第1話 出来損ないのサラマンダー⑤
神は死んだ、約十年前に
まず一般的に言われている神と私たちの言う神についておさらいする必要があるだろう。一般的な神、には、大きく分けて二種類の存在がある。まず、一神教から来た「万物の創造主であり、絶対的な存在である神」。感覚的に説明すると、大地に寝転がる時、その地面が唐突に無くなるとは人は考えないように、心の中でその「大地」を感じ取る人々がいる、それが彼らの呼ぶ神である。これは時代が経るにつれて生まれた概念であり、正直人間にとっての理想像という意味合いが大きく、私たちの使う意味の「神」とは全く異なる存在だ。実はこれは翻訳のせいでややこしくなっている一面もあるのだが、その説明は面倒なので割愛させてもらう。
もう一つは多神教の神である。本来日本語における神とはこちらを指す。端的に言ってしまえば「有象無象」のことだ。理屈にできない超常的な意思を感じた時、昔の人々はそれを「神」と呼び、様々な対処を生み出してきた。特に、日本における「神」とは、決してただの人間の守護者のことは差さない。ただただ理解の範疇を超えた、壮大な「何か」、それが彼らだ。
そして、そんな意思はなく、すべてはコツコツと実証していくべきことなのだ、という価値観が科学である。彼らからすれば、「実証できない知識」または「未実証の知識」は一旦保留、または淘汰すべき存在だ。……おかげで、偉い誰かがカラスは白いといえば白、というような邪智暴虐の知識は無くなったし、積み上がった知識は大きく我々を進化させた。
しかし彼らはいた。
存在を証明できなかった彼らは、存在していた。
……神という存在は、私たちより常に上の存在であると考える必要がある。その名の通りだ。神は私たちの生活にずっと密着しており、進化し続けており、人類の手の裏をかいて隠れていた。彼らは知っているのだ、私たちが、存在していると立証できないものへの対処ができないと。
「そして、私たちの住むこの神南市では、約十年ほど前にこの一帯を守護する神が消えたと言われています。以来、この市では怪事件が続き、変死体、あるいは行方不明になる人が増えています」
「……どれくらい?」
「平均で年間十人ほど、多い時では、百人ほどが、一度にいなくなります。しかしこれはあくまでいなくなったと「判明した人」の人数ですので、原因不明の事故や戸籍のない人の失踪を含めれば、もっと多くなるでしょう」
白井さんは口をはくはくと動かして、何か言いたげなようだった。
「そんなこと、もっと人が死ねば、もっと! こう……」
「三井さんのことは、どれくらいの話題になりましたか? せいぜい、市内男性が火傷を負い重症、というニュースが流れた程度ではありませんでしたか?」
「……」
「火傷はまだ良い方です。交通事故、土砂災害での死者は、ただの数字になります。大きい組織に関われば、事故そのものが隠蔽されることもあります。また、病気の場合はもっとニュースになりにくいですよね……案外、人は、本来他人の死に興味なんてないのかもしれません」
「な……なら、その情報を公開して、この市から逃げるべきだろう!」
彼は当然、激昂していた。いや……むしろ一度彼の親友を殺しかけているのに、こうして大人しく付いてきてくれるあたり、根はかなり冷静で、聡明な人なのかもしれない。もちろん、三井さんのそばを離れようとはしないけど。
「それで解決するなら、そうしています。しかし我々を守護する神は、我々が生まれた時に決まっているものなのです。家畜が、自分の生まれる牧場を選べないように」
「かち……?!」
「引っ越しても、どこに行っても、自分の所属は変えられない。逆に市外に越す方が、死亡率が高いというデータもあります」
私はスマートフォンから市の統計資料を見せた。年間の行方不明者、死者……全部載っている。そして、市外に出ていた人の事故などによる死亡数も。
彼は神経質に顔を拭ったり、三井さんのベッドの周りをウロウロと歩き回ったりして、なんとか心を落ち着けようとしているみたいだった。一方で、三井さんは不気味なほどにおとなしい。
ベッドのある屋内をそよ風が通っていく。レースのカーテンが揺れて、室内の光量を順々に変えた。神がこの一帯をを右往左往してるのかもしれないし、ただ単に雲の多い日なのかもしれない。用心に越したことはないので、まだ高田さんと根崎さんには黙ってもらっている。猫の鳴き声も虫の羽音も、今は神を刺激するだけだ。
「……まずは、整理させてほしい……君は、君たちは、なんだ?」
「……私達はこの市を少しでも長く存続させるために、特殊な訓練を受けた存在です。神々を惹きつけたり、遠ざけたりする力があります」
「ひきつける? 我々より高等な生物を、操るような真似ができるのか?」
「道端で猫やゴキブリを見たときの人の反応と同じです、大きい拘束力があるわけではありません」
彼はピタリと歩みを止めた。
「……人が、ゴキブリなどと変わらないと?」
