第3話 デイアネイラの指切り⑫

継承される人の性

佐々木side


「こんにちは〜」

 そう言って入ってきたのは、ウチの協力者だった。

「ご無沙汰してます。神山さん」

「ご無沙汰してます。あ、こちらつまらないものですが」

 一見昭和的な、パリッとしたシャツとスラックスに身を包んだ痩せ型の男性は私にそう会釈した。隣にいた青年も、それに合わせて丁寧に「こんにちは、よろしくお願いします」と笑顔で言った。純朴そうな彼もまた、きちっと学ランを着ていて、好感が持てた。人間の単純さが恨めしい。

「……それで、こちらの方が」

「島英樹、といいます。来年から、こちらに配属できると思います」

「……ああ、この方が」

 連絡は入っていた、進捗も。

 彼は次の神愛だ。たった十六歳のあどけない青年だった、かつての高田さんと同じく。頬のあたりに淡いそばかすと、大型犬のような丸い目をしている。背は高田さんよりは低いが、そこそこある。そして低い腰と小心者そうな態度のせいで分かりにくいが、身体の中に鉄芯が入っているかのような綺麗な姿勢をしている。

「未熟な所が沢山あるとは思いますが、どうかご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします」

 私はうまく挨拶できただろうか。いやできたはずだ、できた。落ち着け、最初は肝心だ。

「こんにちは、よろしくお願いします」

 私は子供であることを意識させないように深々とお辞儀した。しかし青年がなにを考えているのかは読めない。彼はただ人懐こそうな目をそのまま私に向けて挨拶するだけだ。

「……高田くんは元気にしてますか?」

「はい。いつもお世話になっています」

 神山清一さんは、神愛を育てる専門家だ。高田さんも、彼に育てられた。

「そうですか、よかった。今日はお休みですか?」

「いえ、今は少し席を外していまして」

「あーそうですか」

「お弟子さんをお連れくださったということは、本日は、弟さんの方も……?」

「あ、はい……すみません、さっきまで居たのですが……」

 あたりを見回すような素振りを見せるも、少し諦めたような顔で神山さんは苦笑いした。しかしそれも束の間、怒号が響いた。廊下内に反響するほどの大声は、野生生物の咆哮に似たものを感じる。

 慌てて駆けつけると、ヨレたTシャツを着た壮年の見た目の男が別の職員を恫喝していた。その横に派手なピンクの服装の女の子が一人。

「次濁、やめてください」

「……はっはは、おーいぃ、おせーよぉ、佐々木さぁん」

 清一さんの注意を無視して、彼は私に近付いた。彼、神山次濁は、神忌の養育者だ。ニヤつく黄ばんだ歯は謎の透明物質で無理に固められている。

「折角連れてきてやったんだからもう少し礼儀ってもんがあるんじゃないのか?え?」

「次濁、いい加減にしろ」

「……っ、るせぇなぁ、兄貴は」

 テメェの大声で耳垢が溜まんだよ。と赤茶けた指で耳を穿ったあと、男はタバコに火をつけた。後ろの職員が俯いている。恐らく、このタバコを注意しようとしたのだろう。若い職員だった、ご愁傷様。隣の女の子に目を向ける。一見すると、ツインテールの可愛らしいファッションを見に纏った女の子であるが。

「何見てんだよオッサン」

 やはり神忌だ。小さな、しかし私より大きな彼女は仁王立ちのままこちらに近付いてくる。

「アンタがオッサンなのは分かってんだよ、鼻の下伸ばしてんじゃねぇぞ」

「やめて、沢口」

「っキモッ!!さわんな!!」

 持っていたキラキラゴテゴテのスマートフォンが、島くんの頭に思いっきり振り下ろされた。彼はそれを避けずに受け止め、しかし彼女を抑えた。その目は真っ直ぐ沢口と呼んだ女の子を見つめている。

「やめて」

「離せ!離せ!!近寄んな!!」

「瑠璃亞。ならこれ以上暴れないで」

 島くんが手を離すと、長い爪が彼の顔に向けられた。整った青年の頬に、数本の血の筋が滲んでいた。私と、保護者兄弟二人はそれを注意するでもなく、ただじっと見つめていた。

「……さて、積もる話もありますし、こちらにどうぞ」

「最初っからそうしてくれよな〜」

「……ほんっと、気の利かない」

 険悪な雰囲気に、申し訳なさそうに会釈する島さん。でも私が土下座したい気持ちになった。意味のないことだとわかっていたけれど。薄汚れたクリーム色の床の黒いシミの位置を確認する。それは彼らの黒い瞳のように、こちらをじっと見ていた。


                           つづく 

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