第24話 ヤンキー殿下の秘密②
ルディウスが誰にも知られなくなかった記憶。隠しておきたかった秘密。
それらこそが、軽薄でだらしない女たらしの王子であり、【歩く回復薬】と侮蔑されていたルディウスを創らせていたことに、彼の「前世」は大きなため息を吐く。
――はぁ……。がっかりだぜ。クズ王子は根っからのクズでいてほしかったのによ。とんだトラウマ持ちじゃねぇか。どうりで身体が動かなくなっちまったわけだ。
――何だよ……! お前に何が分かるってんだ!
震えながら叫ぶルディウス。だが、「前世」は冷めた感情をちらつかせるだけだった。
――てめぇと組んでも、原作通りにはいかねぇってことが分かったぜ。ほんとは、草原でパーシバルをぶちのめして終わるはずだったのによ。
――え……?
――そろそろ、原作遵守も潮時かもな。
――ま、待てよ! 俺のこと見捨てるのかよ?
――見捨てるも何も、オレがやりてぇことは、マルティナを幸せにしてやることだけだ。
――俺だって、ティナが好きだから……。だから利害の一致でお前と組んだんだ! 未来を知るお前なら、ティナの心を掴む方法が分かるから。平和な王国の王妃にしてやれるからって、そう言ったから!
18歳の誕生日以来、ルディウスは「前世」に言われるがままに「ヤンキー殿下」になった。孤独を紛らわすための取り巻きとの付き合いも、婚約者にわざと嫌われるためにしていた女遊びもやめ、ヤンキーに相応しい居住まいを何度も練習し、婚約者――マルティナの前に立った。
「前世」に言われた通りに婚約破棄を叩きつけると、彼女は婚約破棄を認めずに、寧ろ自分に惚れてくれた。
「前世」に任せておけば、暗殺者の撃退も容易かった。
彼女が謎の食べ物、メロンパンを作ってくれた。
座学試験は自分の実力だが、「前世」のおかげでその機会を持つことができた。
信頼のできる騎士が傍にいてくれるようになった。
【チャリティー音楽祭】で、敵派閥の筆頭を引き抜くことができた。
マルティナが未来の王妃として、隣に立とうとしてくれていた。
全てが順調に進み、退屈だった学院生活が色づき始めたところだったのだ。これから兄王子パーシバルを完全に抑え込み、「ヤンキー殿下ルディウス」は愛しのマルティナと共に国の頂に立つはずだった。
しかし――。
――うぜぇ! てめぇのこと、ちょくちょく気に食わなかったんだわ。【チャリティー音楽祭】で、オレが止めたのに眠り薬入りの菓子食べたよなぁ? んで、オレが寝てる隙に、声が出ねぇふりしてマルティナと楽しくピアノ弾いたんだよなぁ?
――なんだよ。俺だって、いつもかっこいいって褒められてるお前が羨ましかったんだ! 俺の前世なんだから、俺のために動いてくれてるんじゃねぇのかよ!
――は? 誰が、てめぇのために動くかよ。オレはてめぇを救いたいわけじゃねぇ。マルティナのために原作なぞってたんだよ。別にいいんだぜ? 原作通りにクズ王子に転生して、前世と今世で力合わせてヒロインと結ばれなくてもよ。異世界ご都合主義上等! 何でもありのチートだもんなぁ!
――お前、何言って……。
――オレに身体全部寄越せ。てめぇは消えていいぜ。
――い、嫌に決まってんだろ! これは俺の身体だ!
――原作改変は、異世界転生のテンプレだぜ。文句言わせねぇぞ!
***
「前世」のドスの効いた声が脳内に響くのと同時に、ルディウスの意識は精神世界から現実世界に引き戻された。髪を乱暴に掴まれ、無理矢理顔を上げさせられたことで目が覚めたらしい。その動作の主――パーシバルの姿を認めると、ルディウスは「ひっ」と情けない悲鳴を上げてしまった。
「あ、あに、あにうえ……」
石の床に伏していたルディウスの顔を覗き込むパーシバルの視線に震えが止まらず、呼吸もままならない。
そして、瞬間的に自分が置かれている状況を思い出した。
ここは、王城の地下にある魔術の研究室。昔から、何か気に食わないことがある度にパーシバルがルディウスを閉じ込めた場所であり、今日も怒り狂った彼がルディウスを放り込んだのだ。
「ルディウスよ。なぜ、私が部下に貴様の馬車を襲わせておきながら、その部下を焼き払ったのかと問うていたな? 気分が多少良くなった故、答えてやろう。それはな、マルティナの英雄になるためだ。彼女を落橋の寸前で救出し、目の前で盗賊を討てば、彼女は私に感謝し好ましい感情を抱くに違いない。そうだろう?」
パーシバルは、柔和な口調で語りかけてきた。罪悪感は微塵も見られず、盗賊に扮した部下を差し向け、その部下を自ら葬ったとは思えない落ち着いた物言いだった。加えて、別の部下たちによってルディウスたちを王城の個室に閉じ込めたことも、さも当然といった様子である。
だがその穏やかな口調とは裏腹に、パーシバルは床に伏しているルディウスの頭を乱暴にブーツで踏みつけ、愉し気に笑っていた。かと思えば、「どうせ、すぐに治癒術で治るのだろう!」と、忌々しそうに口を歪める。
その読めない感情が恐ろしく、ルディウスは「やめてくれ……」と弱々しい声でうめくが、兄の暴力が緩まる気配は全くない。
分かっている。幼い頃から、ずっとそうだったのだから。
兄の嫉妬や憎しみを受け止めている間は、治癒術は使わない。兄の気が済むまで殴られた後に、治せばいい。それで兄が満足するなら、少しの間だけ自分が痛みを我慢すればいい。
(痛い。痛い。痛い。怖い。怖い。怖い……!)
