第1話 出来損ないのサラマンダー③
タルトの色に似合うもの
最近の病室は白くはない。人が少しでも安心感を覚えるようにと、クリーム色の壁や、木目調の棚など、比較的日常感のある材質で揃えられている。まあ、死にかけの人間に常に死を意識させるような色合いにするよりは、ずっといいのかもしれないが。
「失礼します」
小児科医の先生らしいから、今回は私も同行した。あわよくば、昔の患者だと思ってもらえるといいのだが。
が、それ以前に、病室が妙に騒がしい。
「いい加減にしてください先生!! 本取り上げますよ!!」
「ああ~~! 後生だからそれだけはぁ~~! それだけは堪忍してくださいお屋形様ぁ~~~!」
「誰がお屋形様ですか!! じゃあ『ながら』じゃなくてちゃんとご飯食べてください!!」
「やだぁ~~~!」
「子供か!!」
……看護師のお姉さんと包帯ぐるぐる巻きの男の人がベッドの上で攻防していた。あ、そういえばここの病院で働いてるわけだから仕事仲間なのか。
「滅多にないせっかくの長い休みなんだぞ~~~! ここで読むしかないでしょお~~~!」
「どこから出してるんですかその馬鹿力! ほんっ! ほんっといい加減にしてくださいもう!!」
しかし看護師さんパワーは強かった、むしり取るように文庫本が取り上げられる。古本らしいそのタイトルは私が全く知らないものだった。
ちら、と後ろを見る。何とも言い難い顔をした根崎さんが高田さんにひそひそと何か話していた。多分悪口だろう。
「ああ~~~!」
「はぁ……はぁ……それだけ力が出るなら、リハビリも増やして大丈夫ですね!!」
「ええー!! 前原さんの鬼! ゴリラ!!」
「は?」
「ごめんなさい」
ごめんなさいが速かった。すごく速かった。体感的にF1がすり抜けるレベルで速かった。
前原さんと呼ばれた看護師さんは本を抱えて後ろを向くと、私たちが来ていたことに気づいたらしかった。はっとして、バツが悪そうに顔を赤くし、そそくさと「失礼いたしました」と言って出ていく。あらやだ、可愛いところあるじゃない。
「……こんにちは、あれ? ……初めましての、子じゃない、よね?」
真っ先に子供に目が行くあたりさすが小児科医といったところか。
「む、むかし! 予防接種のときに、見てもらったから……お兄ちゃんに言って、お見舞いさせてもらいにきたの……」
うー! 全身に鳥肌が!
「こ、これ、お見舞い」
「そっかあ、ありがとう」
全身包帯まみれだった。ギプスもしていた。表は真っ白で清潔な布が出ているが、そのすぐ下にちらりと見える皮膚は白くなって血が滲んでいる……。なのに、不思議と怖いという感情は起こらなかった。
「お名前は?」
「佐々木、佐々木透子! 八歳です」
「なんか予防接種の時に? 全然怖くなかったのが不思議だったみたいでえ、また先生に診てもらうために来たがったんスよね」
ナイスフォローだ根崎さん! ありがとう!
「ちなみに僕たちはこういう者なんですけど」
「え、あ、ハイ……」
彼はボロッボロの名刺入れから名刺を差し出した。ヤニで黄色くなっている。
「神南……市役所?」
「よろしければ少しお話を伺えないかなと思いまして」
「事件当時はどのような状況で火災に遭いましたか」
「一度目は、家で寝てる時に突然、二度目は仕事の最中に」
「二度目の時は、どういう状況でしたか」
「え、えと、夜勤中で、コーヒーを飲もうと、給湯室に入った時に」
「……火は、使っているところでしたか?」
「は、はい……」
「本当に?」
「……実は、信じてもらえないかもしれないんですけども、使う前でした。あのこれ、なんで市役所の人が聞くんですか?」
「同じ給湯器の事故が相次いでるんスよ、ていうかこっちも仕事なんで、ちゃっちゃとお願いします」
「根崎! ……失礼しました。最近、起きていなきゃならないところで眠くなることはありますか?」
「日中の仕事中はないです。でも、家で本を読みながらとか、一人でいる時にうとうとと、することは」
「歩きながらでも?」
「それはないです」
「……、……」
「いや、逆にそういえば行ってませんでしたね」
「……、……」
「ああ、ええと、あんま、食べてないです」
「……ゲホ、失礼……、……」
「ああ、あいつとは、同じ先生のところで学んだ仲というか、石沢先生って知ってます? 総合医療で有名な人で、テレビにも出てるんですけど、あ、知らない?」
