたのだ。「どうか、気づいて」と、真剣なまなざしを父に向けている。
「お父様。誰が聞いているのか分かりませんもの。わたくしの趣味……、いいえ。この本については、誰にも秘密ですわよ。けれど、とてもお薦めですから、婚約発表パーティまでの時間潰しにお読みになってはいかがでしょうか?」
「時間はあるからな……。お前がそれほどに薦めるのならば、一読はしてみよう」
「うふふ。婚約発表パーティ、楽しみになさってくださいね」
浮かれているのは声だけであり、目はまったく笑っていないマルティナである。
その目を見て静かに頷いたミハイルは、小説の表紙をざっと眺めるが――。
『最弱と言われた毒スキルで異世界一のギルマスを目指します』
『やり直し聖女の復讐劇~妹の婚約者を奪わせていただきます~』
『人質令嬢のスローライフ 溺愛されすぎで国に帰りたくありません!』
「…………」
ミハイルの眉間のしわはグッと深くなり、「なんだこれは」という文字が顔に出ている。
だが、その小説を渡した当のマルティナといえば、「お父様、頼みますわよ!」と言わんばかりの眼力でウィンクし、やり切った感を全身から滲ませているではないか。これには歴戦の猛者である軍務卿も焦らざるを得ない。
「ま、マルティナ。これは……」
しかし、ミハイルの言葉を遮るようにして、客室のドアがノックされた。「ローゼン伯爵、マルティナ。婚約発表パーティの打ち合わせを始めたいのだが」と、外から聞こえたのはパーシバルの声だ。
「わたくし、その本のことを特にパーシバル殿下には知られたくありませんの」
マルティナは父の耳元で小声で囁くと、「はい! 喜んで!」と威勢よくドアへと駆け寄って行ったのだった。
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