第1話 出来損ないのサラマンダー⑦

そして次の火の手が上がる


「……、……!」

 待てよ、待ってくれ、そんな、ありえねえだろ。

 膝から下が震えていた。怒りなのか、動揺なのか、それとも別の何かなのかわからない。血が台風みたいに心臓を叩きつけていて、頭が真っ白になっている。

「こ、殺したのか?! もう、もう……!」

 俺は衝動のまま少女の胸ぐらを掴んでいた。やっていることが冷静を欠いていることくらいわかる。でも冷静を欠いていることしかわからない。

「なんでだ!! あの時お前らは!! もう少し待つって! 騙したのか、騙したのか?!!」

 騙したのか、自分たちのいい方向にことを運ぶために、騙したのか、それでいっとき安心させるために。少女はじっと俺を見つめている。その目は確かにいたいけな女の子のものじゃなかった。こいつの中にいるのは、もしかしたら、人間以外の化け物なんじゃないか、なら、なら……! 

「……落ち着いてください、ごめんなさい、三井さんの頼みでした。あなたが知らないうちに殺してくれと」

「嘘をつくな!! そんな、そんな言葉で、なんで……!」

 取り返しのつかないことなんだぞ、死んだら戻ってこない。二度と帰ってくることはない。あいつの周りにあったものが全部失われて、全部なくなって、なくなった分、なくなった分……。体の奥では心が暴れてのたうち回っているのに、俺はそれを一%も発することができない。あいつが死なないで済むにはどうしたらいいかずっと考えていた。それが思いつかなくとも、せめて、何ができるか、それまでに、どうしたらいいか考えていた。なのに、ああ、俺は、何をしていた……? 

「許さない……呪ってやる……お前ら全員……全員……」

「……」

 少女は答えない。その目はどこか虚ろな気がした。くそったれ、畜生、ちくしょう……。俺は、俺の言葉はこいつらには何にも届かない。何が神と戦うだ。延命だ。人としての尊厳まで、捨てておいて……! 

「お前らは、お前らは……」

「……」

「どうしてそんなに……」

 ぱたた、と水の落ちる音がした。それがあまりにも手術中に血管を切った時の音に似ていて、ハッと下を向いたら、それは自分の涙だった。

「……、三井さんは、下手に見送られるのは嫌だとおっしゃっていました。そういうことをされると、なんだか大層なことなような気がして、嫌だと」

「……は、大層なことに決まってるだろ」

「私もそう思います」

 彼女は何もしない、ただ話しているだけだった。

「誰も知らないうちに、さっといなくなりたい、まだギリギリのところで、いつも通りが続いているうちに、と」

「……」

「どこがいつも通りなんですかね」

「……そうだな」

 だがそれは、その言葉は、確かに三井のものだと思わせた。あいつはふざけたやつだから、ふざけたやつのくせに、妙に神経質なところのある、あいつっぽい言葉だった。

「……手紙を、預かっています。これとは別に、きちんとした遺書もありますが、こちらはご家族にお送りする予定です。市からはある程度の補償金も出るでしょう」

「……手紙」

「はい、白井さん宛です」

 封筒には、俺の名前、字は震えていたが、この読めない「白」は確実にあいつの字だった。中身は流石にワープロで打たれていたが、なぜか子供向けのファンシーな絵柄が散りばめられている。俺はその場でそれを開いた。


——————————————————————


 君がこれを読んでいるということは、僕が死んだか、うっかりどこかからこの恥ずかしい遺書が漏れたということだろう。

 僕が確かに生きているのであれば、早急にこの手紙を破り捨てるかファイルをゴミ箱に入れてしっっっかりと中身を消去して欲しい。頼む、後生だから。本当に。マジで恥ずかしいから。

 

 誰かに渡したりするなよ? 友達間で回し読みとかされてたらお前のパソコンの「医局内名簿2」フォルダ黒木さんに送るからな? 


 で、この先を読んでいるということは、本当に僕があの時死んでしまったということで間違い無いのだろう。間違い無いよね? まあいいや。もうその体でいくよ、話進まないから。

 

 君は最高の友達だった。いやこれを書いている今もそう思っている。僕は今までそれなりに仲の良い友人は作ってきたつもりだったけれども、君ほど良い友達は他にはいなかったと思う。同じ志、同じ夢、同じ目標を持って、君と生きられたことは僕にとって本当に恵まれたことだった。あの時たまたま隣に座ってなかったら、俺は今よりもう少し不幸せだったし、今より自分の死を惜しんでいなかっただろう。


 入院してた時、変に泣いたりして困らせてごめん。いやだって普通に死ぬのは怖いし、突然言われて混乱したところは確かにあったんだよ。俺自身、自分の体が勝手に「燃えている」自覚、実はあったから、本当に殺されるんだと思ったら、いてもたってもいられなかったんだ。いや本当にダサい。恥ずかしくて死にそう。