彼は朗らかに笑っている。とても、優しくて、人と話すのを心から楽しんでいるような、無邪気な目をしていたが、私は表情が凍ることを抑えるのに必死だった。
……途中から、高田さんは話していない。
口パクをしていただけだ。さらに、むせたふりをして、口を隠しながら話もした。ただ、頭の中で質問を”考えた”だけ。それなのに、彼は明瞭に答えていた。
それは、つまりそういうことだ。彼は、「神懸かって」いる。
……根崎さんはすぐに動いた。彼はこういうときばかり行動が早い。
「もうわかっただろ、こいつは”懸かってる”」
彼の手には、どこから出したのか、すでに拳銃が握られていた。
「人体自然発火……勝手に火のつく人間か、くだらねえもん神も作りやがる」
「根崎!」
「んだよびびってんじゃねえよ」
「は、ちょっと、何ですか、え。何の、撮影?」
「じゃあな、先生」
引き金は確かに引かれた。サプレッサーを通して、目の前の人のいい先生は考える間も無く、息をひきとる。
はずだった。
「おいあんた! おもちゃにしたって冗談が過ぎるぞ!!」
扉の向こうからかかる声。白井さんだった。根崎さんは別に射撃の達人なわけじゃ無い。彼の狙いはそれで少し外れて、三井さんの隣にあった何かの機器を破裂させた。
「……は、な、なな、なん?! え?!?!」
「ちっくしょ」
根崎さんがもう一度彼を狙う隙はなかった。白井さんの渾身のタックルが根崎さんの足元に入る。彼の痩身は崩れ、したたかに頭を壁に打ち付けた。いとも簡単に手からは拳銃が飛ぶ。
「三井ナースコール!!」
「……!」
【……三井先生、なんですか、本は】
「不審者だ!! 男呼んでくれ男!!」
素晴らしい手際だった。組織として見習いたい。
根崎さんはもう目を回してしまっているし、逃げられるとも思えないので、おとなしく従って警察に連行されるしかないだろう。
……ああ、まずった。向こうには話は通っているから、すぐに解放されるはずだけど。
バタバタと人の波が押し寄せる。現れたのは屈強な男性看護師三名。彼らは白井さんから根崎さんを引き継ぎ、連れて行く。
彼らは、同行していた私たちも同じく連れて行かなきゃならない、と言って取り囲んだ。私も高田さんもそれにおとなしく従う。
後ろを振り返ると、完全に警戒した目で私たちを見る二人と目があった。その通りだ。その目は正しい。私は軽く会釈して、その場から立ち去った。
なんで、という言葉ばかりが白井の頭の中を渦巻いていた。なんでだ、なんであの人たちが。
「なあ、なんか、なんか、市役所? のひとたち、だったみたいなんだけど……」
「……子連れでか」
三井は、うつむいていた。彼がこんなに憔悴しているところを、今まで見たことがあっただろうか。白井は何故かそれだけでとても嫌な感じがした。人間だから気持ちが落ち込むことは、当たり前だろうに。
「……なんかさ、俺、死ななきゃいけない、みたいな、こと、言ってた……」
さっきの喧騒が嘘みたいに病室の中は静まり返っている。大きい音に驚いて寄ってきた患者たちも、高橋さんら看護師さんたちが戻してくれたようだった。
俺は黙っていることしかできない。彼らがここまで来て、事情を三井にも話したことにも驚いていたが、なんだ、死ぬって。わけがわからない。
……三井には、俺があの男性二人と、市役所内で会ったことがある、とは、言わないことにした。
「ただの、ただのその、愉快犯、だろ、よくわかんないやつ」
「そう、か……そうだよな、うん、普通そうだ」
最初にそれを疑っていいはずだ、なのに彼はそんなこと思いもつかなかったみたいに、呼吸を落ち着けている。パニックだろうか。
「誰でも良かったんだろ、どっかから、二度火事に遭った人間、なんて情報を嗅ぎつけて、変に脅しに来たに決まってる」
「……あの子はなんだ」
「は? あの子? ああ、あの子供……」
「な、なあ、俺変なこと言ってると思うけどさ、あれ、あの子、あの子さ、子供の気配じゃなかった」
「なんて?」
俺は聞き返した。三井は俺の腕を、弱々しい力で握っている。
「い、いいにくい、んだけどさ。子供、こどもって……白か黒か、みたいなとこがあんだよ。すっごい、わかりやすいか、わかりにくいか、みたいな……なんていうか、悪と善を簡単に決めちゃうというか、好きと嫌いをすぐに決めちゃうっていうか」
「大丈夫だ、あいつらはもう高橋さんたちが連れてってくれたから」
「あの子は子供じゃないものが入ってるみたいだった」
彼は一息に言った。その一言に、肺の空気を全部使ってしまったみたいな顔をしていた。