「ええ、そしておそらく、彼らにとって三井さんの「殺害」は、生ごみの袋を縛るくらい、些細なことなのだと思われます。あくまで、人間における喩えでしかありませんが……」
彼は怒っているのか、焦っているのか、貧乏ゆすりと手のささくれを噛むのが止まない。三井さんがそれを制したいのか、白井さんの名前を呼んだ。が、彼はどうしてもやめることができない。私は話を続けることにした。
「人間で言うところの、猫……高田は、神に無条件に愛される存在です。神に愛されると書いてそのまま『神愛(カンマナ)』と呼んでいます。一方、根崎は神が忌み嫌うと書き、『神忌(カムイミ)』、その名の通り神に嫌悪されています。そして私は『路傍(ロボウ)』、神の意識をすり抜け、関心をもたれないという特質があります」
「じゃあ、そこの人が、俺を殴ったのって」
「それは、まあ、なんというか……でも、だからこそ神からも嫌われる、ともいえます」
濁した言葉に途端に彼が胡乱な目をした。しょうがないでしょ、うち一番の問題児……問題のある人だけど、彼がいないと困るのだから。
「私たち神南市神的災害対策本部は、死者と行方不明者が急激に増え、それが謎の超常現象が原因とわかり、国に業務を委託されて、設立された組織です。私はこの年齢ではありますが、なにぶん特殊な立場ですので、訳あって成人としての権利を得、ここの部長として働かせていただいています」
私は名刺を取り出して、差し出した。
「……」
「一応、生きてきた長さはこの中で一番長いので、ご心配なく」
「はい?」
「神さまと同じような理屈です」
つまりこれ以上聞かないでほしいと言うことなのだが、彼は何度か私の方をチラチラと見て、名刺を名刺入れにしまった。彼もファンタジックなコミュニケーションに慣れてきたのだろうか。
「他に何かご質問は」
「……これだけの被害があるのに、「国」が主だって動いていないのは、なぜだ?」
「理由は二つあります。それは被害が「この町の人間」に限定されるため。もう一つは……知る方が危険だからです。もうお二人もこちら側の人間になってしまったので、お話しするのですが……神の存在を「きちんと」知ってしまった人間の死亡率は跳ね上がります」
「は」
「国の側にいた協力者は、この部の結成間も無く、心臓麻痺心筋梗塞フグ毒脳卒中その他諸々の急性の病で、そして我々の組織にいたベテラン達も、ほとんど全員亡くなっています」
これには三井さんも驚いたみたいだった。二人して顔を合わせている。
「そんな、知っただけで……?」
「ええ、知っただけで……白井さん、神はどこにいると思いますか?」
「どこにって……さっき、どこでもって」
「そうです。そしてそれは、人の中、も例外ではありません」
「……」
「彼らには「情報が漏れた」ことがすでに知られています」
「……」
「危険分子は早めに摘んでおく、勤勉ですね、彼らは」
私たちよりずっと勤勉で、賢く、強い存在が、敵なのだ。種族として、あまりにも差が大きすぎる。
「……それと……少しでも長く、というのはどういう意味だ?」
「神を知ってしまった以上、むしろ注意した方が良いので、お話しするのですが……この市が滅ぶことは、もう決まっているのです」
私の言葉に、今度は三井さんも目を見開いた。
「この町の人間は、一人残らず競りに出された家畜と同じです。誰の所有でもないということは、いずれ買われていくと言うこと、そのあと実験動物になるか、調理して喰われるか、あるいはペットとして飼われるのかは、わかりません」
「他の神の庇護に入ることは」
「ないです。それは古代の人間の「一部」だけが、死線をくぐり、勝ち取った「契約」です。……私たちには、その契約をどうすればまた結べるのか、何を捧げれば良いのかすら、もうわからないのです。それらは全て、失われてしまった」
彼らに対抗する知恵は失われ、契約は失われている。今あるのは、ただ終わりまでの時間だけ。
「……」
「でも、期限を”延ばす”方法を、私たちは探しています。神の寿命がいくらあるのかはわかりませんが、すくなくとも人間の感覚とは桁が違う……売られる日を、神の感覚の二日、三日と伸ばしていければ、もしかしたら、あと五百年くらいは大丈夫かもしれません」
「そういうレベルの話なのか」
「あくまで、希望的観測、ですけどね」
彼はもう、腕をむやみに擦ったり、ウロウロと動き回ることをしなくなった。私みたいな、小さなガキの言うことを信じてくれるあたり、この二人はとても良い人なのだろう。ああ、本当に。
「他に質問はございますか」
「なぜ被害者である三井を殺そうとする」
「……燃えるということ、そのものが危険だからです」
「炎を即座に消すというアプローチをすれば? 冷やし続ければ、あるいは水を携帯するなどすれば、燃えるということそのものは避けられるはずだ」
彼は真剣に三井さんを生かす方法を考えていた。医者でなくとも、そういう発想には、当然至るとは思う。だが。
「それではダメなんです……神懸かった……つまり神によって「変異」させられた人間がもどることはないから」
「なぜ」
