第2話 願いを叶えるアナトミー①

誰も知らない聖人は、ただの


白井side


 親より先に子供が亡くなることを「逆縁」といって、親不孝の象徴になるらしい。それを聞いたのは、受付で参加者名簿に名前を書いている時だった。

 なのに、三井の葬式の参列者は想定以上に多かった。だが、それは三井の知り合いではなく、ほとんど三井の父親の知り合いであった。まあ、当然の話ではある。それを今の今まで思いつかなかったあたり、俺は相当ダメになっているんだろうな、と他人事のように思う。三井が、三井総一郎先生の息子であることを、俺はすっかり忘れていたのだった。藤田院長と清花まで参列していたわけだから、三井先生という存在は未だ様々なところに顔が効くらしい。まあ清花は、俺と同じで三井の縁者だけども。

 大きな式場で何人もの人に焼香された割には、誰一人として三井がどんな人間なのか知らないような、よそよそしい空気がずっと流れていた。耳を不快にくすぐるような内緒話。俺は焼香の香りの中に三井の面影を探そうとしていたが、いないものはいなかった。

「不肖の息子でした」

 ハンカチで目元を押さえている三井の母親と、三井先生の淡々としたスピーチ。

「前から人様に迷惑ばかりかけるとは思っていましたが、まさかこれほどとは私も思っておらず」

 三井先生の講演は聞いたことがある。真面目で、几帳面で、神経質そうな様子が見て取れた。でもそれ以外に印象がない、三井に会う前だったし、当時は興味のある範囲が限定的だったから、印象に残らなかったのだ。それにほっとしているような、苛立っているような不思議な心地がした。この人に興味はないが、この人のことを知っていたら、俺はもう少し三井の役に立てていただろうかと。

 あいつは、親とは不仲だと言っていた。そして悪いのは自分だとも。三井先生は神経質そうな人に見えた。三井は神経質とは程遠い性格をしていた。あいつはいつも何かを許してばかりだった。

 あいつの遺体は足しか残っていない。他は全部燃えてしまった。だから棺の中を覗くことはできない。これを火葬場に持っていって、また燃やすのだ。三井の母親はひたすら泣いている。三井先生はただ頭を下げている。

「このたびは、お悔やみ申し上げます」

 石沢先生が三井先生と奥様に頭を下げる。三井先生もそれに習って、頭を下げて。三井の母親が言った。

「石沢先生には大変ご迷惑をおかけしました」

「いえそんな」

「全く……どうして、ああも反省できない子だったんでしょう、煙草の不始末なんて……」

 あいつの最期を、誰も知らない。

「ですが……。」

「いえ、石沢先生、昔からそういうところがあったのです。思えばとんだ馬鹿息子でした、最期まで人様に迷惑かけて……こんなこと、言いたくはないですが、早」

 そこでぷつりと何か切れて。


 そういうつもりはなかった、というのはやらかした人間の常套句だ。でも、やってしまったことは元には戻らない。小さなコップに注がれたビールを、俺は反射的に目の前の三井総一郎に吹っかけていた。多分、ビールでも水でも、どうでもよかったんだと思う。ビール瓶が置いてあったらそれを振りかぶっていたんじゃないだろうか。いやどうだろう、実際のところ、覚えていないのだ。何を口走ったのかも、どう騒いでしまったのかも。医者どころか、社会人失格だな、とやっぱり他人事のように思う。気付けば、ホテルの一室に突っ伏して寝ていた。横を向くと、清花がいた。

「あなたって前から馬鹿だ馬鹿だとは思っていたけど、ここまで馬鹿だとは思わなかったわ」

清花は鏡の前でパールのネックレスを外しながら言っていた。年季の入った木の縁の全身鏡が、彼女の喪服を全面に写して真黒になっている。

「……ごめん」

「なんで私に謝るのよ」

「……。」

「……言い方が悪かったわね」

 振り向いた彼女は笑っていた。

「私は割とすっきりした」

「……。」

「まあ、やってしまったことは、しょうがないじゃない」

 彼女は優しく笑っていた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る