第2話 願いを叶えるアナトミー④

良い子の偏見、悪い子の意見


「布教とか始めないでいいんでさっさと案内してください」

「ねーざーき、他の人に当たるんじゃない。すみません」

「いえいえ」

 私は彼を知っていた。だって……彼は。

 いや向こうは覚えていないと思うけど。それが唯一の救いだ。龍禅院さんもきっと知らないだろう、知らないはずだ、いやでも、嫌がらせで近づけられたとか?うーん根崎さんへの対応見てるとあり得なくないんだよなあ。勘弁してほしい。

「そこの子は?」

「あーっと」

 私は高田さんの腕を引いて、じっとその目を見た。できるだけ鋭く、できるだけ強く。それは一縷の望みと言っても過言ではなかった。そして彼は、察しよく私の視線を察してくれたらしい。

「……ちょっと能力の関係でこちらに手伝いに来てもらっている子なんですよ」

「能力ですか」

「ええ」

「それはそれは……てっきり、外側の人なのでそういったこととは無縁だと思っていましたよ。特に行方不明事件ですし」

「警察が出れない代わりに俺たちが出てるってことはそういうことなんだよ」

 高田さんの台詞は完璧だった。しかし男は優しく微笑みながら私の目線に合わせてしゃがみ込む。勘弁して。

「こんにちは、お名前は?」

「……まじま、えりな」

「えりなちゃん、よろしくね」

 眼鏡の底から覗く瞳が心からの優しさを込めていることがあまりにも気持ち悪かった。私は思わず高田さんの後ろに隠れた。

「こいつ、人見知りするんですよ」

「あぁ、ごめんね、じゃあ行きましょうか」

 根崎さんが返事をしながらこちらを見ている。私は口だけでごめんなさい、と言った。あとで説明するから、ここは黙って案内されて欲しい。


 この宗教施設の居住スペースには、扉がついておらず、のれんが一枚かかっているだけだった。男女の分け隔てもない。床は明るい茶色のフローリングで、壁は漆喰のように白いが、よく見ると消し損ねたクレヨンの跡があった。中では複数人の喋り声がする。プライバシーも何もない空間は、私からすると非常に居心地が悪かった。

「ここが井脇さんのお部屋です」

 彼に声をかけられて、根崎さんと高田さんが部屋に入っていく。よく見ると、この部屋には扉がついているようであった。まあ子供が出入りしたら、という観点からなのだろう。

 部屋は少々散らかっていた。というよりも、ちょっと部屋を抜けてトイレに出たのかと思うくらい雑然としていた。書きかけの手紙が机には置いてあり、万年筆のキャップすら閉められていない。ベッドにはステーショナリーセットがまとめられた箱と、それを少し漁ったような形跡。使う予定だった金色のリボンのシールが、行き場を失っている。

「それと、実は、机に他に、食べかけのクッキーも置かれていたのですが……腐ってしまうと良くないので、下げてしまいました」

「警察には?」

「新興宗教の居住区で人がいなくなるのは当然だろうと、取り合ってもらえませんでした。彼女の母親はもう亡くなっていて、届を出すのも難しかったですし」

 ここでは全員が家族である。特に父親の存在が伏せられている、という点は他の宗教組織と比べても独特だろう。ここの教義では、所属する全ての人が親であり、兄弟なのだ。実際に、兄弟のようなものであるし。

 それは、机の上の手紙の内容からも察することができた。

『愛する私の兄弟、敬仁さんへ

  最近いかがお過ごしですか、私は昨日、徹さんと美知さんと一緒に修練をいたしました。晶さんも最近あなたが修練場にいらっしゃらないので、心配しています、ですので三日後の土曜日に……』

 生理的嫌悪が体の奥を走っていく。私はそれをなんとか抑えた。

「何か、わかりますか」

「いや無理だな」

「ええ」

 男は声色に戸惑いをにじませながらも、こちらを心配そうに少々伺ったが、すぐに平静さを取り戻した。龍禅院さんが指名した私たちを信頼すると決めたのだろう。そこに畳み掛けるように根崎さんが言う。

