第21話 第一王子と第二王子
「ルディウス殿下、ディヴァン様。我が主を逃がしてくださり、感謝致します」
マルティナの馬が遠く小さくなっていく様を見つめながら、ステラは頭を下げた。
特に、気が強く、すぐに暴走してしまう主人を上手く誘導してくれたルディウスには、もう一生足を向けて眠れない。いや、足を向けて寝たことなどないのだが、少なくとも毎日拝むようにはするつもりだった。
そんなステラを庇うように両手を広げて前に立つルディウスは、「あぁん? オレは知らねぇな」と吐き捨てる。
今、彼の身体には盗賊の魔術弾が矢のように刺さっては消え、刺さっては消えていた。接近戦で痛い目を見た盗賊たちは、遠距離からの攻撃に切り替えたのだ。
だが、ルディウスの全身には得意の治癒魔術がフル稼働しており、かすり傷一つ見受けられない。
「転生のチート能力というやつですか?」
「
「身体?」
ステラが聞き返した時、ルディウスの腕に魔法ではなく銀の矢が突き刺さり、彼は一瞬だけその痛みに顔を歪めた。なぜか、矢が刺さった個所だけに血が滲み、傷が治癒していない。
ルディウスはチッと舌打ちをするとすぐに矢を引き抜いて捨てるが、たいそう苛立っている様子である。
「ディヴァン! オレも出るぞ!」
盗賊たちを前衛で引き付けて戦っていたディヴァンに、ルディウスは吠えるようにして叫ぶ。防戦は終わりだと言わんばかりに手の指をぽきぽきと鳴らして気合いを入れている。
「ルディウス殿下、下がりたまえ! 囮は僕が……!」
「散々流れ弾垂れ流しといて、口答えすんじゃねぇぞ。ボンクラ!」
「ぼ、ボンクラ⁈ 僕は、生徒会長兼、アルズライト王国内む――」
ディヴァンは聞き捨てならないぞと振り返る。
だが、乱暴な言葉とは裏腹に、ルディウスは高度な治癒魔術――複数の味方への自動治癒魔術を発動させていた。もしディヴァンとステラが怪我を負ったとしても、勝手に回復できる状態になったわけだ。
これは聖職者が悔しさのあまり絶望して闇堕ちしてしまうレベルの難易度の魔術なのだが、ルディウス本人は何も言わずに敵だけを見据えていた。凶悪な目つきで、「死ぬまでぶっ殺す」と、物騒な内容を言い放っている。
「てめぇら、盗賊じゃなくて訓練受けた騎士だろ。 動きが硬い上に、良い武器使ってるしなぁ? 言えよ。どこの第一王子の派閥の騎士ですってよぉ!」
ステラはハッとして目を見開く。
それ、ほとんど断定してますよねと。
***
自慢のラピスラズリ色の髪が風でくしゃくしゃに乱れ、制服のリボンが吹き飛ばされる。手綱を握る手が震えて止まらない。そして想像以上に馬の気性が荒く、マルティナは振り落とされないように必死にしがみつく。これまで経験してきた優雅な乗馬とはまるでが違う。
けれど、ひよって速度を緩める訳にはいかない。三人の命は自分の行動に懸かっているのだ。一刻も早く王城に援軍を呼びに行き、彼らを救わなければならない。
マルティナは歯を食いしばり、さらに馬を飛ばす。
王城が遠い。なぜ、これ程に王都から外れた場所にいたのだろう。
早く、早く助けを呼ばなければならないのに――!
ようやく草原を抜け、王都へ続く吊り橋に出た時だった。
マルティナの身体は大きく後ろに揺れ、次の瞬間には前方高くにポーンと放り出されていた。突然、乗っていた馬の足元に炎の魔術弾が飛来し、驚いた馬が大きく仰け反り、大暴れしたのである。
「きゃっ‼‼」
マルティナの短い悲鳴が虚空に響く。
彼女の落下先は、吊り橋の外。つまり、谷底だ。
空中から後方に視線を向けると、盗賊の一人が馬を駆りながら剣を天に掲げているのが見えた。魔術の主はあの男で間違いない。きっと、単騎駆けしたマルティナを素早く追いかけて来たのだろう。
だが、それに気がついたとして今更だ。
(いやっ! 落ちてしまう! 異世界転生してしまう!)
それは、いいかも。いや、よくない。
自分がもっと馬の扱いが上手ければ――。
馬上から敵をほふるだけの技量があれば――。
視界がゆっくりとスローモーションのように流れ、マルティナの身体は谷底に向かって落ちていく。
走馬灯のようにして浮かんだのは、ルディウスの姿だった。
『未来の王妃として、俺の隣にいてくれよ。ティナ』
紅蓮色の短髪。エメラルドのように美しい瞳。着崩された制服。
外見は今のルディウスなのに、口調はかつてのルディウスで。
(わたくし、死にたくありません! こんなに、こんなに好きなのに!)