「それは、神に近づくということだからです。たとえ、三井さんの燃える、という症状が治まったとしても、いえ、むしろ治まった場合、三井さんは確実に神に意識を乗っ取られます。人が、記憶を失っても、箸の使い方を覚えているのと同じ理屈です。どうなろうと、知る前には戻れません。彼らの思考に染まってしまう」
白井さんは少し考えるようなそぶりを見せた。ゆっくりと、言葉を咀嚼して、飲み込んでいるみたいだった。そして、最悪の思いつきをしてしまったかのような顔をして、私の瞳をその迷いで射抜いてきた。
「……人を殺すようになるのか? 三井が?」
「そうです、今は意識を蝕むほどの兆候は見えませんが」
「絶対に?」
「絶対です。かつて捕獲した”神懸り”は、『五分間戯れた虫と付き合うために家族を捨てるのか?』と言っていました」
彼らの理屈は、彼らの思考は、私たちにはわからない。向こうも、明かそうとはしてこない。こちらが彼らの「仲間」であるらしい神懸かりを殺したところで、怒るわけでもなく、静観している。
「……」
わからないことを、人の言葉に例えるのは難しい。あっているのかもわからない。もしかしたら、全然、見当違いなのかもしれない。白井さんは今の説明で納得してくれただろうか、無理だろうな。突然人の意識が変わるなんてこと、人の感覚が変わる、価値観が変わるということを、受け入れられる人は少ない。
「……たくさん、話しすぎましたね、すみません……今日はひとまず、お暇させていただきます。しばらくは不安も多いと思われるので……こちら、私たちと提携している警備会社です。神対からの紹介、といえば、今後の対策などを、詳しく教えてもらえると思います」
私たちが立ち去ろうとしたところを、白井さんが引き留めた。
「……だから、三井を殺すのか」
「……」
「神様の、理不尽に、巻き込まれたから、こいつを、殺すのか」
だよね、そう思うよね。
「そうです。古代の、疫病への対処法と同じです」
「……」
ただ、私たちは忘れている。この世の中があまりにも不条理であることを、思い通りにならなくて、どうしようもないことが、私たちのすぐそばに横たわっていることを。それはかつて普通のことだったのだ。元に戻るだけ。
でも、だから受け入れろ、とは、今はとても言えなかった。
「……でも、もう少し考えてみようと思います。三井さんは、まだ意識まで神懸かっているわけじゃない。その……別のアプローチというものを、少し試してみるべきかもしれません」
「え」
「会議にかけさせていただくので、一週間ほど、お時間をいただきます。それからのことは、また後ほど」
白井さんはホッとしていた。今まで見た中で一番の安堵の表情だった。ただ、三井さんがそうじゃなかったのが、どうも気になっていた。
「会議にかけるだなんて勝手に決めるんじゃねえよ。ベッドにロウソク載せとくような真似しやがって」
「でも、ああでも言わないと、納得してもらえないと思ったんです。一旦、白井さんには落ち着いてもらわなきゃ」
「うん、確かにね、あまりにも多くのことが彼の周りで起きすぎたし、彼はもうこちら側の人間になってしまったから。むしろ協力してもらえるように、取り計らうべきだよ」
「あいつは、どうせ死ぬけどな」
根崎さんは短くなったタバコを潰して消す。胸元を探り、新しいものを取り出そうとするが、もう無かったらしい。舌打ちをして、足を組んだ。
「みんなお疲れ様〜」
「あ、渡辺さん、お帰りなさい」
「……」
「んだよババア、ジロジロ見てんじゃねえよ」
他部署に行っていた渡辺さんは、私たちのほうをじっと見て、少しため息を漏らした。
「三人とも、一旦休んだ方がいいわ…特に根崎くんと高田くん」
「指図してんじゃねえよ」
「今日、鎮めてきたのね〜。お疲れ様〜……だから、ねえ」
「……」
「……」
「二人とも、お願い」
この部にはルールがある。
たくさんの、個人個人のルールがある。それは言語化してはならないもので、暗黙のものだ。この場にいる「神愛」「神忌」である三人の「巫覡」の力を保つために、
「俺は絶対てめえの言うことなんて聞かねえからな」
そう言って、根崎さんは部屋を出て行った。一度、地下にある自室に戻るのだろう。そこでは、特殊な結界が貼ってある。思考も言葉も行動も自由だ。十分に、休めるはず。
「わかりました」
高田さんはまだ、動かない。こういう時に、神愛同士が残ると、話がこじれるので、私の出番だ。
「高田さんはまだ行かないの?」
「うん、一人は、三井さんを見ていないと」
「私が見てるよ、渡辺さんもいるよ」
「そうだね」
「……」
「……」
「高田さんは、どうしたいの?」
私は、耳を寄せる仕草をした。彼は内緒話をする時みたいに、私に顔を寄せる。その時、彼は三日ぶりに口をきくみたいな顔をしていた。
【 。】
私にだけの言葉は、神には伝わらない。彼らの声を聞き、彼らの心を円滑に伝えるのが、私「路傍」の役目だった。
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