第22話 ご令嬢、パパ陛下に謁見する

 マルティナは汚れたドレスから新しい濃紺のドレスに着替えさせられ、王城の広い廊下を歩いていた。ルディウスの兄であるパーシバルにその身を救われた後に、彼と共に王城にやって来たのである。


「マルティナ。そのドレス、よく似合っているぞ。君の好きなデザインに寄せて仕立てさせた甲斐がある」

「パーシバル殿下はドレスの御見立てのおかげですわ。おほほほ……」

「そうだ。後で私とアフタヌーンティーをしないか? 苺のタルトもある。場所は、中庭の薔薇園だ。君の好きな青薔薇を育てさせたのだ。君の髪色のように美しいから、是非見てほしい」

「えー……。今はちょっと……」


 パーシバルとはこれまでほとんど絡んだことがないのに、彼はなぜマルティナの好みに詳しいのか。ちょっと怖いくらいである。

 マルティナをエスコートするように隣を歩くパーシバルは、とびっきりの微笑みを浮かべている。ダークグレーの瞳がキラッキラに輝いている――というか、寧ろ締まりのないでれでれ顔であるし、先程からマルティナを褒めたり、マルティナを誘ったりと忙しい。端的に言うと、アプローチの圧がすごい。

 マルティナはその圧をかわすため、首を悩まし気にかしげてみたり、誤魔化しの笑いを織り交ぜて見せるが、相手にはまったく響いていない様子である。


「パーシバル殿下。国王陛下にお会いする前に、ルディウス殿下やディヴァン、ステラの無事を確認させていただきたいのですが」

「あぁ。心配は無用だ。ルディウスは自室に籠っているが、後の二人は城の治癒術師の治療を受けさせているところだ。君がわざわざ時間を割いて会う必要はない」


(なぜ断定なさいますの⁈)


 マルティナは、パーシバルが盗賊の奇襲からルディウスたちを救ってくれた場面だけは目撃したのだが、その後彼らがどうなったかが分からないのだ。パーシバルいわく、自分の部下に怪我をしていたルディウスたちを回収させ、王城に運び込んだらしいのだが――。

 先程から、ルディウスたちの安否確認をさせてくれと話を振ると、パーシバルはこの調子なのである。「そんなことより、私と楽しい話をしよう!」とでも言わんばかりにてれてれでれでれにっこり。これには、マルティナも悟らざるを得ない。


(自意識過剰と言われてもかまいません。……パーシバル殿下は、わたくしのことがとってもお好きですわ! 絶対そう!)


 この第一王子パーシバルは、剣術・戦略・魔術に長けているだけでなく、王族としての品格も併せ持つと評価の高い男として有名だった。魔術学院では成績トップで生徒会長を務め上げ、騎士団と共に戦場に出た初陣では将を討ち取った。社交の場では令嬢や貴婦人人気が高いにも関わらず、本人が硬派であるためか女性との交友どころか婚約者さえもいない。

 まさに、弟ルディウスの真逆の人物。正当に、日の当たる道を歩んでいる英雄という印象だ。


 実際、橋から落ちかけたマルティナを絶妙なタイミングで助け、その後盗賊たちを一撃で焼き払うという、まさにヒーローのような活躍を見せた。まるで、異世界転生チート主人公のような無双っぷりだった。

 おそらく、マルティナでなければ、文字通りの吊り橋効果であっさりと惚れてしまうかもしれない。異世界転生小説でよく登場する、即主人公に惚れて旅に同行するヒロインみたいに……、という趣味の延長線上の考察はさて置いて。


 ルディウスに暗殺者を差し向けたり、情報操作をしたりしているのは一部の過激な信望者によるもので、彼自身は清廉潔白なのではないだろうか。信望者の暴走のせいで、兄弟仲が最悪になっているのではないだろうか……と、今のでれでれパーシバルを見ていると、そんな気がしてきてしまう。


 実際のところ、マルティナは彼という人の本当の人柄や思考の仕方を良く知らないのだ。ルディウスとは幼馴染であり、幼い頃からよく遊んでいたのだが、5つ年上のパーシバルとの交流はほとんどなかったためである。