マルティナは、幻覚のルディウスへと手を伸ばす。
「殿下……!」
あぁ。わたくしがお慕いしているのは、どちらの殿下なのでしょう。
「呼んだか? マルティナ」
落ち行くマルティナの手を橋の上から掴んだのは――。
***
マルティナが吊り橋から落下する数刻前。ルディウスは未だ、戦いの中にいた。
馬車を奇襲して来たのが、第一王子のパーシバル派の貴族の家臣であることは、ルディウスが予想していたところであった。見た目は盗賊のように粗野だが、動きは洗練された騎士のそれであり、得物の一部が対ルディウス用――自己治癒術阻害の呪術が込められた希少なものだったからだ。
(ここまで用意してくるとはな。余程、俺を殺したいらしい)
ルディウスは、傷つき血が止まらなくなってしまった拳や腕を見て、苦々しい舌打ちをする。
おそらく、一定時間が経過すれば治癒術は有効になるだろう。だが、それまでに血を流し過ぎて意識が飛んでしまうかもしれない。
死ぬことは、恐しくはない。
ルディウスにとって恐ろしいことは、マルティナに危害が加えられること。そして、彼女の幸せが断たれることだった。
(早く、助けに行かねぇと……!)
手練れの騎士たちの中心で拳を振い続けるルディウスは、肩で大きく息をしながらまた次の一撃を繰り出す。
しかし、徐々に威力が落ちていることは見るに明らかだった。初めは敵の鎧をも砕いていたパンチは、今は装甲の隙間を狙って放つしかなく、大した決定打にはならない。それに、スピードも各段に落ちており、見切られてしまうことが増えていた。
「ルディウス殿下! 剣を使うんだ!」
身を案じたディヴァンが、倒した敵が使っていた剣を持てと叫ぶが、ルディウスは「要らねぇ」と言って首を横に振った。
「オレは、剣の使い方なんて分からねぇ!」
「王宮剣術を習得しているだろう! 肉弾戦は不利過ぎるぞ!」
ディヴァンだけではない。彼に守られているステラも、不安そうな視線を注いでいる。ここで死ぬわけにはいかないと強く思わせる二人の眼差しに、ルディウスは「くそっ」と短く吐き捨て、意識を内に集中させる。
(おい! 勝手なことすんじゃねぇよ!)
「だーーーっ! ちくしょうっ!」
剣を寄越せと、ルディウスが叫ぼうとした時だった。
草原の遥か後方から灼熱の魔術弾が立て続けに飛来し、敵の騎士たちに襲い掛かったのである。燃え上がる豪音と共に火柱が上がったかと思うと、醜い断末魔と肉が焼ける悪臭が辺りを満たし、煙で目が痛くなる。一瞬で人間を消し炭にしてしまう恐ろしい威力と精度の魔術である。
圧倒的で、無慈悲で、絶対的な力を見せられ、助かった安堵よりもおぞましさが全身を駆ける。壮絶な光景にステラは「ひぃっ」と悲鳴を上げ、ディヴァンも「う……っ」と目を背けている。
ルディウスにはその魔術の使い手の正体が、顔を見ずとも分かっていた。
ハッと息を呑んだ瞬間――。
一頭の白馬が眼前にまで迫り、褪せた赤い髪の隙間から覗くダークグレーの瞳が、馬上からルディウスを見下ろしていた。その温度のない冷たい視線に、ルディウスは急速に口内の渇きと息苦しさを覚える。
白馬の主の腕の中には気を失ったマルティナが抱えられており、ルディウスは手を伸ばそうとしたのだが。
「てぃ……、あ……」
ティナを返せ!
心の中の自分がそう叫ぶのに、ルディウスの喉は潰れたようなかすれた声しか出すことができない。
何のためにヤンキーになったと思っているんだと、必死に自分を鼓舞するが手も足も石のように固まって動かない。
巨悪の根源! ぶちのめしてやる!
そんな憎悪の視線すら向けることができず、ルディウスは無意識に顔を俯けてしまう。
「己の婚約者を危険な目に遭わせるとは、どういうつもりだ。ルディウス」
馬上から、威圧的な声が降って来る。
幼い頃からずっと怯えてきたその声は、ルディウスの思考を奪い、萎縮させるには十分だった。
「お、俺はマルティナを逃がそうと――」
「そのような回答は求めていない。貴様のような愚弟に尽くさねばならんマルティナが不憫でならん。伴侶すら守ることができずに、何が王か」
「申し訳ありま――」
「そう理解しているのであれば、マルティナの身は私に預けることだな。いいな?」
「それは……!」
白馬の手綱を引き、その場を立ち去ろうとするその男性を止めようと、ルディウスは叫ぶ。だが、やはり体は動かない。
(なんで、今、俺なんだ……! 助けてくれ、前世のオレ……)
「何か言いたいのか? 言え。許可してやる」
「パ……、パーシバル兄上の仰る通りに……」
(……俺の大馬鹿野郎)
搾り出した情けない声に、ルディウス自身が絶望した。
そして、パーシバルの腕の中でちょうど目を覚ましたマルティナと目が合い、何も言うことができなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます