第2話 願いを叶えるアナトミー②

レントゲンに奇跡はうつらない


side佐々木


「それって干されたって奴じゃねーか」

「根崎」

 ケラケラ笑っている男を高田さんは嗜めた。お約束という奴である。そして根崎さんの指摘が事実だからタチが悪い。

 ……三井さんの一件以来、相当協力的になってくれた白井さんが、ここ最近になってこちらに通う日数を増やしたいと言ってきた。健康診断やら何やらで既にかなりお世話になっているので「いやそちらのお仕事もお忙しいでしょうし、無理には……」と謙遜したら、ポンと出たのがこの話である。いや軽い。軽すぎるぞ。もう少しそういう話は隠したりとかオブラートに包むものだと思うのだが、その時の諸々の感情含めて丁寧に説明するあたり、彼にとっては違うらしい。なお、三井さんのお葬式から、現在は約半年が経過している。

「まあ俺としてはそんなに悪いこととは思ってないんですよ。三井の遺言も守れるし」

「ま、前向き~」

 キャリアの道が閉ざされたことなど、白井さんはちっとも気にしていないようであった。やっぱり基本給が良いと「まあいいか」とか思えるようなものなんだろうか。

 白井さんは公私を分けるタイプなようで、私たちのところで仕事をすることになってから敬語が増えた。私に対してもそうっていうのは、彼の真面目さが現れているんだと思う。それはつまり、融通が効かないってことでもあるかもしれないけど、大丈夫かな。

「でも、助かります、所属してくださる医者がいるのは、心強い」

 そう言うと彼はうっすらと微笑んだ。本当にうっすらだ。彼は基本的に表情が少ない。そのくせにこっちの目を凝視してくるものだから、時々背景にワシだとか、タカだとか、そういう生き物の影が見えることがある。爬虫類でも可。だが彼がこうして笑っているのをみると、やはり人間なんだな、と失礼なことを思った。

「それで、今日は俺の身の上話をしにきたわけじゃないんだ、佐々木さん、定期検診させてください」

「あ、え、それって今日だっけ」

「今日ですよ、月に一回で済ましてるんですから、覚えておいて下さい。ただでさえ普段から負荷かけてるんですから。これでも少ないくらいです」

「ええ~」

 背中を押されて連れて行かれる。せめて書類のハンコだけでも検診前にもらいたかったところだが、後の祭りである。


「……で、頭痛はないですか、それとも、何か不安に思うことは」

「あー、うーん特には、強いて言えば、めっちゃ眠いですかね。夜更かしできなくなりました」

「なるほど……まあそれは、年齢的なものもあるでしょうから。健康の範疇だと思いますよ」

 年齢的なもの、が年寄りに使われないのは新鮮な感覚だ。彼は市役所内にある産業医用の一室を借り、私の診察を始めている。白いスクリーンに貼られたレントゲンは、私にはよくわからない。

「……はあ、ほんと奇跡みたいな事例ですね」

「実際奇跡でしたよ、あれは」

 私はそう言いつつ、白井さんの様子を観察する。彼は、感情が表に出ない人だから、こうして、じっくり見ている必要がある。爆発する寸前になって、初めて全身に現れるような危うさがあるのだ。彼は、私の発言に対して、特に思うことはないように思える。彼は私が生きていられた理由を、ちゃんと消化できているのだろうか、なら三井さんも助けられたんじゃないか、と思っていたりはしないだろうか。

「……まあ、そうですね、確かにそうとしか言えない」

 彼の心はカルテの中に沈み切っていて、そこから私は何も見つけることはできなかった。死にかけた、というか実際死んでいた私と、蘇らない三井さん。もしかしたら、心の中でははらわたが煮えくり返っているのかもしれない。

「……頭痛用の鎮痛剤は……」

「あー、市販の買ってるので」

「いや、頓服で出しておくから、こっちに変えたらどうでしょう。市販薬は、あなたの体には強すぎますよ」

「うーん、なら、お願いします」

 彼は慣れた手つきで処方箋を書き始める。産業医としての能力もあることに最初は驚いたものの、事も無げに「石沢先生の弟子なんだから当然だ」と返された。そこまで言わせる力がその石沢先生にあるというのも、すごい話だ。余程慕われているんだろう。

「……あ、そうだ、高田さんと根崎さんは、どんな感じでしたか」

 私が聞くと、彼は瞳だけちらりとこちらに向けた。髪が伸びたらしい、針金の集まりみたいな頭髪の格子が、蛍光灯の光を瞳から遮っている。

「……、あなたからも言ってくれませんかね、根崎さんに」

「と、いうと」

「明らかに放置しちゃいけない怪我でも、あの人真面目に教えてくれないんですよね」

「あーー」

「この前も痛いとこ無いって言い張るので、少し「ここかな?」ってところを小突いたら、そのままひっくり返ったんですよ。見てみたら打撲のまあひどいことひどいこと。肋骨も一本折れてました。毎回嫌がる成人男性を裸に剥くのも疲れるんで、お願いします」

 絵面がひどいな。天邪鬼であることが根崎さんのアイデンティティであるとはいえ、白井さんの苦労もしのばれる。ん?待てよ。

「……剥けたんですか?成人男性を」

 根崎さんが嫌がるんだとしたら相当抵抗されたと思うんだけど。どうなんだ。あの人結構強いぞ。体柔らかいし。根崎さんは神忌という性質上、不運体質なので高所からの落下などの事故が多い。だからそれをカバーするほどの身体能力を身につけている。だが白井さんは「コツがあるんですよ」というだけでそれ以上取り合ってくれなかった。コツってなんだ、ちょっとこわい。