(これは、ルディウス殿下のためにも要観察ですわね。あぁ、でも……)


 マルティナは表情を暗くする。あの時ルディウスの言葉──、盗賊を駆逐したパーシバルと対峙したルディウスの言葉があまりにもショックで、思い出すと胸がえぐられような痛みが走るのだ。


 ルディウスは、パーシバルがマルティナを連れて行くことを止めなかった。彼は、「兄上の仰る通りに」と、パーシバルを肯定したのだ。


(わたくしを未来の王妃にと言ってくださったのに。あれほど、パーシバル殿下に負けまいとしておられたのに……)


 どうして……?

 心の中で問うても、答えは帰ってこない。

 おそらく、マルティナの知らないルディウスの一面がまだあるのだ。軽薄な女たらしでも、不良でもないルディウスが。


(わたくし、確かめねばなりませんわ!)


 きっと何か理由があるのだと言い聞かせ、マルティナのしおれた心が少しだけ上を向いた。婚約者のことを理解することを諦めるものかと、自分を鼓舞しまくる。

 頑張れ、わたくし!

 凹むな、わたくし!

 徹底追及ですわよ、わたくし!


「――ティナ。マルティナ?」


 一瞬、「ティナ」という幼い頃の愛称で呼ばれたかと思い、マルティナは飛び上がりそうになってしまったが、隣にいるのはやはりパーシバルだった。パーシバルは、自分の世界に入り込みかけていたマルティナを呼び戻すと、王城の最奥にある王の居室を優雅な仕草でノックした。

 すると、「入れ」という年配の男性の声が返って来る。どうやら声の主は国王のようだが、何だか別人のように覇気のない声である。

 てっきり玉座のある王の間に案内されるものと思っていたマルティナは、なぜ国王の部屋に呼ばれたのだろうかと疑問に思いながらも、パーシバルの後に続いて入室したのだが。


「……ルディウスとマルティナか?」

「いえ父上。ルディウスの代わりに、私めがローゼン伯爵令嬢を連れて参りました」


 パーシバルが床に臥せるロヴェル王の前で膝を折り、褪せた赤い髪の隙間から感情のない瞳で父王を見つめる。そう。ロヴェル王は病床に臥せていたのである。


 アルズライト王国の賢王ロヴェル・フォン・アルズライト――。

 昔からロヴェル王の表情はいつも険しく、全体の容姿は無骨な印象だった。確か、大規模な大地や重力を操る魔術が得意で、若い頃は魔術師としても前線に立っていたという。

 マルティナの中には、そのような豪快な王のイメージがあったのだが、今目の前にいる彼はまるで別人のようだった。紅蓮色だった髪はすっかり白くなり、顔は土色、全身は痩せ細っている。起き上がる力もないのか、ベッドに横たわったまま、小さく手を挙げる弱々しい姿は、まさしく見る影もないという言葉が似合う。


「陛下! いったいどうなさいましたのっ?」


 マルティナが無礼承知でロヴェル王の傍に駆け寄ると、王は「おぉ。よく来た、マルティナ嬢」と、嬉しそうに口の端を持ち上げた。だが、視線がまったく合わず、マルティナは戸惑いと衝撃で言葉を失いかけてしまう。


「陛下。目が……」

「すまぬ。もう、よく見えぬのだ……。だが、声は聞こえている故、話はできる」


 王のエメラルドを溶かしたかのような美しい瞳──【未来視の瞳】は、白く濁った色に変わり果てていた。

 マルティナは説明を求めてパーシバルの方を見やるが、返って来た答えは「謎の病だ」という短いものだった。


「謎の病? お医者様がそうおっしゃいましたの?」

「新種の病原菌の可能性が高く、打つ手がないそうだ」

「そんなの、あんまりですわ! 陛下、こんなにやつれてしまわれて。なんておいたわしい……」


 マルティナは動揺を隠せず、唇を震わせる。

 ロヴェル王はこのような状態だからこそ、王位第一継承者であるルディウスを城に呼び寄せたかったに違いない。自らの死期を悟り、未来を託すために。


「マルティナ嬢。ルディウスは一緒ではないのか……?」

「ルディウス殿下は――」

「あれは、不貞腐れて部屋に籠っております。私に窮地を救われたことが、余程気に食わなかったのでしょう。まったく、しょうがない愚弟です」


 やれやれと肩をすくめるパーシバルは、「愚弟」という単語に力を込める。そしてさらに、「婚約者をまもとも守ることができないとは、本当に情けない。【歩く回復薬】と侮蔑されても仕方がありません」と言葉を続けた。

