第3話 デイアネイラの指切り⑧
愛と欲望、死と理性
佐々木side
「変身する食人鬼は、大体一日程度で一人の人間を食べきり、その後長い休止期間があって、また食人を再開する。それが基本的な行動パターン、か、ならまだ間に合うな」
「いやでもすげー速度だぜこれ、変身できてなかったら、今頃ブクブクに太ってそうだ」
映像資料と紙の束を散らかしながら、全員でめぼしい資料を探していく。行動パターンや傾向で、何か掴めることはないか、探っている。本田さんの携帯のGPSは当然のことのように繋がらなかった。私は神景会に電話をかけ続けている。
本田さんはこの作戦を行う際、呪術的な観点から天蓮景様のバックアップを得たと言っていた。ならば今回も、そのやり方でうまくいくかもしれない。もちろん、本田さんが既に手を打ってしまっているかもしれないが……。そして嫌な予感ほど的中するもので、いつも数回のコール音ですぐに出てくれるはずの龍禅院さんに、繋がらない。二回、三回と電話を重ねていく。
『……なんだい』
つながった!
「お忙しいところすみません、先に用件をお話しします、今力を貸していただくことはできませんか」
『無理だね、今日は全体修練の日さ、こっちの都合も考えず不躾だねえ』
ぐ、と唸った。
「そこをなんとかお願いできないでしょうか」
『もうあと五分で集合が始まるんだ、そんな余裕はないよ。少なくとも明後日までは無理だね』
「それでは遅……、う、く、すみません」
盛大なため息が聞こえた。
『うちは宗教団体なんだよ、佐々木透子さん。儀式っていうのはあんたらが思っている以上に重要なものなんだよ。ただの集会じゃないんだ。だから今回ばかりは……』
『あら別にいいじゃない』
突然割り込んできた声は、こうして聴き比べるととても差がある、龍禅院さんの姉のものだった。
『天蓮景様!』
『お姉ちゃん』
『……姉様』
『何?どうかしたの透子ちゃん、話してみてちょうだいな』
電話を勝手に奪ったらしい天蓮景様の声が、受話器から響く。衣擦れののような音が側でしていた。私は今回起きた事件について話す。
「……ということなんです。なので是非天蓮景様のお力をお借りできないかと」
『いいわよ』
『っ姉様!』
「本当ですか!」
私と龍禅院さんの声のタイミングが被って、それを面白がるように鈴のなるような笑い声がする。
『だって恩があるもの、それくらいお安い御用だわ』
『しかして……姉様、今回の儀式は年に一度の大々的なものですし、何より信者が穢れに触れたことへの浄化も含めた……』
『一時間後にいらして、もう今はあまり時間がないから』
「ありがとうございます!」
『姉様!』
そこで電話が切れた。龍禅院さんは、まだ納得が行かなかったようだが、これは、とても心強い味方を得たのかもしれない。嬉しい反面、体の奥底がざわついた、血が騒ぐような内側からの抗議を、私は息を飲むようにして、無視しようと努めた。
「天蓮景様!一体何を考えておいでなのです!」
「考えてるのは前から一つだけって言ってるでしょう、香織ちゃん」
天蓮景こと、花江は妹を抱きしめた。
「……本当に、あなたが五体満足でよかった」
「聞いていらっしゃるのですか?!」
「あなたこそ昔からずっと聞いていたはずよ、私は信者のことなんて本当はどうでもいい」
「……。」
「ただ、私達の生業として、生き方として、これがあるだけ。香織ちゃん、あなたがいなくなったらなんの意味もないのよ」
花江にとってたった一人の妹は、幼少から栄養状態が悪い環境で育てられたせいで、こうして独立していくら良い暮らしができるようになっても、かわいそうなくらい細いままだった。何もしなくても良い環境を与えても、天蓮景様を働かせるわけにはと小さな雑用を見つけてはそこからたくさんの仕事を見つけてこなしてしまう妹。自分よりずっと優秀で賢い彼女は、なぜか自分の置かれてる環境を疑問に思わなかった。今だって思っていない。賢いのに、その点だけはずっと馬鹿な子のままだった。
「あの組織は、あなたを救ってくれたわ。それだけで私にとっては、儀式なんかよりずっと大事なものになる。あそこがまた、あなたを助けようと思ってくれるようになれば、私が地獄に落ちようが幸せなの」
