第2話 願いを叶えるアナトミー⑥
与えられた役割をこなすのが大人
佐々木side
「と、いうことがあったんです」
「いや言っちゃってますよ?!」
思わずそう叫んでしまった。ここはいつもの産業医用の面談室だ。彼が突然、大事な話があると言って、夜に私たちを尋ねてきたので、連れてきたら、これである。二度目じゃんこれ。
「現状の報告は大事でしょう?」
「ええ、いや、ええ……」
自分の精神状態まで丸っと含めた重ぉい報告を、すっごい冷静に説明されて、私は温度差で気が狂うかと思った。三井さんへの感情のベクトル重すぎない?とか、それを真顔で言うの何?とか言えるわけも聞けるわけもなく、私は大きくため息をついた。
「どう考えても、現状の報告の方が大事じゃないですか、今後のことを考えたら。神がいるとなれば、前の君たちの話ぶりからするに、犠牲は大きいはずだし。一人より二人、二人より三人助かるほうがずっといい」
「……なんかさ、白井さんって、なんというか……」
「なんですか」
「なんでもないです」
本人は冷静で合理的なつもりでいるけれど、多分絶対、確信を持って、本来はそういう人じゃないって言える。じゃなきゃ三井さんの一件の時には、もっと冷静でいてくれたはずだ。というか、顔も無表情じみていて、本人も頭が良いから、どうしても冷静沈着な医師、みたいなイメージを持ちがちだけれど、それって後付け感がすごい。彼なりの役割意識でそう生きるようになったんだろうか。
「あなたが死んだら悲しむ人もたくさんいるのに、生き急ぐような真似はしないで欲しいなって思っただけです。その、神に黙っていろって言われたわけじゃないですか、なら黙っていた方が、あなたにとってはいいでしょう」
「そりゃ俺だって死にたいわけじゃないですけどね」
もし、三井さんと世間の人々を天秤にかけさせたらどうなったんだろうな、という一種のバグ技めいたことを思ったが、もう過ぎてしまった話を蒸し返すのもよくないと思うので、黙っておくことにした。それともなんだ、死にたがっているんだろうかこの人は。
「……わけで、って、聞いてます?」
「……ともかく、身柄を保護していいですか?」
「だからそういう話をしています」
「んえ?あ、すみません」
私が話を聞いていなかったとわかっても、彼はまた同じように説明してくれた。
「だから、俺が今危険な状態なのは確かなので、こちらに泊まっても大丈夫ですか?と話してるんです」
「は、話が早くないですか?」
「三井の時にあなた達が要観察者をこちらに泊めているのは知っていましたから、それをさせてもらえないかなと思っただけですよ、もちろん、無理にとは言いませんが」
そう、こういうところだ。察しというか、構造把握、みたいなものにこの人は強い。少しの情報で、色々なことが予測できてしまえる所がある。頭はいいのだ、確かに。そして冷静な面もあるし、基本的には短気なわけではない。ただ、アンバランスなだけ。
「いや、こちらとしてもそのつもりだったので、それで大丈夫です」
「よかったです、すみません、お世話になります」
じゃあもしかして、いつもと違って少し大きめのボストンバッグを背負ってきたのは、着替えとかその他もろもろを入れてきたからなんだろうか……と思ったら、案の定そうだった。用意、早すぎませんかあなた。
「いやでも、断られたらどうするつもりだったんですか」
「そうしたら、近場のホテルにでも行こうと思っていました。家に帰るよりは、転々とした方がマークされにくいかなと」
前、三井さんが一時期泊まっていたところと同じエリア、市役所の半地下にある「関係者以外立ち入り禁止」の一角に案内した。そこは私たちが管轄しているエリアなのだ。もちろん三井さんの時みたいに、保護しなければならない人たちを泊めたり、ちょっとした治療を行ったりするために使う事もあるが、基本的には私たちの居住スペースだ。