 マルティナはその内容と淡々とした口調が信じられず、瞳を大きく見開いてパーシバルを見つめた。彼が、何を考えているのかが分からなかったのだ。


(なぜ、必死に戦っていた殿下のことを悪く仰いますの? なぜ、弱っておられる陛下の状態を知りながら、平然とされていますの?)


 マルティナをここまで連れてくる短い時間でさえ、パーシバルは至極平然と振る舞い、マルティナをアフタヌーンティーにまで誘っていたのだ。明らかに父親が危篤状態だというのに、なぜ……。

 怒りが湧いてきたマルティナは、パーシバルの批判を口にしそうになったのだが、それを寸前で止めてくれたのはロヴェル王の言葉だった。

 

「ルディウスはおらぬのか。仕方がない……。パーシバル。わしは、少しばかりマルティナ嬢と話がしたい。そなたは外してくれるか?」


 父王が自分の話を無視したことにパーシバルは一瞬だけムッと眉根を寄せるが、逆らう気はないらしく、「では、これで」と大人しく引き下がった。



 ***

 そして、王の間にはロヴェル王とマルティナの二人だけになった。

 いくら婚約者の父親とはいえ、相手は一国の王だ。マルティナはどこまでロヴェル王に近づいていいのか迷ったが、ほとんど目が見えないという彼のことを思い、枕元の床に膝をつくことにした。たとえ見えなくても体温を感じてもらえればと、そっと手も握る。その骨ばった頼りない手が悲しくて、マルティナは涙が出そうになってしまう。


(本当に、変わられてしまいましたわ……。【未来視の瞳】というだけあって、これまでは見つめられると、まるで全てを見透かされているような気持ちになりましたけれど……)


 マルティナが色を失った翠眼に視線を注いでいることを感じ取ったのか、ロヴェル王は「この眼はな――」とおもむろに口を開く。


「わしの翆眼には、もう未来は見えておらぬ。あやつ――ルディウスには見えているのかも知れぬが」

「王族の翆眼は、本当に未来が見えますの⁈ てっきり、箔を付けるための伝承かと……」


 無礼なことを言ってしまったとマルティナは焦るが、ロヴェル王は特に気にしていない様子で「うむ……」と小さく頷いた。この「うむ」は、「未来が見える」ことへの肯定だろう。


「今回、ルディウスとそなたを城に呼んだのは、それを確かめるためだった……。ルディウスが出てこぬ今、そなたに問おう。最近のアレに、どこか変わったところがあったのではないか?」

「殿下は少し前に前世の記憶を思い出されてオラついておられましたけれど。その変化と未来視に何か関係がありますの……?」

「ほう。前世の記憶か。十分に、王家の最重要機密にかかわるな」

「わ、わたくしがそれを知ってもいいのでしょうか?」

「王の伴侶になる者が、王家の重大な秘密を知って何が悪い」

「有難いお言葉ですわ、陛下……」


 前世の記憶うんぬんと言っても、まったく馬鹿にする様子のないロヴェル王に、マルティナは安堵した。そして少なくとも、ロヴェル王は自分のことをルディウスの婚約者と認めてくれていることも感じ取り、この方は味方と思って良さそうだと腹をくくった。

 まだ、ルディウスに一度――、いや、二度目の拒絶をされただけだ。王の後押しがあるのならば、いっそう真実を確かめる必要がある。


(大丈夫。王家の……、殿下の秘密を知れば、きっと殿下に近づくことができるはずですわ)


 マルティナは、こぼれそうな碧眼でロヴェル王を見つめると、「お聞かせください。王家の秘密を」と力強く言い放った。







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