「……で、高田さんはね、前から佐々木さんもおっしゃってましたけど、幻肢痛がまだきついみたいで、両腕とも」

「そうですか……」

 両腕が義手の高田さんが、前から幻肢痛に悩まされていること自体は知っていた。夜中、結構な頻度で目を覚ましていることも。もうそれが二年以上続いているが、彼はそれをあまり悟られたくないみたいだった。

「本来ね、幻肢痛って時間の経過とともに消えるものなんですよ、でも彼の場合あんまりそういう傾向がないみたいで……」

 彼の話ぶりは純粋に高田さんを心配してくれているもので、ほっとすると同時に、やっぱり複雑な気持ちになる。

「義手の勝手とかを聞いてると、我々の手を使う感覚と全然違うみたいですからね、腕があるって感覚というよりは、何か別のものが両肩から生えてるような感じらしいですし、多分それが、うまく脳に『回復できた』って信号を送れていない原因なのかなと」

 彼の両手は、神から与えられたものだ。

 より正確に言えば、高田さんの肩からハーネスで固定している木製の義手はただのマネキンであり、上腕と下腕に小物入れが付いていることさえ目を瞑れば、多分スーツのモデルとして使われていたって違和感がない、普通の人間による大量生産品だ。だがその力は神由来のものだ。彼は神通力?超能力?サイコキネシス?わからないが、なんらかの力を神から授かり、それによって木製の義手を動かしている。ただ、神の力だからと言って万能でも際限なく使えるものでも我々の両手よりも便利なものでもなく、その神通力の範囲は両肩の間から約1メートル以内、しかも同時に2つの方向に力をかけることに限られる、らしい。だからアニメや漫画にあるような、自分の周りにたくさんの物を浮かしてどうこうということはできず、むしろ指先を同時に動かすような細かい動きができないため、パソコンのタイピングなどにはかなり支障があった。それこそ腕の代わりになる程度でしかない。

 だが彼はそんなことはおくびも見せない。むしろ義手であることすら言わなければ周囲にはわからないほど、それを使いこなしている。


 ……かつて、はじめてこの事情を話した時、白井さんは思ったよりも冷静だった。

「……加護?それは、神懸かっているのとは違うんですか」

「そうですね、神に懸かると、人は人ではないものに変化しますが……加護の場合は、むしろ人間性が保持されます。そして、基本的に神愛にしか降りかからないものです。白井さんは、古代の神話などはお好きですか」

「ほとんど知らないですね」

「なら、神様が『こいつは人間であって欲しい』とかけるのが加護、『それ以外になって欲しい』とかけるのか神懸りと覚えていただければ良いと思います」

 ……本当は、加護も神懸りも、本質的には同じものだ。私が言ったこれは、もしかしたら言い訳にすぎないのかもしれない。相手を納得させるために、言葉を巧みに使い分けるのは、昔から発達した人間の悪知恵だ。だから本来、神の手がかかっている以上、高田さんのことだって殺してしまった方がいい。理屈だけで考えるならそうだ。だが……彼から受ける恩恵が大きすぎたのもあり、当時決まったのは「保留」という判決だった。そう考えると、高田さんは罪を犯していないのに裁かれているみたいだった。


「あの人もあの人でね……夜しか痛まないと言っていますがね、多分、昼間にも出てますよ、痛みが」

 白井さんの言葉で、私の意識は一気に急上昇した。

「昼も?」

「ええ、さっき、腕をさすっていたので。おそらくですけど」

 そう言われてみると、感覚のない腕を触るというのは少々不自然な話だった。なんで今まで気づかなかったんだろう。

「わかりました、覚えておきます……ありがとうございます」

「……そうやってやってると、本当に大人みたいですね」

 私が頭を抱えるような素振りをしたことに意識が向いたのだろうか、彼がぼそっと言った。

「え?あ、どうも……」

 彼には一通りカルテを作るにもあたって症状や経歴なども話したから、私のことに関しても色々を事情を知ってもらっている。本当に、専門で診てもらえる医者がいるのはありがたい。

「……頭を掻いてかしこまるのもやめた方がいいんじゃないですかね……大人っぽいですよ」

 大人っぽい、が褒め言葉にならないあたりも、新鮮な感じだ。うーん、女子小学生って難しいなあ。彼は私の様子を見て、ふうと息をついて、またうっすらと微笑んだ。彼のその微笑みにどういった意味があるのかはわからない。しばしの沈黙が流れる。

「そういえば、何か今日は用があったんですか」

「あー、ちょっと、書類の申請が……いやでも、明日でも大丈夫です」

「今回の調査は長期戦になっていると、根崎さんがボヤいてましたが」

 そう、今回の話は思ったよりも時間がかかっている。いや、未解決事件で終わる事も多い神的災害は、そう多発するものでもないし、解決に時間がかかる事もある。特に神々の腰は我々からすると結構重いことが多く、数年単位で起きる事件も当然あるものだ。もしかすると数十年単位になるものもこの先現れるのかもしれないが、創立してまだ十年経たないこの部署ではまだそういった事件が扱われたことはない。そして、事が進まない時などは普段は市役所の雑用などをこなしていた。今回の話も、少々進みが遅い。

「話せば長くなるんですけど、情報共有ってことで、白井さんにも伝えておきますね、実は……」

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