「俺たちは探偵でもなけりゃましてや警察ですらねーんだよ、そこのところわかる?」

「こら根崎、でも、確かに龍禅院さんが不自然だという理由はよく分かりました」

 机の下には、クッキーの食べかすがまだ落ちていた。クッキーを下げたのは、本当に止むを得ずだったのだろう。ここではお菓子を手作りすることも多いと聞く。添加物の入っていない食べ物は足が早い。

「ねえ、ひととおり、しせつを見せてもらおうよ、もしかしたら、神様の気配、するかもしれないし」

「そうだねえりなちゃん」

 わざとらしい舌足らずな口調を咎めるでもなく、高田さんは私の手を握ってくれた。手袋の下の義手は硬くて、握りかえす力は存在しなかったが、優しさから私を気に掛ける男の目がそれですっと他に逸れたことで、今は何よりもの安心を生み出す手となっていた。


「ちなみに木下さんのご職業は何をしていらっしゃるんです?」

「現在はIT関係の仕事に就かせていただいています」

 高田さんは大礼拝堂、大広間などを見せてもらいながら、男と世間話をしている。

「ITですか、私は機械関係にはめっぽう弱いので、いつもそういう系列の人には支えていただいています」

「いやあ、ははは、とは言っても、大したことは……」

 必要なことなのはわかっているけれど、私は話し始めた高田さんからゆっくり離れて、ポケットにあるタバコを手持ち無沙汰にいじくり回している根崎さんの元に向かい、彼の手を無理やり握った。

「……んだよ」

「私、あの人嫌いなの、遠くに居させて」

「あ~?何ワガママ言ってんだよ」

「父親なの、佐々木透子の……」

「……。」

 彼は心底面倒くさそうな顔をした。そうだね、私も面倒なことになったなと思ってるよ、気が合うね。

「ねーお願い」

「なんかお前、子供返りしてないか?」

「だってそう見せとかなきゃじゃん」

 私がそう言うと彼は目を閉じて一呼吸置いて、私の手を握り返した。根崎さんにしては珍しく禁煙を保っているくらいだ、今日の彼は少々言うことを聞いてくれやすいのは把握済みである。

 そうこうしている間に、高田さんはうまく相手の懐に入り込んだようだ、相手の緊張が少しほぐれているように見えた。

「高田さんは偏見なく話を聞いてくださるので話がしやすいですよ」

「そうでしょうか、僕も義手のこととかで色々お話を伺えているので、お互い様ですね」

 もうそこまで話したのか。それでも礼儀正しさはお互いに失われない。二人はよく似ているように思われた。というか……高田さんの方が思った以上に心を開いている、ような。

「……そうだ、少し休憩しませんか、色々回って疲れたでしょう」

 実際そんなに長いこと歩いていたわけではないのだが、男の目が私の方に向けられるあたり、彼はよほど子供慣れしているようだ。

「食堂に行きましょうか、おやつ時ですし……」


 彼が案内してくれた食堂もやはり白かった。オレンジ色の日光が照らす部屋の中では、子供たちがきれいに並んでケーキらしきものを食べている。

「あら木下さん、今日はお休みでしたっけ」

「そうなんですよ、ちょうど修行前なので……あ、この方達は龍禅院様の紹介でいらした市の職員さんで……」

 ふと、腰のあたりが引っ張られるような感覚があった。

「どうしてお姉ちゃん、スーツ着てるの?」

 いたのは小さな女の子だった。私も十分小さな女の子だけれど、この子はまだ小学校に上がったかそうでないかくらいに見える。

「お仕事で来たからだよ」

「えー、子供なのに変なの」

「私にしかできないことがあるんだって」

「ふーん」

 頭の上で丸い飾りのついた二つ結びが揺れている。子供は白い服を着ていないみたいだった。まあそれもそうか、かなり汚れるだろうし、子供服はお金がかかる。

「お名前は?なんて言うの?」

「先にお姉ちゃんの名前を教えて」

「あ、うん……えりなだよ」

「えりなちゃん!私華鈴。井脇華鈴」

 井脇、の苗字に引っかかる。下の名前。ああ、じゃあこの子が、井脇さんの娘さんなんだな。

「ねーあそぼー」

「華鈴ちゃん、これからおやつの時間だから、遊ぶのは後にしましょう」

 上から声がするので見上げれば、先ほど木下さんと話していたらしい保育士さんがこちらを見ていた。白い服にブラウンのエプロン姿、髪を一つにまとめた素朴なその人は、ゆっくり華鈴ちゃんに合わせて腰を落とす。