「姉様……!そのような!」
彼女はそのまま二の句が告げなかった。花江は愛してるわ、と囁きながら、香織の背中を叩いた。しばらくして、彼女が分かりましたと言うまでの間。ずっと。
儀式開始の時間をアナウンスで遅らせて、その十分前に天蓮景が部屋に入ると、そこには既に木下が座っていた。
「てんれんげさま」
「木下さん」
「花名(かめい)で呼んでください、てんれんげさま」
「あら、今日は甘えたなのね……シラユリさん。修練まではまだ時間がありますよ」
「だめですか……?」
「まさか、ダメなんてことはないですよ、いらっしゃいな」
白檀の香りが満ちたドーム状の部屋の中は、全てが彩り鮮やかに染められたクッションで覆われている。中心に向かって蓮華の花のように敷き詰められたそれは一分の隙間もない。そしてその真ん中に座っているのは、歳の離れた裸の男女二人。
「あなたは、この時期になると随分寂しがり屋になりますね」
「……だって天蓮景様、外でコスモスが咲いているんです」
そう言う木下は、甘えるように天蓮景様の胸に埋まった。彼女は思った、まだ、あの外の子が恋しいのだろう。無理もない、あれは誰が見ても大恋愛だったから。彼女の名前をコスモスにしようと話していた、それが叶わなかった、たったそれだけで今も傷ついてしまう彼は、幼い時から変わらない純朴なままだった。
「……そんなことで、思い出す私がいけないのでしょうか」
「過去は過去ですよ。でも、無理に忘れろとは言わない。それもまた、あなたの道ですから」
天蓮華は母親の様に木下を抱きしめた。彼が生まれた時から続けてきた抱擁は、今になっても同じ暖かさを保っている。
「……佐々木さんのことは、残念でしたね、でも彼女は、あなた自身を見てくれる人ではなかった。だからこれはもう、仕方のないことです。……あなたがあなたらしくいられないのであれば、どんなに好きになっても、意味がありません。ねえ、シラユリさん。忘れましょう。今日この修練の間だけでも、少しずつで良いですから」
「あ、てんれんげさま……」
彼は今日メガネすら、していない。細身で筋肉質な体つきは、瑞々しい若さ輝く様にも見える。天蓮景の胸の上に、大粒の涙が落ち、彼女はそれを宥める様に男の頭を撫で続けていた。
「あ!きのし……シラユリさんずるーい!天蓮景さま独り占めしないでよ!」
「ねえねえ今日はカラタチさんが久々にいらっしゃるみたい」
「キンポウゲさん!探したんですよ!」
時間が来て、修練のために多くの男女が裸のまま部屋に訪れる。こしみの一つ付けていないはずなのに彼らは恥ずかしがることなく部屋の中で楽しくおしゃべりをする。まるでそれが自然なことの様に。焚きしめられる香の匂いが強くなり、部屋の明かりが絞られた。薄暗い部屋の中は、最早人の輪郭がうっすらとわかる程度でしかない。天蓮景は腕の中でまだ涙ぐむ男を抱えたまま、部屋中に向かって告げる。
「修練者の皆様、遅くなってしまい申し訳ございません。そしてさらにもう一つ、皆様に謝らねばならないことがあります。本日は年に一度の大修練の日ではございますが、今日は通常修練の日とし、また後日、大修練の日を設ける運びとなりました」
途端に信者たちがざわつく。今日のために地方から渡ってきた人もいるのだから、動揺は当然のことだ。
「私は、本日もこうして、皆で修練に励むことができてとても嬉しく思います。ですが先日、突然の不審者の襲撃により、本部は一時危機的な状況に追い込まれました。その中で、怖い思いをした方も多いでしょう。結びがより深まった方もいらっしゃるでしょう。ですが、誰一人欠けることなくまた集まれていることは、大変幸運でした。それもこれも、市役所の方々や、皆様の行いがあってこそです。しかし私の信念が足りなかったために、犯人は依然としてつかまっておりません。そこで、市役所の方から、私に儀式をしてもらいたいとの要請がありました」
その言葉にさらに周囲がざわつく。当然のことだ、行政が特定の宗教法人を支持し、儀式を依頼するなどは神南市以外ではあり得ない。