「……無いだろ、なんだそれ、ファンタジーか」
「……そう、か、あれ、おかしいな……何言ってんだろう僕……」
「考えすぎだよ、小説の影響か」
「うん……て、ていうか、さ、一介の市役所にそんな権限、あるわけないよな、なあ」
「そうだ、その通りだ。そんなのタチの悪い冗談に決まってる」
「だよな、な? ……あの人たちの言ってる、理由、わかんなかったんだよ。なんだよ自然発火って、俺自身が燃えてるって、あり得ないよな、な? そんなデタラメみたいな話」
今度は黙るのではなく、口を噤むことになった。彼が発火したと証言したのは俺だった。彼の焼け焦げた指がより強く俺の白衣の裾を掴んだ。体液で黄色く薄汚れたそれは、明らかに前よりも短くなっていて、やっぱり力も弱々しい。
「なあ、俺、ひとりでに燃えるんだって、おかしいよな。何かの間違いだよな」
「そうだ、ありえない。理由がある。解決する」
彼の息は浅く、震えていた。多分、皮膚が焼けたせいで体温調節機能が落ちているのもあるだろう、きっと。一度目の火事の時はもっとこっちの気が抜けるくらい、こいつは明るかったはずだけども。
「お前から見て、どうだった?」
「え」
「お前、あの時、近くにいただろ……お前から見て、どうだった?」
彼の質問に、俺は答えられない。言葉が空虚に喉の奥で渦巻くばかりだ。
「俺は、ぼくが、僕だけが、燃えていたか?」
「……いや、火事だったよ、あれは」
まぶたが焦げて閉じにくくなったせいもあり、彼の目元には包帯が巻かれている。血の混じった涙がボロボロとそこに染み込んでいくのを、俺は誤魔化すように言った。
その後、俺は新聞をよく読むようにした。もちろんニュースも。理由は簡単だ。あいつらがきちんと逮捕されたことを、三井に知らせてやれば、少しでも不安がなくなるだろうと思ったからだ。普段賑やかな奴が、あれだけ憔悴しているのは見ているこっちもどうも胃がキリキリとさせられる。……それに、市役所職員が錯乱したとなれば、絶対にマスコミは食いつくだろ。しかも二人だ。たとえあの人たちが偽物の職員……いやきっと偽物だ。そう、偽物だったとしても、だ。そうに決まってる。俺が記者だったら逃さない、そんな情報。なのにいつまでたってもそんな話はどこでも聞かなかった。ネット検索もした。友人にも聞いて回った。見たくもないワイドショーを録画したりもした。でも、でも、そんな話どこにも出ていなかった。
「うちの病院が隠蔽体質かって? めっちゃストレートに聞くわね」
「うん」
折角の恋人とのデートだったはずなのに、結局俺はそのことで頭がいっぱいだった。
「推しを前にしてする話でもないでしょ」
「そ、うなんだけどさ」
「……まあでも、特別に、聞いてあげるわ……みくりんに、おまじないかけてもらってからね!」
「は~い! いきますよぉ~! おいしくなあれ! まじかる! みらくる! めるてぃはぁ~と! ……じゃん! もっともぉっとおいしくなりましたよ!」
「わーい! ありがとう!!」
普段なら嬉々としておまじないに参加する俺だが、今日は本当に調子が良くない。
「……ほんっとに大丈夫?」
「うん……」
「……質問の続きだけど、大なり小なり病院はそういう部分あるわ。わかってると思うけど。でもうちはかなりクリーンな方よ。パパがあんな感じだし、これ以上あれなら石沢先生とか、辞めてるでしょ」
「……それも、そうだけど……」
オムライスの、味がしない。
「……少し前のさ、院内での発砲事件、覚えてるか? 三井の病室の」
「発砲? エアガンでしょ」
「違う、実弾だった」
俺の言葉に彼女は強烈に眉を顰めた。
「何言ってんのよ、実弾だったらもっと大騒ぎになってるから。私だってここに来れてないわよ」
「……あれは確かに実弾だった。銃声がしただろ! ……輸液ポンプがぶっ壊れたんだぞ?!」
「音まではわからないけど、大人向けのエアガンならそれくらいの威力あるんじゃない? それにぶっ壊れたって大げさでしょ、少し倒れただけって聞いたわよ」
「……そ、んなんじゃなかった……」
全身に嫌な汗が広がっていく。
「あの後、警察が一応中を見ていったけど、大したことじゃないって……捜査に入った本人から聞いたから、病院の隠蔽は無いわよ、私を疑うならそれまでだけど」
自分の意識が、体を抜けてばたばたと暴れまわってるみたいだった。でも結局指先一つ動かなかった。視界が暗い、意識だけ動きすぎて、めまいがしているのかもしれない。焦燥感、と大きな不安が、ドリンクの中の氷みたいに、じわじわと体を蝕んでいた。