社宅は市の外れにあって使いづらいことや、我々にとっての防犯の観点から、私たちは基本ここで暮らす必要があった。つまり、立地とか諸々の面やら何やらを組み合わせた、呪術的な結界が施されている。ここでは神の影響が少ない。神愛や神忌であってもある程度のプライベートは保たれ、私が迷子になることも少ない。現に、私たちが普通に暮らしていても、市役所に一件も「終業後も電気がついているなんておかしい!」みたいなモンスタークレームは来ていない。それは結界が機能している何よりの証拠だ。ちなみに、残業していた上層にはきちんとクレームが来ているとか、おーこわ。もちろん、それだけでは心許ないので、本田さんのところの警備システムもつけてもらっていたりする。
ちなみに、市役所の正面玄関以外の入り口もいろいろとあるので、パジャマで夜中に役所に忍び込む不審者が通報される、みたいな失態も起きない。白井さんは「世間に発覚したら税金泥棒とか言われてむちゃくちゃに叩かれそうだな」と言う感想をこぼしていた。
「でも相手は神ですよ?点々とするくらいじゃ、見つけられてしまうとか、考えなかったんですか」
「……思ったんですけど、あなた達が言う神だったら、あんな回りくどいこと、するのかなと思ったんです」
彼は私が案内した和室に荷物を下ろしながら言った。
「だって、見られた時点で俺の記憶を消すなり、殺すなり、まあともかく、もっとスマートなやり方があるでしょ、神なら。前の時には、俺を殺すことになんの躊躇もなさそうでしたし。それなのに、そうしてこなかったってことは、もしかしたら今回俺が遭遇したのは、前に三井の時に出た神より、ただの人間に近いのかなと思いまして」
あ、頭いい人間って怖いな~逆らいたくねえ~。今私の中で怖いものランキングの更新がされたぞ~!
「……その通りです、思うに、白井さんが遭遇したのは『半神』でしょう」
「阪神?」
「はん←しんではなく半神です。野球はしませんよ。その名の通り、半分だけ神様っていう存在です。神懸かりになった人間は、必ずしも完全な神になるわけではなくて、一部人間の特質を持ち続けたままの存在もいるみたいなんです」
つってもこれは、本田さんからの受け売りなのだけれど。
本田さんの会社「モトダ警備保障」は、名前こそ警備会社で、実際そう言う仕事も請負ってはいるが、もともと私たちが活動するころか、その前から神、特に半神の存在について研究を進めていた組織だ。そう、彼らの警備会社という名前は表向き、いや、半分正しいか。だって「半神」は半人間なのだから。まあつまり、半神から人間を守るために立ち上げられたのが、あの組織の起源なのだ。だから我々よりも半神に関しては詳しい。ただ、最初は彼らは超能力とか、もっと科学的な存在として半神を扱っていたそうだから、呪術的観点から見ると、私たちの方に分がある。
「神とは、どう違うんですか」
「一応、私たちは、人間の肉体から逸脱できないもの、という定義で扱っています。目の届く範囲のものしか見えないし、手の届く範囲にしか半神の手は届きません……と、言うとすごく弱く聞こえるかもしれませんが、それって戦車には勝てないけれど自家用車にならタックルできる気がする、みたいな発想で、人外じみた存在である事に違いはありません。そうですね、例えるなら、神話に出てくる英雄とか、聖人とか、そういうものに近い感じでしょうか」
「ヘラクレスとか?」
「そうそう、素手でライオンを鯖折りにできちゃうような存在です」
私が手でぽっきり、というジェスチャーをすると、なんとなく想像がついたらしく、彼が上を向いて小さくため息をついたのがわかった、まあ、うん、そうですね。
「ただ神とは違って正面から対峙しなければ大丈夫です。おそらく白井さんが私たちに情報を漏らした事もまだ知られていないでしょうし、彼らが使う神的な能力って、そんなに多くないんですよね」
「なぜ?」
「彼らは自分の手の内を明かすのを恐れるので、一つか二つしか能力を使用しないみたいなんです。白井さんの話から聞くに、その半神が使ったのは変身能力みたいなものなんじゃないですかね、それを使っている以上、他の能力を行使してくる確率は低いですよ」
神々は我々人間に自分たちの技術を知られることを恐れているらしい。常に彼らは認識の外にいようと心がけているし、それができない半神たちは、その分動きが制約されるということなのだろう。
