第2話 願いを叶えるアナトミー③

根崎さんをかん袋に押し込んで


 神景会にはその日も漂白されたような日光が入ってきていた。

「行方不明者?」

「そうさ」

 そんな神景会のイメージとは真逆の暗い地下室で、龍禅院さんはスマホをいじりつつ答えた。もちろん龍禅院さん専用の部屋であるそこには中華風のランプであるだとか、細かい細工の机であるだとか、きちんとしたインテリアの揃えられた明かりのついた空間ではあったのだが、どこか閉塞的で、暗い雰囲気があることは拭えない。

 宗教法人神景会は、バブル崩壊後も少しずつ徐々に力をつけている新興宗教団体で、龍禅院さんは組織内の権力を一手に持つ、実質の権力者である。一応姉がこの教団の教祖であるらしいのだが、残念ながら私はお目にかかったことがない。実務のほとんどを龍禅院さんが行っているそうだから。

 しかし、宗教団体で行方不明というのはどういうことなのか、正直ここには、悪い噂も多くある。なんなら失踪者とかも普通に出る。こっそり処分されることもある。

「何考えてるのか顔に書いてあるよバカ、まあ確かに、いなくなった程度じゃ私だって疑いやしないさ。ただ、何も持ち出さないで消えたってのがきな臭い」

 彼女は蝶のモチーフをした扇子を閉じて、葉巻に火をつけた。

「下着一枚も持たずに出ていくのは、ちょっと不自然なんだよねえ」

「……信者の下着の枚数まで把握してらっしゃるんですね」

「共有財産だからね、当然のことさ」

 そういうあんたの下着の数は誰も把握してなさそうだけどね。

「そういうアンタの下着の枚数は共有されてねーんだろうがよ」

 私が思ったことを、ほぼそっくりそのまま根崎さんが後ろで言った。しかしそれはあくまでも小さく。ぼそっという感じだった。彼にしては珍しいことに。そもそも、今彼は居心地が悪そうではあるもののソファに割ときちんと座り、貧乏ゆすりをしている。いつもなら、そこの机とかに足乗っけているのに。

 実は、根崎さんは龍禅院さんが相当苦手だ。理由は簡単、向こうのほうが明らかに立場が上だからだ。むげにすればジン対の数少ない協力団体を失うことになり、自分の首を締めることになるが、彼の性質が、懐柔することを許さない。ならばと普段はここに来ることを避けたり、黙っていたりすることでトラブルを回避しようとしたが、そうもいかない日だって当然ある。そして龍禅院さんはその根崎さんの小物くささをひと目で見破り、面白がり、おもちゃにしていた。余計に根崎さんはここに来たがらなくなるわけだ。

 現に、彼の小さな呟きを、待ってましたとばかりに龍禅院さんは拾った。

「ほう?何か言ったかい蛇蝎男」

「いいえ、なにも」

「ん?言いたければ言っていいんだよ、何も怖がることはないだろう、言ってごらん、それともなんだい、言えないようなことでも言ってたのかい?」

「大したことではないので」

「大したことじゃないんなら余計に言えばいいじゃないか、ホレホレ、どうした」

 根崎さんがからかわれている間に、私は高田さんを手招きして信者名簿を読み始めた。ああなると長いから、こっちはこっちで話を進める方が効率的だった。まあ、あれで結構根崎さんもうまくごまかして回避できているし、というか龍禅院さんが面白がっているだけなので、私たちまで付き合う必要はない。

「今回行方不明になった人は……この人か」

「井脇結さん、四十五歳、女性……ずっと神景会で育った人なんだね、それに学歴も全部神道系列みたいだ」

「この施設内で結婚、そして長男と長女がいる……と、じゃあこの正爾さんと華鈴ちゃんは二世、いや下手したら三世ってことになるのかな」

 二世というのは、その名の通り親と二世代で宗教に所属している人間の、子供のことを指す。三世は三世代目のことだ。

「戦後から続く組織だもんね、神景会は」

 私には大きすぎるファイルを、高田さんが支えてくれる。

「他に手がかりはないんだろうか」

「まあこれ読むだけだとねえ、とりあえず息子さんと娘さんのことも見ておこうか」

 高田さんがページをめくった。人差し指に吸着するようにして広がるページは、今はもうなんの不自然さも帯びていなかった。義手になったばかりの頃は、自然に動かすことに結構苦労していたのをふと思い出す。腕を動かす前にページがめくれたりとか、そちらをうまくやっても手の形を整え忘れて、指があらぬ方向を向いていたりとか。

「アッハッハッハ!じゃあ、一万円でどうだい?」

「ぅぐ、く……金銭の、関わる取引には、応じかねます」

「ふーん?」

「……申し訳ありません………チッ」

「お?今なんつった?え??私に向かって?なんて??」

 後ろでは相変わらず龍禅院さんと根崎さんが騒いでいる。何を取引しようとしているんだか知らないが、根崎さんの額に青筋が浮かんでいる。可哀想に。

「なんでもありません……」

「え?聞こえたよ?ほら言ってみな、大きい声で、ほら、俺的には?」

「………っ私、としまし、ては……!」

「ハハハハ!!ゲッホ、ゲホ、ゴホ、くっ、ハッハハハハ」

「………!、……!」

「……楽しそうですね?」

「楽しい!!」

 むせるほど笑っている彼女に私がそう聞くとすぐに答えが返ってきた。朗らかに言うな朗らかに。子供みたいに無邪気な顔して言うことではない。するとふっと龍禅院さんが真顔に戻る。

「おっと、遊びはここまでだね……ここから先は、今から来る奴に引き継ぐよ、あんたたちも場所とか人とか見たほうが、少しでもわかることがあるだろうからねえ」

 どうやら、監視カメラか何かの装置を用いて、誰かが来る状況を察したようだ。化けの皮が剥がれたら大変だもんね。

 その言葉からしばらくして、ノックの音が部屋に響いた。龍禅院さんの返事を待って、扉が開く。

「失礼します、今回龍禅院様から案内をまかせていただきました、木下虔一と申します」

 うわ、と見た瞬間に思ってしまった。見た目が悪かったわけではない。蔓なしスクエアの眼鏡が光る男は、真面目で優しそうな見た目をしていた。清潔なシャツと暖かそうなコーデュロイのパンツは、一つも人に悪い印象を与える要素はない。だが私は彼が嫌いだった。

「じゃあ、よろしくお願いしますね、木下さん」

「わかりました。龍禅院様」

 完璧に顔を整えていた龍禅院さんに命じられた男は、その柔らかな笑窪をこちらに向けた。

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