昔の痛みと恐怖がフラッシュバックし、視界がチカチカと眩む。
『まともな魔術も使えない出来損ないのくせに、称賛を受けるな!』
『もう、何もがんばらないから! だから、おこらないで……』
『その翆眼が私にあれば、私が次期国王だった!』
『兄上、ゆるして……! 兄上が王様でいいから! 俺は、王様なんかならなくていいから!』
『なぜ、マルティナが貴様の婚約者がなのだ! 寄越せ! 私に寄越せ!』
『ティナから嫌われるようにするから……! いつか、婚約破棄するから。だから、ティナには何もしないで……!』
過去の記憶が胸をえぐり、ルディウスは情けない嗚咽を漏らす。
決して誰にも言うことができなかったルディウスの秘密。これまで「前世」にすら見られないように、奥底に隠していた記憶。つらくて、痛くて、悲しくて、悔しい感情が溢れそうになり、浮かんだのは愛しい人の顔。
(俺は、ティナと幸せになりたいって願うことすらダメなのかよ……)
「……ティナに会いてぇ」
心の声が口を突いて出てしまい、ルディウスはハッと目を開いてパーシバルを見やる。
パーシバルのダークグレーの瞳はこちらを憎々し気に見つめており、ルディウスは恐ろしくて目をそらすことができない。今日こそ殺されるのではないかと思ってしまうほどに、パーシバルからは並々ならぬ殺気が漂っているのだ。
「兄上、今のは違……」
「……違わぬことがあるか。ルディウス。貴様、私にマルティナを譲ると言っておきながら、彼女に執着しているだろう。この兄を排除し、王として即位し、マルティナを妃に迎えるつもりだったのだろう? 理解してやろう。彼女は素晴らしい女性だ。気高く、美しく、聡明だ。我が国の王妃に相応しい。だからこそ、貴様からは――」
パーシバルはいったん言葉を切り、右手をルディウスの目前にかざした。中指に透明な魔法金属でできた指輪をはめており、それが怪しげな光を放ち――。
「うっ、うわぁぁぁ!」
翆眼に焼けるような痛みが走り、ルディウスは身をよじりながら悲鳴を上げた。眼球が沸騰しているかと思うほどに熱く、気絶しそうになってしまう。とっさに治癒術を発動させようとするも、パーシバルの前では傷を癒してはいけないという幼い頃からの意志が邪魔をして、激しい痛みを受け入れざるを得なかった。
「あ、あ、あ、あぁぁぁ……っ」
揺らぐ視界の中で、エメラルドを溶かしたような煌めきを帯びた翡翠色の光が、パーシバルの透明な指輪に吸い取られていくのが見えた。そして、その指輪の色が完全に翡翠色に変わった時、ルディウスの瞳の痛みは治まった。
『マジかよ! 引っ張り出されたぞ!』
それが、ルディウスが聞いた「前世」の最後の言葉であり、それきりドスの効いた声も乱暴な舌打ちも聞こえてこない。誕生日から一つの身体に同居していた「前世」の存在が感じられないのだ。
「嘘だろ?」
ルディウスは、ある光景に震えながら目を疑った。それは、研究室の壁に掛けられている鏡に映った自分の瞳の色だった。ルディウスの瞳は、色が抜けたようなダークグレーの鈍い輝きを放っていたのである。
「
恍惚とした笑みを浮かべるのは、同じダークグレイの瞳の色をしたパーシバルだった。
「【未来視の瞳】を失った貴様になど、もはや何の価値もない。この国から出ていくがいい。これは、王位を継ぐ私からの命令だ。王命と同じと思え」
「そんな……!」
「そうだな。捕えておいたコルバティールの
絶望に絶望が覆いかぶさり、ルディウスの色を失った瞳に涙が滲む。
愛する婚約者だけでなく初めて得た信用のできる友と、婚約者がもっとも大切にしている侍女までも不幸にしてしまった自分が憎く、情けなく、心の底から消えてしまいたくなった。
――みんな、ごめん……。くそっ。俺は、何のために生まれて来たんだよ。教えてくれよ、「オレ」……。
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