「……さて、お部屋の案内もしましたし、えーっと、シャワールームはこっち、お手洗いはその隣にあります。夕飯は、まだ食堂が開いているとおもうので、そちらでできたらとってもらえますかね」
「わかりました、あ、コンビニってこの近くにあります?少し買いたいものがありまして……」
双りと二人
白井side
地上に上がると、見慣れた二人の後ろ姿が見えた。透子ちゃんがわざわざ呼んでくれた彼らは、俺の護衛だと言う。件の話を聞く限りだと、そこまでする必要はないと思ったのだが「いや、万が一があるので」という彼女の言葉に従った。専門家には従うに限る。
「こんばんは」
「こんばんは、白井さん」
ふたりとも、いつものスーツ姿でないと違和感があった。というか寝巻きだろう。コートの裾からジャージのパンツがのぞいている。笑顔で会釈を返したのは高田さんだけだった。
「その上っ面の敬語、やめたらどうだ」
「じゃあ遠慮なく、すまんな付き合わせて」
「いえ、ちょうど僕らも向かうところだったんです」
「あーめんどくせえめんどくせえ」
そう言って二人は歩きだした。二人の対照的な物言いは、人の本音と建前を同時に聞いているようで面白い。というか、この二人は二人で本音を言っているようにも感じた。多分どちらも、面倒とも、ちょうど買いたいものがあるというのも思っているんじゃないだろうか。だってお互いがそう言うのをまるで予想してたみたいに、行った直後にちら、と顔を合わせていたのだ。冷静になって観察すると、彼らは結構面白かった。
月明かりは薄く、白い街灯が月を補って視界を確保している。俺は彼らを、一歩離れてみることにした。高田さんが気にかけて何か話しかけようとしてくれているのはわかったが、気のない返事を続けていたら、察してくれたらしく、それからはあまり話しかけてもこなくなった。
目の前にいる二人は、不思議なほど対極なようでいて、ひどく似ているように見えた。特に後ろ姿、根崎さんは猫背で、高田さんは姿勢がいいから、身長差があるように見えるが、あれは多分同じくらいだろう。体格も、細身の根崎さんとがっしりした高田さんで、しかも普段の言動があれだから、全く違う存在のように感じていたが、見れば見るほど似ているように感じる。距離は近すぎもせず、遠すぎもしない、大体二十センチ位の間隔を開けて二人は歩いている。
「……二人は、兄弟か何かなんですか?」
「えっ?!あ、ああ……別にそういうわけじゃないですよ、なんでですか」
「後ろから見てると、似てるなあと思って」
すると今まで紫煙を燻らせながら無言で前を歩いていた根崎さんが「あ?」と不愉快そうに振り返る。
「俺とこいつのどこが似てるって言うんですか、気持ち悪ぃ」
根崎さんがそう吐き捨てると、高田さんはまるで慣れたことであるかのように微笑んだ。ただその顔は、なぜか普段より少し柔らかい。
「……付き合い、長い感じですか」
「え、ええまぁ……もう十……いや、親同士で元々付き合いがあったらしくって、それ含めると……二十年くらいなのかな」
幼馴染という奴か。にしてはよそよそしい。彼らより付き合いの短い俺と三井は、側からみてもう少し親密だった。それとも逆に、幼馴染ともなるとそういうものなのだろうか。近いからといって人が親しくなるわけではないのだから。だがそう断言してしまうには形容し難い関係が二人の間に繋がっている気がした。命のやり取りをする仲だからだろうか。
「根崎、あんまり前を行かないでくれ」
「俺の勝手だろ」
「そうだけどさ、寂しいじゃないか」
「ばーーーかかお前?いくつだよ、え?夜道が怖いって歳かよ」
根崎さんの口の悪さに全く物怖じせず、高田さんははははと笑った。
思っていたよりも広いコンビニだった。まあ市役所が近くにあるわけだから、需要はあるんだろう。タバコを買いに行った根崎さんと別れ、俺は買いたかった歯ブラシのセットをカゴに入れたのち、そのまま何の気無しに、冷蔵庫で冷やされている飲料をぼーっと眺めていた。ヒヤリとした空気に、霊安室の空気と似たものを感じる。
「寝酒ですか」
高田さんが声をかけてきた。
「……いや、体に良くないから、寝る前には飲みません」
「まあそのほうがいいですよねえ」
と言っている高田さんのカゴには、日本酒が一瓶。もちろん丸々一升瓶が、だ。