「なんでー、えりなちゃん行っちゃうじゃん、遊ぶの~!」

 華鈴ちゃんが駄々をこねるのを、彼女は困ったような顔で何か返事を考えているようであった。すると奥から別の子が声をかける。

「きょうケーキだよ、華鈴ちゃん食べたいっていってたじゃん」

「う~」

「いっしょにおやつ食べたら?」

「そうだ、食べよ!ね!!」

 そう言った3人が一度に保育士さんの方を向いた。そして大合唱のお願いコールが始まる。あー長いよねこれ。しかも断りづらいんだよなあ、なんというか、あの目に人間は弱い。たぶん古今東西あの目でお願いされてゆらがない人がいるとしたら、それはよっぽど子供にトラウマがあるとかそう人なんだろうなと思う。保育士さんが助け舟を求めてか、許可を取るためにか、高田さんと根崎さんの方を振り向いた。予定は、とかそんな言葉が聞こえた気がするが、お願いコールの渦中にいては周りの声なんて聞こえやしない。そして二人はこちらにアイコンタクトを取る、私はそれに、しぶしぶ無言でうなずいた。


 普通の保育施設だったら、突然人が増えたからお菓子を増やすことなんてできないと思うが、そこは複合施設の利点なのだろう。

「うちでやっている食堂は、外部のお客さんも入れるようにしてあるんですけども、そちらで作ったケーキなんです」

 真っ白なホイップが乗ったショートケーキ、久々に食べるなこういうの。もう胃がもたれるようになっちゃったからなあ……あ、でも待てよ、子供だからいけるんじゃないかこれ。ケーキとかいつも高田さん経由で根崎さんにあげちゃってたから、あまり試したことがない。奥の方で、あの人と高田さん、根崎さんが何か話しているが、こちらはこちらの声が騒がしくて何も聞こえなかった。あ、高田さんが根崎さんにケーキ譲ってる。辛党だもんね高田さん。側から見れば、根崎さんが高田さんのケーキを横取りしたようにしか見えないのが、悲しいところだ。

「ねえお姉ちゃん何歳」

「えっとね、十一歳だよ」

「ふーん」

 ふーんだけかい。彼女は手も顔もクリームでベタベタだ。でも確かに、ベタベタになるのもわかるくらい、無性に美味しく感じた。ふわふわした甘さは頭を直接突き抜けて、何かの力を抜いていく。

「俺知ってるよ、しょうがっこうで、くく、とかやってるんでしょ」

「くくってなあに」

「なんか、数字の、うわーってやつ。すごいたくさんあって、なんか、なんかすげーむずかしいの」

「俺のねーちゃんが言ってたのきいたことあるよ、にーちとかさんごとかいってた」

「さんごならクマノミもいるかなあ」

「そういえばね、私今日かえったらね」

 情報量が少なくてぽんぽんと飛び跳ねる会話は、空気抵抗を受けて浮かぶビーチボールみたいで取り留めなく心許ない。ただ、それで当たり前のように続いていく会話は、不思議とどこか落ち着いた。大人の会話は、もしかしたら小学生の私には重すぎることもあるのかもしれない。ねえみてみてと、フォークを鼻に刺して遊び始めた男の子を尻目に、華鈴ちゃんになんとかお母さんのことについて聞けないかと画策する自分が、なんだかひどく馬鹿らしくて、甘いクリームとスポンジと一緒に、胃に流れてしまえばいいのにとも思った。


