第23話 ヤンキー殿下の秘密

――お前と組んだら……。お前の言う通りにしたら、全部上手くいくんじゃなかったのかよ。


――そうだぜ。オレは全ての展開を知ってる。転生して、不良にキャラチェンしたら、マルティナが食いつくこと。暗殺者や、エリックが暴走すること。マルティナが水魔術が使えることも、ディヴァンが試験で挑んでくることも、ジェルマン侯爵が味方になることも、さっきの馬車の奇襲だってそうだ。


――だったら、また助けてくれよ! このままじゃ、パーシバル兄上にティナを盗られちまう!


――あぁん? どの口が言ってやがる。兄貴の前で、ガタガタ震えて縮こまってたのはてめぇだろうが。オレは聞いてねぇぞ、んな設定。オレに覗かせねぇようにしてた記憶があんだろ。腐っても主人公ってか。


――や、やめろ! 俺の記憶を勝手に見るな!


――オレは、ビビり野郎の言うことなんざ聞かねぇ。どけ。





 どこまでも続く精神の闇の中。紅蓮色の髪に美しい翆眼の青年が二人。

 乱暴に記憶の扉を蹴り開ける「オレ」と、待ってくれと必死に叫ぶ「俺」。


 その青年たちの正体は、ルディウス・フォン・アルズライト。元々のルディウスの人格と、18歳の誕生日に現れた「前世」の人格だった。


 ルディウスの内に同居することになった「前世」は、アルズライト王家の翆眼の言い伝えと同じく未来を視ることができると言った。

 彼は、この世界の道筋を「ラノベ原作」と呼んだ。そして、原作通りに進めることで国が栄え、平和になると言った。言う通りにすれば、気持ちの離れてしまった婚約者との仲が上手くいくとも――。




 ***

「嫌だ……。お願いだから、ティナにはひどいことをしないで」


 消え入りそうな声で懇願したのは、13歳のルディウスだった。

 頭を守るように手で覆い、芋虫のように床で丸くなって固まっていた。

 そこは、城の地下にある魔術の研究室。だが、研究室とは名ばかりの研究道具一つない殺風景な部屋だ。石造りの壁に囲まれているため、まるで鉄格子がないだけの牢獄のようにも見える。


 いや。実際、ルディウスにとっては牢獄と同じだった。

 逃れることができない恐怖と痛みと共に、ルディウスはこの部屋に閉じ込められている。

 誰によるものか?

 それは、実の兄パーシバルによるものだった。


 兄は、つい数日前までは優しかった。

 5歳年上の腹違いの兄は、幼い頃から忙しい父王と早くに亡くなってしまった母の分までルディウスの面倒を見て、学問や魔術、武術など全てにおいて弟を教え導いてきた。周囲からの期待にも応え続けるパーシバルはルディウスの憧れであり、はるか遠い目標だったのだ。


「いつか、私が国を治める。ルディウス。その時は、私を支えてくれ」


 そうパーシバルから言われた時のルディウスは、心の底から嬉しかったし、将来兄が国王になると信じて疑わなかった。そして、兄を支えるに相応しい人間になろうと決意したのだ。

 だが今思えば、その後から少しずつ兄弟の関係は壊れ始めていたのかもしれない。


 ルディウスが勉強を進め、兄と同じ学術書を読み始めた時も。

 災害の支援部隊に志願し、数多の治癒術師を超えた働きを見せた時も。

 兄と共通の剣の師匠から免許皆伝を言い渡された時も。

 兄に聞かせたくて、マルティナとピアノを二人で弾いた時も。


 いつも、パーシバルは喜んではくれなかった。

 ルディウスはその度に「まだ足りない。兄上に認めてもらうには、まだ足りないんだ」と自分に言い聞かせ、努力を重ねて来た。


 けれど、そのような日は永久に来ることはなかった。

 全てが決定的に狂ったのは、ルディウスの13歳の誕生日――父王が息子たちに王位継承者とその婚約者について伝えた日だった。


 父王は言った。

「王位継承権は、第一位をルディウス。第二位をパーシバルとする。そして、ローゼン伯爵家のマルティナを未来の妃として迎えることをここに宣言する」と。


「何故です?」


 そう口を開いたのは、指名を受けたルディウスではなく兄のパーシバルだった。青白い顔で唇を震わせ、実の父に掴みかかりそうな剣幕で「何故です⁈」と繰り返す。


「父上! 私のどこにご不満をお持ちなのでしょうか。王になるべく、精進してきたつもりです。もしや、ルディウスを可愛がる臣下たちからの口添えでしょうか? でしたら、このルディウスを導いてきたのは私です。私を評価してください。マルティナも、きっと私を選びます。彼女はいつも、私を見ていますし、温かく笑んでくれますから。ルディウスなどより、私の方が民もマルティナも幸せにすることができます。ですから、父上、お考えを改めて――」