 ただ、あれが君の変な熱を起こしてしまったような気がして、僕はそれが心残りだ。


 白井、僕は、自分で選んで死ぬことにした。

 君はそれをあまり信用できないかもしれないけど、落ち着いて聞いて欲しい。


 なあ、俺たちはさ、今まで医者やってきて、良いこともあったけど、色々嫌な思いもしてきたよな。小さい女の子が放射線治療でボロッボロになりながら死んでいったりとか、中学生の子が突然手足を切断する羽目になったりとか。


 お前もそうだと思うんだけど、僕が代わってやれたらって、何度も思ったさ、何度も何度も。こんなまだ何も知らない子たちが、良いことも悪いこともまだほとんど知らないような子たちじゃなくてってさ。


 だからさ、これは僕がその「代わりになれた」って思うことにしたんだ。生きたまま体が突然燃えるなんて、正直本当に死ぬほど痛いし、苦しいし、酸素燃えて息もほとんどできなくて、マジで最悪だよ。それがさ、他の子供たちにならなかっただけ、ずっと良いってね。これはきっと僕が前から望んでいたことなんだ。


 神対の人に聞いたんだが、こういう事例は、ここ十年で一気に増えているらしい。数年前にも、実はでかい災害が起きていて、人が何人も死んだらしい。僕らが知らないところで起きているのはそういうことなんだ。


 だから僕から最期の望みを言わせて欲しい。もちろんただのお願いだ。僕から返せるものは何もないし、君の人生を縛ってしまうかもしれないから、嫌な予感がするなら見なくたって良い……と、言いたいところなんだけども、やっぱり同じ医者として、ライバルとして、君にこれを託したい。


 どうか、彼ら神対の手伝いをして欲しい。


 彼らは多くの犠牲を払って、この市の延命治療をしている状態なんだったよな。これから先、僕のような事例はどんどん増えて、その多くが闇に葬り去られていく。それは別に彼らが暗躍しているわけでもなんでもなくて、何か大きい、そういう意思が働いているわけで。まあ神様が相手なんだから、そういうこともあるだろう。


 馬鹿馬鹿しいよな、ほんとありえねえ。でもお前も、もうただ誰か悪い奴がいて、それで何かがどうこうしてるんじゃないってことくらい、わかるだろ。少なくとも、何か今までの「やり方」じゃうまくいかない何かが、この街で起きていることは確かだよ。


 納得いかないなら、彼らの担当する事件の「被害者」を治してやることだけでもやって欲しい。それなら問題ないだろう? 気の遠くなるような症例が、きっとこれから先山ほど出てくるぞ。


 僕の望みはそれだけだ。あとは葬式で号泣するふりをしつつ、俺がどんなに良いやつだったか吹聴してくれるだけで良い。多分それっぽいことを言ってくれれば、父さんや母さんにもそれなりに良い息子だったと思ってもらえるだろうから。


 最後に、僕のカルテも同封しておく。経過も含めて、できるだけまとめておいた。透子ちゃんにはよく手伝ってもらったから、後でお礼をいっておいて欲しい。


 今までありがとう。来世か地獄か天国かはわからんが、神様がいるなら、またいつか会えるだろう。その時に、また会おう。


P.S.

 透子ちゃんのことは、許してあげろよ。大人げないぞ。


——————————————————————



「……心より、お悔やみ申し上げます。そして……申し訳ありませんでした」

「……はは、これ、読んだか」

「いえ」

「なんか……お前らのこと、頼んだぞって、書いてある……」

「はい?」

「なあ、俺、さっき、許さねえって、言ったけど……どうしたらいいと思う?」

「……」

 彼女は頼りなさげに後ろの大人二人を見上げた。でも後ろの二人も、顔を見合わせるばかりで、肩をすくめている。それはずいぶん、人間臭かった。

「……もう一度、冷静になることにする」

「え」

「拍子ぬけた……掴んだりして、ごめん」

「あ、いえ……」

 俺は頭を抱えて、もう一度考える。頭は相変わらず働かないが、体の奥のものはずいぶんと大人しくなった。

「……また連絡させてくれ」

「は、い……」

 最後の頼みなんかされたらよ、三井、聞きたくなるじゃねえかよ、ひどいことするよな。俺の復讐心とか、悲しみとかさ、全部俺だけが抱えてたものってことじゃねえか。単なる俺の身勝手だったってことじゃねえか。

 もしかしたらあいつは、最初の火事に巻き込まれた時から、何かしらの覚悟が決まっていたのかもしれない。それが何者かに植え付けられたものだったとしてもだ。そしてそれが「神」の采配だって言うなら、こいつらに当たるべきじゃ、ない。

 ……復讐心を燃やすべき相手は、もっと別のところにいる。そう思うと、落ち着いた。

 俺にはこれからやるべきことがいっぱいある。そのために、このジン対とは、関わっていかなきゃならないだろう。なら、敵対するのはやっぱり、得策じゃない。

 外に出た時、空を、睨みつけた。

 かんかん照りの、綺麗で眩しい空だった。

 


                   つづく  

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