 そのままご馳走になったのち、やっぱり遊ぼうと駄々をこねられ、私は高田さんや根崎さんと別れて華鈴ちゃんたちと遊ぶことになった。どうやら例のあの人には私がよほど遊びたい盛りに見えたらしい、彼が高田さんを説得するような形で私はそこに残ることになった。これ私が着いてきた意味がなくなっちゃう気がしたんだけど……。いや、意味がなくなるはちょっと言い過ぎか、重要参考人である井脇華鈴ちゃんから話を聞くのは、子供である私の方が有利だ。そういう意味では、良い配分になったんじゃないだろうか。

「華鈴ちゃん、何作ってるの?」

「むし」

 そう言いながら砂場の上にひたすら線を引き続ける彼女は、打ち解けたのか、そうでないのか。ただ、ずいぶん、自由な感じなので、案外初めから心の壁がないタイプの子なのかもしれない。

「虫さんいっぱいだねえ」

「これがかりんで、こっちがお兄ちゃんで、これが木村さん、福田さん、本村さん、お母さん」

 虫さんなのに家族なのか。不思議な感性だな。と思ったところで、ちょうどお母さんの話題が出たので、それとなく聞いてみる。

「お母さんそこでいいの?」

「みんな家族だから……あ、お母さんは今いないんだ」

 そう言って彼女は何の躊躇もなく足で棒の跡を消した。そしてさらにのたくったミミズを足していく。

「このいっぱい重なってるのは?」

「しゅぎょう」

 ……もうそんなこと知ってるのか。私は思わず、話題を変えた。

「……お兄ちゃんは隣なんだね」

「だってかりんのつきそいがいるもん」

 本来こういうのは保護者が付き添うものだが、神景会では基本的に子供の付き添いは年長者が行うという風潮がある。もちろん、大人が面倒を見ることも多いけど、子供のことは子供同士で、という意識が強いらしい。その時私はとっさにあの人を思い出してしまって、うえ、と思った。

「お兄ちゃんとは仲良しなの?」

「うん、いつも一緒。この後もお兄ちゃんと一緒にお祈りに行くの」

 彼女はさらに無邪気に言う。

「私もおおきくなったら、お兄ちゃんとしゅぎょうして、天の花の一つから、もう一度生まれ直すの」

「関心ねえ、神様も喜んでくださるわ」

 そう声をかけられて振り向くと、そこには少々ふくよかな、言ってしまえば普通のおばさんが立っていた。白いセーターに、緑と水色の中間色みたいな色のカーディガンを着ていて、どうやら華鈴ちゃんの知り合いらしかった。いや、みんな家族なんだったっけ。だったら、知り合いで当然なのかもしれない。

「でも、お兄ちゃんとばかりじゃだめよ。近い人とばかりじゃなくて、遠い人とも関わらないとね」

「はーい」

 ……その人の、普通のおばさんと違う箇所を挙げるとすれば、髪だろうか、油で撫でつけたみたいな真っ直ぐで長い、年齢にしては艶やかな黒髪が、乱れることなく揃えて切られ、腰の辺りまで伸びていた。また、顔の造形自体は特筆するべきところはないはずなのに、警戒心を解くためだろうか、こちらを見て一瞬見せた笑顔が思考の端に残り続けている。記憶に残る、正直に言ってしまえば、恐ろしいほど綺麗な笑顔だった。次の瞬間には、華鈴ちゃんの方に意識を向けてしまったため、気のせいだったのかもしれないが。

「天蓮景様!」

 華鈴ちゃんがそのおばさんに抱きつくのを見て、さらに驚いた。そして教祖様の顔を事前に調べていなかった己の勉強不足を後悔する。彼女は愛おしげに華鈴ちゃんの背中を叩き、その抱擁を受け入れると、またこちらを見てにこりと笑った。その笑みは、先ほど勘違いだと思ったほどの美しさはなりを潜め、ただ優しさと受容だけでできたような親しみのこもったものに変わっていた。変わった?