「あに、うえ……?」


 最後にはすがりつくような表情で懇願するパーシバルの背中を見つめ、ルディウスは言葉が出なかった。あれほど大きく逞しかったはずの兄の背中が、とても小さく見えたのだ。

 これが、俺の憧れていた兄上なのか? 

 答えがすでに出ている疑問が頭をよぎった時には、パーシバルのダークグレーの瞳がルディウスを憎々し気に睨みつけていた。


「その眼だろう。お前の持つ【未来視の瞳】のせいだ。お前がその眼を持って生まれて来なければ……!」

「俺の眼?」

「パーシバル、控えよ。翆眼の伝承など、次期国王の選定理由にしてはおらぬ。それを口にするということ自体が、お前が未熟である証なのだ」


 父王はそう言って場を収めたが、パーシバルの瞳の奥は憎悪で燃えていた。その瞳が恐ろしく、ルディウスは兄から逃げるように王の間を去ったのだが――。



 同じ城で暮らす兄弟なのだ。真の意味で逃げる場所などなく、ルディウスはパーシバルによって地下の研究室に連れて来られていた。

 初めは話し合いをしようと持ち掛けれて、仲直りができるのではないかとわずかな希望を抱いていた。兄弟で共に切磋琢磨し、支え合い、国の未来を語ることができるのではないかと。

 だが、実際はまともな会話などほとんどないままに、パーシバルの炎の魔術を帯びた拳がルディウスの全身を殴打した。


「貴様さえ、いなければ……。私にその翆眼があれば……!」

「痛い! 熱い! や、やめて、兄上!」

「うそぶくな。一瞬で治せるその力も忌々しい。私の制裁を馬鹿にしているのか?」

「してない。してないよ……!」

「その反抗的な目はなんだ。私を超えたと思い上がるな! 私を見下すな!」

「俺はそんなこと思ってな……。いだいぃぃぃっ!」


 ルディウスをパーシバルが憎しみを込めて痛めつける。会話はろくに噛み合わない。もう、どれほど殴られたかも分からないし、いつまで続くのかも分からない。

 大好きだった兄から恨まれ、憎しみを抱かれ、暴力を振るわれる恐怖に、13歳のルディウスは耐えきれず、泣きながらみじめに謝るしかなかった。


「ごめんなさい。ごめんなさい……。ゆるして。兄上の言う通りにするから」

「それでいい。もし、貴様が私に逆らえば、大切にしているマルティナは力づくで奪わせてもらう」

「嫌だ……。お願いだから、ティナにはひどいことをしないで」

「うるさい。黙れ!」


 マルティナの愛称を口にしたのが悪かったのか、パーシバルは壊れたからくり人形のように何度も何度もルディウスを蹴りつける。

 もし、今後この兄の怒りを買ってしまったら、マルティナの身が本当に危険に晒されてしまうかもしれない。それくらい、今のパーシバルには何をするか分からない恐ろしさがあった。彼がルディウスに負けないくらいの好意をマルティナに抱いていることは確かだが、その方向が善からぬ方に向くとも限らない。


(ダメだ。俺がティナを守るんだ……。俺が王にならなければ……、ティナが兄上と愛し合って結婚できるようにすれば、ティナは幸せになれるんだ)


 だから、その日まで耐えろ。誰にも言うな。

 涙を堪えながら、幼いルディウスは決意した。

 パーシバルの暴力を受け入れながら、治癒術で怪我を治さないようにと自らに強く言い聞かせる。身体の傷なんて、後でいくらでも治せるのだから。

 今は、この悪夢のような時間が過ぎるのを待つしかないと、ルディウスは目を硬く閉じた。



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