第3話 デイアネイラの指切り②

4トンのトマトほどの残虐性

佐々木side


 本田さんの足が回復するのと、私の検査が終わるまでに約半年が経過していた。半年というと、あの怪我からの回復の部類としては相当早い方になるのだろうが、私はその間、気が気ではなかった。幸いにも、大きな事件はその間に起こったりしなかったが、もし起きてしまっていたらと思うと、心臓が握られるような心地がする。

 そして今、私たちは本田警備保障の会議室の一つに座っていた。

「では高田さんと佐々木さんの退院を祝して、乾杯!」

「……。」

「……。」

「……。」

「ノリ悪いな君たち」

 本田さんは並々注がれたワインに口をつけた。全快した私たちは、本田さんが今回の事件の半神に関する情報を掴んでいるということで、急遽彼に呼ばれたのだ。だが着いた先ではなぜか見知らぬコックが肉を切っていて、テーブルにはワインが置かれていた。部屋は確かに会議室だったが、大テーブルの上にクロスが敷かれて、しかもプラスチックのカトラリーが丁寧に並べられている。椅子までレストランにある様なものに変えられているせいで、会議室の雰囲気は霧散している。そしてなぜかいるウェイターにあれよあれよと座らされた上になぜか弁当の黒いプラケースの中に肉が置かれ、本田さんが乾杯の音頭をとったのだ。私は冷や汗をたらしながら本田さんに耳打ちする。

「……本田さん、公務員倫理規定というものがありましてね?仕事でつながっている役所の人間に接待などを行うことは基本的に禁止されているのでこれは……」

「硬い肉だな」

「根崎さんステイ!!」

 テーブルマナーも気にせずにフォークに刺した肉に豪快にかぶりつく根崎さんを思わず叱ってしまった。

「それって君たちにも適用されるんですか?人に発砲したり第三者に釈放を手伝ってもらったりしてるのに」

「うっ、いや、それは……確かにそうですけど……」

 それを言われるとぐうの音も出ない。でもルールはルールとしてあるわけだから…、いやいやそもそも私たちは他の人たちとはだいぶ立場が違うんだよな。……人権だって危ういところがあるし。しかしルールを守るからこそ……。うんうんと悩んでいたら、渡辺さんがぽんぽんと私の肩を叩いた。

「大丈夫よ佐々木さん、これはほら、お弁当じゃない」

「いや、え?」

「ほら、お弁当のパックにも入ってるし」

 渡辺さんが分厚い肉の入ったそれを掲げた。肉の熱でプラパックが変形しそうになっている。ていうかそういう意図か?!このパックは?!

「そうだよ、これはお弁当です。うちの職員も食べてるし。ちなみにこれは私が個人的に飼育してる牛の肉で、色々あって殺処分になったやつだから実質タダですよ」

「……この料理人は?」

「あーー……弟です」

 本田さんご兄弟いらっしゃいましたっけ?いなかったでしょ?!さっきの話だって、どこまで本当か。

「まあともかく気にしなくていいです。これはあくまで私の食事に付き合ってもらってるだけなので。皆さんが弁当で、私だけステーキなのも良くないですし」

「みんなでお弁当というわけには……」

「それだと私の体が保たないんですよ、すみません」

 彼は巨大な体を叩いて言った。お腹を叩いてるだけなのに説得力がすごいのはなぜだろう。

 私は根負けして肉を切り始める。プラスチックのナイフが通る肉は、根崎さんの言う様な「硬い肉」には思えなかった。高田さんも出された肉を恐る恐る食べ始めている。彼は基本食事として出されたものは拒めないので仕方ないのだが、目が死んでいる。まだ良心に咎めているのだろう。あ、めっちゃおいしいやつじゃんこれ。

「で、頼まれていた資料なのですが」

 かばんから出してきたそれは普段彼が提供してくれる量の倍はあった。

「……随分熱心に調べていただいた様ですね」

「半神に関しては元々そちらよりもデータがある。それに食人をする半神ってのは意外と珍しいんで、関連情報が集めやすかったんです」

「へえ……」

 というか、人の肉を食うヤツの話をしながらステーキを食べるのって、なかなかエグくないかこれ。いや文句とかは言えないけど。

「あいつらにとって人間なんて消しカス同然だろ、なんで食う奴は少ないんだ?」

「何に使うのかは私も知りませんが、素材としての方が有用みたいですよ。そもそも人間の肉はカロリーが低く、食材としてはあまり上等なものではないですし、珍味が好きみたいな感覚だと思います」

「良い身分だこと」

 テーブルマナーなんて気にせず、根崎さんは食べ物を食い散らかしている。白いクロスに、ソースのシミがいくつもついていた。

「しかしみなさんが対峙した際に見たという変身や現実改変能力は、奇妙ですね」

「はい、半神は、基本的に一つの能力しか私たちに見せないというのが定説でしたから」

「定説つってもあくまで過去にどうだったかって話でしかねえってことか」

「それともあれで『一つの能力』なのか……」

 高田さんが呟く様に言った。……まるで、雲を掴む様な話だ。

「神と同じ様に、わからないことを推測するのはあまり良いとは言えません。私たちの想像をはるかに超えてくるものなので、理屈で考えない方が良い。ただ、今わかっているのは、彼らには重火器が通用すること、そして、存在を認識できると言うこと。目的は、神と同じく退散させること、あるいはうまくやれば、殺傷することも可能です」