「……痛みを堪えるために飲むのは、やめたほうがいいですよ。眠りも浅くなりますし」
「へ?……ああ、大丈夫です、私、酔っぱらったことないんで」
事も無げに言われたそのセリフにぴしり、と固まる。
「……酔ったことがない?」
「ええ」
「少しも?」
「多分……変な気分になった事もないですし、ただ味が好きだから飲んでいるだけで」
「それはガチだから安心していーぞ先生。こいつおかしーんだよ」
根崎さんは買ったばかりのタバコに火をつけようとして、やめた。スプリンクラーの存在に気づいたらしい。
「多分その日本酒一瓶飲んだって、そいつは顔色すら変わらねーよ」
「そ、そうなんですか……」
「そう、らしいです?」
高田さんは無邪気に紙パックの焼酎のラベルを見ている。
「なんで疑問形なんだよ」
「だって分からないんだもの、なったことないからさ。どんな感じなの、あれって」
途端に根崎さんがしかめっ面をして、しゃがんでいる高田さんを蹴り上げようとする。それを自然な動作で掴んで避けた高田さんは、瓶の裏面から視線を外さない。
「嫌味かお前!」
「知らないものを知らないって言っただけじゃないか。別に君が一滴も飲めないことと関係は……」
「えっ、根崎さん飲めないんですか」
「やっぱりわざとだな!!」
自分の中では根崎さんは酒もタバコも嗜むイメージがあったものだから、思わず口に出してしまったことが火に油を注いだらしい。沸点の低い根崎さんが高田さんの胸ぐらを掴もうとする。が、それを高田さんは素早く払い退ける。最低限の動きで払われたそれは、高田さんの義手に捻られ巻き込まれそうになるものの、根崎さんはそれを知ってか知らずか、簡単に腕を抜き、逆の手で二撃目を振る。それを高田さんが掴み脇の下で抑えようとする、のを根崎さんが払って、元の位置に戻った。この間一秒も経っていない。コンビニの狭い棚に一瞬も触れることなく静かに行われたこの攻防を、五十代くらいのコンビニ店員のおっちゃんが見慣れたことのように流し目で見つつ、横で棚の整理をしている。
コンビニ店員が怒ってこないからか、それとも日常なのか、再度根崎さんが手を出す。真っ直ぐ出された拳が、また高田さんに払われるも、今度はその反動のまま根崎さんが高田さんの腕を掴み、捻る。ありえない方向に回転する肩を気にすることなく高田さんは根崎さんの首に左手をぶつけて下に落とす。決着が付くかと思いきや、根崎さんの体はそのまま倒れることなく異常なほどに折れ曲がり、それに伴って今度は高田さんの首に根崎さんの足がかかった。そのまま根崎さんの体が床から離れる。しかし成人男性の全体重が首に掛かったにもかかわらず高田さんは微動だにしない。
「はい、俺の勝ち」
言ったのは根崎さんだった。彼は高田さんの首から静かに降りると、右の義手を振ってみせる。その姿は一種人外じみて見えた。彼らが動いている間、商品は一つも揺れたりする様子はなく、多分後ろを向いていたら、気づかなかっただろうと思うくらいだった。根崎さんは何事もなかったかのように高田さんに右腕を投げて返し、高田さんは高田さんでまた何事もなかったかのように腕を元の位置に戻す。
「勝たせてあげたんだよ」
「負け惜しみ~はい負け惜しみ~~!」
「いやあいつ見ても見事だねえ」
「すみません」
「いーんだよ、こういう楽しみがなくちゃあ、やってらんないからね、この仕事は」
おっちゃんはそう言って笑った。治外法権、という言葉が脳裏に浮かぶ。
「……なあ孝平、もう一回外で組み手しないか」
「嫌に決まってんだろ体力お化け!!」
なんだか幻覚を見たみたいな気持ちになった。商品を揺らしもしなかったとはいえ、見ているこっちはヒヤヒヤしたわけで。そして、さっき感じた二人の関係に対する違和感の正体がわかった。これはあれだ、兄弟弟子という奴だ。高校時代に、そういう関係の人間を見たことがあった。
とりあえず帰り道、なぜ義手を取ったら勝ちなのか聞いてみよう、と思った。聞きたいことや指摘したいことはいろいろあるが、とっかかりはまずそこからでいいだろう。
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