第3話 デイアネイラの指切り④

白井side


「いやあれは神だったわ……神……神のファンサ……」

「アリエルめっちゃ良い匂いしました」

 俺たちはマーメイドラグーン内のカフェで一息ついていた。名前はわからないが、ともかくもう息も絶え絶えだったのでありがたい。

「やっぱ綺麗なものっていいわね……心が浄化されるわ」

 清花も息が上がっている。清花にはじめ勧められた時には特に何も思っていなかったが、まさかこんな沼が広がっているとは思わなかった。いちいちサービスが良すぎる。特に最近そっち方面の情報収集ができていなかったから、かなり心に染み入った。

「何か食べようか……」

 む、ピザとスープくらいしかない。だがあのサービスを考えると妥当だ。アイドルのコラボカフェだって、カフェなのにも関わらず少し前まで似たような感じだったわけだし。

「ここのチャウダー好きなんだよね」

「オッケー、あとピザ食べて良い?」

「勿論、というか私も食べたい」

 彼女はそう言って笑った。

 ……彼女には、随分苦労をかけている、と思う。神のこと、神南市の真実を、彼女には何も伝えられない。伝えたら最後、彼女の命の危機が近づくだろう。

 俺は、今このタイミングで彼女が死ぬことは本当に耐えられない。自分の中で信じていたものと、世の中で起きていることのズレを知った時に、そしてそれを深堀していくたびに、自分が別の生き物に変化するような不安を覚える。その度に、彼女の存在が、俺を本来の立ち位置に戻してくれるような気がしていた。……だから、彼女が失われれば、俺はもうきっと、戻って来れない。

 だからこそ……別れるべきなのかもしれない。少しでも、彼女の安全を考えるのな……。

「いった!」

「虚空を見つめてどうしたの?猫ちゃんなの?」

「誰が猫ちゃんだ、だれが」

 突然のデコピンは、彼女の俺と比較すると少しだけ長い爪のせいでダメージが倍加してる気がする。

「ほら、ピザ持って来たから、食べよ」

 切り分けた薄い生地を、彼女はフォークで畳んで器用に丸めると、一瞬で、一口で食べてしまった。

 ……なんでそんなに大きい生地を一気に口に入れたんだ?案の定苦しそうだ。噛めてない、噛めてないぞ。今にも口から出そうじゃないかあーあー。

「……出して良いぞ」

 そう言っても首を振って断固として譲らない。なんならちょっと口からソースが出ているのに。

「……た、食べ切った!」

「ヤムチャしやがって……」

 へへ、と笑う彼女がいた。さっきまで考えていたこと、思い悩んでいたことが、どこか遠いところに飛んでいく。よかった、今日ここに来て、そう心から思っていた。


 その時、背筋にピリッとした感触が走った。それは緊張感のような、焦燥感のようなもので、今唐突に起こるのはおかしい、プレッシャーのようなものだった。

「……隼人?」

 おかしい、何かがおかしい、何かが……こっちをみている。

 とっさにあたりを見回した。だが見回すまでもなく……そこに、それはいた。

「隼人、どうしたの?ねえ!」

 立ち上がって、その方向に向かわずにはいられなかった。目を逸らしたくなるほど怖くて、ただでさえ薄暗いパーク内で、なぜか視界がさらに暗くなって、その一点以外に目が行かなくなっている。怖い、恐ろしい、それは病院内で体験したこともある感覚だった。清花に、ちょっと待ってて、と言った。言ったつもりだが、届いているか?彼女の方を見る。視界が暗い、暗いというより、認識できない。目には確かに情報が入っているはずなのに、そこに何があるのか、よく見えない。どういう顔をしているのかわからない。

「頼む、そこに、いてくれ」

 俺は歩き出す。

「……知り合いが、覗き見してるみたいなんだ」

「え?」

「ちょっと怒ってくる」

「なに、隼人!」

 頼む、頼む、そこから動かないでくれ。一歩も、こちらを見ることすらしないでくれ。頼む。まっすぐに歩いていく。彼らがいるそこに。

「っ、あ、えーっと奇遇ですね白井さんこれは!」

「ちょっとこっちきてください」

「スミマセン」

 俺は彼らを人気の少ないところに押しやった。死角の多い場所でよかった。奥へ奥へ押し込んで、ほとんど人が見えなくなった、展示エリアでそいつの胸ぐらを掴んで壁に押し付けた。