「半神を、倒したことがおありで?」

「ええ、一度きりですが……」

 根崎さんが皮肉っぽく言ったことに、本田さんはさらりと返した。私はそれに食いつく。

「ど、どうやって?!」

「マシンガンで蜂の巣に」

「マシンガン?!」

「外国でのことです。日本でぶっ放したりはしませんから。不自然では無い程度に神々または半神は、神南市以外の人間も襲っています。平和な国と戦場とを交互に行き来するのが彼らの常套手段で、平和な地域では、大事にならない程度に人を襲って、事件性が明るみになる前に戦場に行く。戦場では殺戮に加担しつつ、それが激化してきたら平和な国にいったん退避する、の繰り返しで、人間を狩っています。しかしそうやって転々としていた半神、神々も、今のこの神南市のいわば『在庫一掃セール』によって続々と集結してるみたいですけどね」

 上手いこと言いながら、彼は少し昔を思い出すような口ぶりで、静かに視線を肉に落としている。切っては口に入れ、五回ほど噛んでから飲み込む間、表情は変わらない。

「紛争地帯に行った経験があるんですか?」

「ええ、これでも、警備会社の人間なものですから、研究がてらに。一時的に私兵部隊に所属したこともありますよ」

 戦争は、日本という国において、あまりにも遠い出来事だ。遠すぎて、まるで生まれてから一度も人を害したことなんてないみたいな考え方をする人までいるくらいだから、相当だろう。だらしなく座る根崎さんと、姿勢が綺麗な高田さんと渡辺さんを見つめる。渡辺さんが、根崎さんにナプキンを渡そうとして、叩かれた。

 ……見るたびに思う、彼らと世間の人々、あるいは地球の裏側にいる人々、どういう差があるのだろうかと。不幸と幸福の境目はどこにあって、誰の何がそれを判断しているのだろうかと。路地裏の娼婦は古代から笑顔で、戦勝者は首を掲げて戦果を喜ぶ。では人にとって、本当は何が幸せで、何が不幸なのか。それともこんな過激で偏った考え方をすること自体が、そもそもおかしいのだろうか。

 数回瞬きをして、考えるのをやめた。肉が不味くなる。せっかくのご飯の味を落としてしまう必要はない。せっかくおいしいものなんだから。脂身のしっかりと乗ったお肉は、価値を想像するのが怖いくらいだ。それを本田さんは、何の躊躇いもなく、それこそ普通のご飯を食べる勢いで体の中に収めていく。しかもよく見ると、懐から何か調味料を出しては時々味変していた。ステーキを食べるプロか?

「それは……ドレッシングですか?」

「……?ああ、すみません、これ薬なんですよ」

「薬?」

「はい、普通に飲むとうっかり忘れてしまったりするので、特別に作ったものなんです。ほらこの通り……不健康なもので」

 そしてまたすごい説得力のお腹を叩いた。良い音するなそれ。

「ははっ、金持ちは薬の飲み方まで好きにさせてもらえるんだな」

「そうだ、だから君も稼ぐと良い」

「皮肉か?」

「そういう選択肢もあるだろう、まだ」

 根崎さんの嫌味にも屈することなく、肉が口の中に吸い込まれていく。根崎さんはケッとだけ言って食事を続けた。嫌味を一つは言わないと気が済まない彼は、最早半分真面目と言っても差し支えないんじゃないだろうか。

「……それでですね、今回こうしてお集まりいただいたのは、ただ情報共有を共有するためではなくてですね、奴を捕らえる、または処理するための作戦を立案させていただきたいな、と思いまして」

 本田さんが目配せすると、シェフが肉の塊を載せたワゴンを引いていく。私たちもある程度食べ終わったところで、渡辺さんと高田さんに食後酒が、私と根崎さんにはジュースが運ばれた。根崎さんが飲めないことまで知っているのか。給仕の人が部屋から出ると、本田さんは話の続きを始めた。

「……実は、今回の事件の大元となった半神の位置を突き止めることができまして」

「?!ど、どうやって」

「神景会が協力してくださいました」

 思わず倒れない様に体を支えるので必死になった。心の底から湧き出る嫌悪と歓喜が、全身をぐるぐる回っているのを感じる。

「ど、どうして……」

「あなたたちに大きい借りができたと、教主様直々に連絡がありましてね?呪術的な観点から後方支援していただけることになりました」

 おかしい、あくまでビジネスだと、龍禅院さんなら言うはずだ。むしろそういう条件で私たちは手を組んできた。私たちが彼らを支援し、多少のことに目を瞑ることで、代わりに調査の代行や資料の提供を行うと。しかし前回の襲撃で、私たちは確かにあの宗教団体が崩壊するのを防いだのは事実だ。その点では大きな借りになった、といえるのか。それに、龍禅院さんは前に会った時、明らかに天蓮景様に逆らえない感じだった。これがもし天蓮景様のご意向なら、話がスムーズにいくのも、あり得なくはないか。

「兄弟姉妹全員誠心誠意を持って対応するとおっしゃっていただいてます。教主自ら儀式も執り行ってくれた様で、おかげで想定以上の情報を得ることができました。また佐々木さんたちにもお会いしたいとのことなので、今度お礼を言っておいていただけませんか」

「は、はい」

 はい、とは言ったが、やだなあ……行きたくないなあ……。あそこに行くと、本当に冷静でいられない。でも高田さんや根崎さんとは相性が悪いと言っていたわけだし、一人でいかなきゃダメな奴だろう、これは。儀式。そういえば、高田さんと根崎さんを見た時に、一眼で神山の術と見破っていたっけ。そして、自分が術を使うという話もしていた。他の宗教団体から分離したと言う話もしていたし、ということは彼女もまた、失われた技術の継承者だ。会いにいかないわけには、いかない。

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