シャバの空気は本当にうまいか
佐々木side
「あーくそ、てめえがちょっとビビってなけりゃあれで殺せたのに、なんで止めんだよ」
「ごめん、あそこで銃を出すより、もっとやりかたが、あると思ったんだ」
根崎さんと、巻き込まれて捕まっていた高田さんが釈放されたので、私もそれに続く。約二時間程度で済んだのは不幸中の幸いだ。
「それであの病院が燃えたらどーすんだよ」
「今までだって、不自然なくらい延焼はしてないだろ」
「次は無いって保障がどこにあるんですかねえ! 低脳! クズ! ガキと混じって足し算でもしてろ!」
高田さんは黙ってそれを聞いている。自分が悪いと思っている部分もあるのだろう。
「殺すとか銃とかまだ署内なんでやめてもらえますか? 引き取るのやめますよ」
「ごめんなさい本田さん」
私たちと連れ立って歩いている巨漢は、本田仁孝さん。私たちと提携する組織の一つ「モトダ警備保障」の社長で、彼もまた結構すごい人なのだが、龍禅院さんほどタチの悪い人では無い。むしろちょっとお人好し。でもでっぷりと太った見た目のせいもあって、あんまり良い印象は持たれ辛い。
「それで、今回はどのあたりで動く予定なんですか」
「例の人が入院しているのは東遠大学総合医療センターです。が、正直もうかなり警戒されてしまっていると思うので、別の場所にするかもしれません」
「……わかりました。はあ、あんまり目立たないでくださいよ、無いとは思いますが、あなたたちの存在が下手に知られたら、私たちの組織の信用問題にも繋がるんですから」
彼は敷地から出ると、そこから車に乗ってしまった。私たちは歩きだ。ここから市役所までは約二キロ。うーん、小学生の足では、ちょっと辛いところだ。
「神になった人間は、本当に人間に戻れないんだろうか」
……独り言だったっぽいけど、聞いてしまった。無視を決め込んでもいいんだけども。
「無理だ」
この場には根崎さんもいた。
「でも、三井さんはまだ神としての意識はない」
「孵りかけの卵を卵黄に戻せるか?」
二人は今年二十一になったばかりだ。でももうすでにここでは数年正社員として働いているし、中学の時から仕事の手伝いはしていたから、最早ベテランの域にいる。昔はなぜかよく似た見た目をしていた。今は根崎さんは四十代のおじさんのように見えるし、高田さんは十代の若者のように見えることもある。人は環境、生業、生き方によって、随分と見た目が変化するものだ。
「前から言ってるだろ、割り切れよ、いつまでガキのままでいるんだ」
「できるだけ殺さない方がいいに決まってるだろ……やっぱり、探してみるべきなんじゃないか、すぐに手にかけるんじゃなくて」
「俺らの相手はそんなに悠長なこと言ってられるようなもんじゃねえだろ」
「じゃあ、この市に生まれたことそのものが、あまりにも不幸じゃないか、そんな、他の町に住んでいる人たちは、脅かされないで生きているのに……」
強い風が吹いている。轟々と唸って、何かを探しているかのようだった。あたりは真っ白な曇り空で、寒気のするような冷たい光が、ゴミとタバコが散乱する遊歩道を照らしていた。
「ああ、そうだな、俺たちは不幸だ」
根崎さんはさらりと言った。
「この市も、アフリカだかアジアだかのどっかの国にも、宇宙のどっかの異星人にも、きっと不幸な所があるだろうよ。でも、だからなんだ? それがなんだってんだよ、え? 他が恵まれてるから羨ましいって? 吐き気がするような嫉妬心だな。で、だからなんだ?」
「……」
「生きたいから生きる、それだけだろ。そのために害虫は潰す」
「……僕は、家族を、友達を、この町を、少しでも長く、守りたい」
「あっそ、じゃあ、そのために殺す。以上だ。何か質問は?」
「……ない」
「あいつを生かしたら、もっと多くの人間が死ぬぜ、お前の考えだと、個より多を優先すべきなんじゃないか、あとは贔屓してる人間。あいつのために、友達殺せんの?」
「いや……」
「だろ」
結論が、出たみたい……二人の会話はそこで終わった。私はポッケに入れていた、キャンディをなんとなく二人に渡す。
「はい」
「ありがとう」
「子供の飴ちゃんごとき腹の足しにもなんねえってのによ」
そう言って二人とも同じタイミングで口に入れた。
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