「ちょ、ちょっと白井さん」

「誰だ」

「あ、スタッフさんすみませんこっちは大丈夫なので」

「お前は誰だ…!どうして、どうして三井の顔をしている!!」

 瞬間、周囲の全てが、音を立ててくずれたような感覚がした。震える声で聞いている。今この瞬間、俺の腕も、首も無くなるかもしれない。だがその恐怖によって震えたのではなかった。

 佐々木さんも、根崎さんも、高田さんも、本田さんも、黙っている。何も言ってこない。こいつは、なんだ?どうしてここにいる?

 三井の顔が、こちらを真っ直ぐ見て言った。

「……あちゃー、可哀想に。ズレちゃったのね……私が、その男に見えるんだ」

 鼓膜が割れるほどの大きい音がした。振り向くと、根崎さんが至近距離で発砲していた。だが、ヤツは手で、それを受け止めていた。大きい音に、背後からざわめきが聞こえる。

「白井さん!」

 とっさに引き寄せられた、目の前には、ただ伸ばされた手。その手が自分をつかもうとしていたのがわかった。間一髪、佐々木さんが俺の背中を引っ張ってくれたらしい。しかしそのまま硬直もなく手が右に逸らされる。その先にいたのは……。

「っ高田さん!」

 高田さんが、前に手をやり、迎撃態勢を取る。しかしその前に、高田さんが消える。

「あれ?」

「った!」

 ……高田さんが転んだ、あの体幹の強い人が、突然後ろに倒れ込んだのだ。

「ならこっち」

 その直後素早く掴まれたのは、本田さんだった。

「なーんで人助けなんてしちゃうかな」

「っう!」

「まーしょうがない。今日の獲物はこれでいーや。じゃあね」

 バツン!という音とともに二人が消えた。


佐々木side


 まずいまずいまずいまずい!何が起こった何が起きた!!

「白井さん、あなた一体何をみたんですか!」

「……あれが三井に見えたんだ。そこにさらに君たちがいたから」

「なんで三井さんに見えたんだ!!」

「透子ちゃん一旦落ち着いて!」

 いつからいた?あれはいつから私たちのそばにいた?!どうしてわからなかった?!わからない!落ち着け、まずは情報把握、状況把握、今ここでできる最善を……。

「あの、佐々木さん」

突然知らない声がかかり、私はその場から飛び退いた。

「失礼します。私、本田警備保障に勤めております李と申します。社長よりこうしたことが起きた際にお伝えするようにと仰せつかっていることがありまして」

「な、何?!教えて!!」

 藁にもすがる思いで私は男性に縋り付いた。だが帰ってきたのは、非情な答えであった。

「……『僕のことは、忘れろ』と……」

「そんな……!」

「何言ってんだあいつ、化物放置してほっとけって意味か?」

「でも今彼らを追う手立ては無い……」

 根崎さんが腹立たしげに壁を蹴る。高田さんは俯いている。私は……どうすればいい?

「……その話って、つまり本田さんはこうなることを想定していたって意味ですよね」

「いえ、万が一とおっしゃっていました」

「それは万が一と言うでしょう。社員さんには。でもさっき、本田さんは高田さんの足を払ってましたよね。高田さんなら、多少半神とも戦えるし、近くに根崎さんや私もいたから、他のやり方はあったのに」

 わざと?その考えは突飛ではあったが、嫌な予感がした。

「……李さん、私たちが得た情報以外に、半神のことについて本田さんが持っている情報はありませんか、知っていませんか」

「私は……」

「本田さんの命の危機なんです!頼みます教えてください!」

 そう私が言うと、水面を模した灯に照らされた李さんの瞳が揺れた。しかし、すぐの頷く。

「……わかりました、お連れします。外に車を用意いたしますので、お待ちください」

「ありがとうございます!」

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