「こんにちは、かお……龍禅院から話は聞いていますよ、いつもお世話になっています」

「こんにちは、お邪魔しています」

 まるで友達の家のお母さんに会った時のような緊張感だ。本能的な不安と、なぜか「信じなくては」という意識がインクのシミのようにじわりと体の奥に広がる。それを客観的に警戒できる理性が、私の中にあったのは救いだ。

「天蓮景様どうしたの~?」

「お客様がいらしたって聞いたから、会いにきたんですよ」

「ねえ、ねえ!えりなちゃんも神景会にはいるの?はいるの??」

 ……子供は残酷である。真っ直ぐな欲求だけで全部が貫き通せると、信じているのだから。

「……いずれは入るかもしれないけど、今はまだなんじゃないですかね、さあ、さっき鈴木さんが呼んでいましたよ、いってらっしゃい」

 鈴木さんと言うのは、さっきの保育士さんのことだろう。遠くの方で、こちらを伺っているのが見えた。何かの授業をしているのか、集まって別の遊びをしているのか、それとも別の理由か。しかしおそらく、この天蓮景様が私と話をするために、話を通したのだろうと思う。視線の中にある緊張感が、場の空気を少しだけ冷やしていた。華鈴ちゃんは素直に鈴木さんとやらの方に駆けていく。

「……嘘をつくなんて、いけない人ですね」

 彼女は私の名前を知っているようだった。細身のスカートのなかで、彼女の足が動くのが、どこか別の生き物を想起させる。

「……十年も生きていると、名前が知られて面倒なことも多いんですよ」

「ふふふ、面白い」

 彼女は砂場の淵に座った。スカートも、カーディガンも、汚れることをなんとも思っていないみたいだ。

「でも香織ちゃんは、ずっとあなたたちとお話ししてたのに、私だけはじめましてだなんて、寂しいですね」

 不思議なひとだ、私のことを、子供扱いも大人扱いもしていないように思える。龍禅院さんも時々年齢を感じさせないような話し方をするが、この人の場合はその部分がもっと顕著だ。

「私はあまり俗世の汚れた人間と話さないほうがいいんだって、いつも言うんですよあの子」

「はあ」

「なので、挨拶が遅れてしまって申し訳ありませんでした。谷原花江と申します。天蓮景、と呼ぶ方の方が多いですけど」

 私は握手をして佐々木の方の名前を告げた。

「結ちゃんを探してくださっていると聞いています。私がお力になれるのでしたら、いつでもおっしゃってくださいね」

「……でしたら、少し、お話したい人がいるんですけれども」

 ならばと、私はその提案に乗ることにした。こういうときには多少遠慮なく言ってしまった方がいい。それに教祖様直々に頼んでくれた方が、いちいち探したり、あの人経由で人を探すより、ずっと早く済むような気がした。


 そして私の予想は当たった。やはり、権力が集中しているというのは、根本的に楽だ。

「お呼びですか、天蓮景様」

 井脇正爾くんは、華鈴ちゃんを抱きかかえながらそう言った。十五歳には見えないしっかりとした佇まいだ。しかし、それと同時に、短く切りそろえられた髪に、詰襟の制服姿がよく似合う、今時珍しいくらいの中学生然とした中学生だった。

「この方、かお、龍禅院さんのお知り合いなんですけども、結さんを探す協力をしてくださっているの」

 彼は眉をぴくりと揺らした。こんな子供に、何を話すことがあるのか、という顔だった。しかしすぐにその表情は消えた。天蓮景様の言うことだから、という感じだ。説得してみて、もしダメなら高田さんか根崎さんを再度呼び出そうと思っていたので、少なくとも話を聞いてもらえるのは大変ありがたい。しかし、まさかこの私が宗教団体の信仰心に感謝する日が来るようになるとは。

「こんにちは、私、神南市役所に所属している、さ……まじま、えりなという者です。お母様のことについて、少々お伺いしたいのですが、大丈夫でしょうか」

「……どうぞ」

 彼は私がきちんと挨拶をしたのに驚いたような素振りを見せ、同時に用意された椅子に腰掛けた。さすがに砂場で話し続けるわけにもいかないので、小さな部屋を一つ借りてお話をさせてもらうことになったのだ。華鈴ちゃんは兄の裾にひっついたまま大人しい。仲睦まじい兄妹だった。