「私は皆さんのために、そして助けを求めてきた彼らのために、儀式を行うことを選びました。この場を借りて、ご迷惑を欠けた皆様にはお詫び申し上げます」
堂内の乱れた空気が、その言葉で一斉に整う。もはや誰も、今回の件で不満を感じる者はいなかった。なぜなら彼らはすでに兄弟姉妹だからだ。通じ合う彼らは、ただ演説によって思想が統一される以上の一致団結を生んでいた。少なくとも本人たちはそう信じていた。
「それでは皆様、本日は俗世の全てを忘れ、修行に励むことにいたしましょう」
清廉な音が、部屋の中に響き渡った。それは鈴の音の様にも、鐘の音の様にも聞こえる澄んだ音だった。暗闇の中で、人々が動き始める。笑い声や、ひそひそ話と共に。香の匂いが強くなる中、自動でゆっくりと、ドーム型の扉が閉まった。その中で起きることは、中に入った人間以外は知らず、外に漏れることもない。ただ芳しいお香の残り香だけが、白い廊下に満ち満ちていた。
佐々木side
「すみません佐々木さん、お待たせして」
明らかに風呂上がりの濡れた髪をタオルで押さえながら、天蓮景様が会議室に入ってきた。彼女は待たせたと言っているが、幸いなことに私がここに来てから五分ほどしか経っていない。
「突然すみません」
「大丈夫よ、もう一度要点を説明してくださる?」
「……私たちの不手際で、本田警備保障の本田さんが、半神に拐われてしまったのです。彼女は食人鬼です、ことは一刻を争うんです」
「……わかったわ、村上さん、皆さんにすぐお伝えして、先日いらっしゃられた本田さんというお客様と例の関係者を探してって。前ここを襲ってきた人よ。佐々木さん、今の姿は?」
「背の高い女性、前こちらに来た時に最後に変身していた姿です」
「ならそういう特徴の人には特に気をつけてと伝えて。ただ優先するのは男性の方、そっちの特徴に近い人がいたら情報を集めて」
「かしこまりました」
「しかし、変身されてるかもしれなくて……」
「あの半神の能力は変身じゃないわ」
てきぱきと指示を出している天蓮景様に助言のつもりで返したところ、彼女はそう返してきた。急ぐ様子で手招きするので、彼女に言われるがまま、席を立つ。
「彼女は見るものの姿を変えるんじゃなくて、見ている人間の意識を変えてる。いわば人類全体への永続の催眠術のようなもの。人間が人間以外とコミュニケーションが取れず、見た物より常識を信じることを利用したね」
「どうしてそう思うんですか」
「あなたも今日体感したんではなくて?うちでは、あの人を見た時に、自分の知り合いに似ていたと主張している方がいらして……それでわかりました」
冠を被り、突然廊下で服を脱いで着替え始める天蓮景様。
「世間的に言えば彼らは狂人とか錯乱といった風に扱われますが、それだけってわけでも、ないんですよ。理性や知性ではない、人間の本能や感性が強く出て、神の術に対して同じ反応が出ないことがあります。人間ってのは、思ったよりしぶといものなんですよ。勿論神にあてられて狂う場合も多いので、全部が全部そうってわけじゃないから、あとは、魔女の勘ですね」
「勘ですか……魔女?!」
「あら、ご存知なかった?」
進む間に信者から次々と不思議な道具が天蓮景様に差し出される。お寺や神社で見たことがある様なものから、なぜかファブリーズまで。天蓮景様は何を基準にしているのか、それをいくつか指差し、持って来させる。
「魔法を使う女、つまり巫女やシャーマンだって、立派な魔女ですから」
最終的に着いた部屋には、一人の男性が立っていた。重い扉がゆっくりと開く。
「そうだ、ちょっとそちらで待っていてくださいね、すぐ済ませるので」
「私が入ってはいけませんか?」
「十八禁です」
「……ハイ」
「もっと大人になってから、いらっしゃい」
妙に彼女が協力的なものだから忘れていた、そうだこの組織はそういうところだった。母親の様な顔で彼女が笑うと、男性と共に部屋の奥に入っていった。
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