第2話 願いを叶えるアナトミー⑩
一人も死ぬことはなかった
いずれ、起こるであろうとは考えていた。彼が四肢を失うのは、これで二度目だ。
彼の判断は、正しかった。神景会は数少ない我々の協力団体で、特にパイプ役である龍禅院さんがいなくなれば、たとえあの組織が生き残ったとしても、今後の協力を仰ぐことなど不可能だろう。それに、根崎さんが五体満足で帰ってきたのも大きかった。
ただ正しかったからと言って、正しいからと言って……良いわけない。良いわけないじゃん。そんなの。思い出すのは、彼が右腕をなくしたときのこと。頭の中で幻肢痛に耐える彼の呻き声がこだまする。まるで他に降りかかるはずだった苦しみを全部背負ったみたいで。そこからだ、私がそっと高田さんや根崎さんの部屋に忍び込むようになったのは。眠れないんだ、私はそれに甘えただけ。頭の上を通っていく、少し荒い寝息を聞くまで眠りたくなかっただけ。
病院の廊下は明るい。足を切るとなれば、市役所の地下なんかじゃ足りないから、遠い病院まで運んだ。手配してくれたのは神景会の、天蓮景様だった。夕日が灰色の床を濡らして、嫌が応にも先ほどの一瞬の惨状を思い出させてくる。人気は不思議なくらいなかった。
根崎さんは変わらず煙草をくゆらせている。病院だからと言っておかまいなしに彼の周りをもうもうと白い煙が舞う。石膏の天井もクリーム色の壁も、おそらく煙草の煙なんて浴びたことがなかったろうに。真っ白なそれは彼の全身をぼやかしているかのようにも見えた。
「……なんて顔だよ」
彼は私の姿を分厚いレンズ越しに見つけたのだろう、そう話しかけてきた。そんなものはないはずなのに、彼は血濡れてみえた。厚いはずのスーツから染み出した血が病院の椅子を汚して煙草を持つ掌にすら、赤黒くこびりついたそれが残っているような。
「……根崎さん、大丈夫?」
「一番軽傷のやつは言うことが違うよな。はは、まあいいや、一本吸うか?」
彼の上機嫌な口ぶりに体が固まる。それを見て彼は面白そうににやりと笑った。
「けけ、辛気臭え顔しやがって、まだあいつは死んでねーだろ、今そんなことでどーするよ」
彼が吐き出した煙が顔面に直撃する、目に染みた、いや、染みただけじゃない痛みが両目に降りかかる。
「高田さん、は」
「お前さあ……考えすぎなんだよ、大体、生まれた時から恵まれたやつなんだからさ、これくらいの不幸があるくらいでちょうどいいだろ」
「なにを」
「俺と違って良い思いしてきてんだからよ、これくらいの不幸がある位でちょうど良いと思わねえか?」
だから嫌いなんだけどよ、と、吊り上がる口の端、慌てて押さえつけた左手は、やはり血に塗れていた。
「見たか、わかってたくせに、足が動かなくなったってわかった瞬間、すげえ顔してたぜ……」
「……っ……根崎さん、あなたって人はほんとうに……」
いいかけて、やめた。私が言えることじゃない。
「おい、お前も良い加減目ぇ覚ませよ。あいつは今回怪我も何もしてねえだろ、俺と違ってよ。そんで祈るって決めたのはあいつの勝手だ。なのにあのざま……あれはよ、かわいそうだね、辛いねって言われたいだけなんだよ、アレはよ。裏で陰口叩いてるくらいでちょうどいい……」
ばしゃ、と突然彼に横殴りに水がかかった。白井さんが、水の入った紙コップを持ってそこにいた。
「館内は禁煙だ、消せ」
「シケたこと言ってんじゃねえよ先生様よ、にしてもアンタも学ばねえなあ、人にコップの中身をかけるのが趣味なんか?」
「…、…吸うなら出ていけ」
「うわあ、うっぜえ」
大体濡れたから持ってたやつはもう吸えねえよ、あとで弁償しろよお前、と、ブツブツとぼやきながら彼は立ち上がった。私は彼の後に続こうとして、やめた。
「最低だな、お前」
椅子を擦る後ろで、白井さんの声が聞こえた。
「……褒め言葉だな」
対する根崎さんは笑っていた。そのまま、肩を震わせ、廊下に革靴の音を響かせて行った。
つづく
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