 その後、話を進めれば進めるほど、正爾君が母親のことに関してさほど動揺していない様子に目がいった。いなくなるにしては、週末に約束をしていたことや、夕飯の支度の当番を他の人の代わりに受けたと言う話からして、おかしいと思うと言っていたものの。いなくなることのカモフラージュや突発的に出て行きたくなることはあったかもしれません、とか、まあ、彼女なりに思うところはあったのかもしれませんね、と平気で言い放ったのには耳を疑った。あえて冷静になろうとしているのだろうか、それとも本当に何とも思っていないのか、私はあまり品のいい質問ではないとわかっていながらも、そっと彼に尋ねた。

「お母さんがいなくなったのを、寂しいでしょう?」

 途端に彼は眉をしかめた。

「長年仲の良かった人がいなくなったことを寂しいと思うことはありますけど、そもそもあまり気が合わなかったし、すごく辛いというほうではないです。むしろ仲の良い鈴木さんがいなくなることや、天蓮景様がいなくなってしまうことのほうが、僕はいやです、比べるようなことじゃないですけど」

 私はゆっくりと深呼吸して落ち着いた、そうだ、ここはそもそも常識が違う。だから苦手なのだ、と。この小さな箱庭は、開放されているようでとても閉鎖的で、神の法という前提を元に、価値観を作り替えられた人間達が住んでいるのだ。まだ、自分から入った人たちであれば、世間の常識とこの箱庭の常識との乖離に気づきもするのであろうが、彼は違う。

「他に、お母さんと仲の良かった人はいる?」

「いや、知りませんね」

 私は息を吐いた。まさかここまで感覚が違うとは……天蓮景様に彼らを呼んでもらったのは、徒労に終わりそうだ。

「……さっきから、あなたがそういう顔をする理由が、よくわからないのですが、血のつながりが家族なら、それは人種差別と同じなのでは?」

 中学生の言葉は尖っている。彼らは疑問に思ったことや、感じたことを、社会も知らないままに平気で口にするからだ。それは人によっては無知蒙昧と言えるだろうし、私からすればヒヤリとした氷の切っ先が首筋に当てられたような気持ちになった。恥じ入ることも馬鹿馬鹿しいと話半分に聞くことができないのも、全て私が混じりものだからだと思いたい。

「同じ肌の色、同じ髪の色、同じ親、同じ血筋、全て肉体だけの話じゃないですか。なぜそれが違う存在は家族ではないんですか?最終的に交わって、溶けてなくなるものですよね、我々の中には既に数えきれない異文化の遺伝子が眠っているのに、見てくれに囚われているのは、精神を侮辱していることになるのでは?僕らがたくさん交わり、たくさん子供を為すことが、社会に何のデメリットをもたらすんですか、僕らが自由に生きることのなにが問題なんですか、そちらの常識を押し付けないでもらえませんか?」

「おにいちゃん!」

 隣に座っていた華鈴ちゃんが大声を出した。途端に15歳が、はっと我に帰る。

「おにいちゃん、だめだよ、強い言葉を使うのは、よくないよ、しかも小さい子だよ」

「……そうだね、ごめん……ごめんなさい、ただ、君が、あなたがとても大人っぽかったから……」

 彼はきゅっと口を結んで、黙り込んでしまった。繊細な十代だ、特に常識を知ったばかりの頃。私も、もう少し気をつけて接するべきだった。でもどうだろう、私は今でも、きちんと顔に思っていることを出さないでいられるのだろうか。さっきまで、全く顔に出ているつもりはなかった、のに。私は本当に、大人でいられている?

「いえ、私も、不躾な態度でした、ごめんなさい」

 私が謝ると、彼も恐縮したような素振りを見せた。天蓮景様は柔和に微笑んだままだった。

 面談は、その後滞りなく終わったものの、特にこれと言った成果は挙げられなかった。その後、高田さんや根崎さんと合流して、私たちは帰った。現在でも少しずつ調査を進めてはいるが、なにぶん決定打が無いため、保留状態のまま今に至っている。

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