第1話 出来損ないのサラマンダー②

ジン的相談先


「おかえりなさい」

「おかえりなさい」

 温かい笑みが私たちを迎える。迎えられることに強い嫌悪感を覚えてしまうのは、この場所ならではだろう。本当は、そういう差別的な考え方はよくないのだけれど。

「おかえりなさい、みんな待っていましたよ。ささ、どうぞ」

 根崎さんの毒舌を聴き慣れていると、今彼の声がしないのが惜しいと感じてしまう。ここで彼が、何か痛快な一言を言ってくれれば、さぞかしスッとするだろうと思うのだが……肝心な時に居ないのがあの人らしい。ただ、彼が来ると基本的にトラブル必須なので、時間の節約という意味では連れてこなくて正解だっただろう。

 宗教法人神景(しんけい)会は、いわゆる新興宗教組織であり、わが神南(かんな)市役所ジン的災害対策部の「協力団体」だ。市内のそれなりに広い郊外に建てられたこの施設は、それなりの規模でそれなりに市民の反対を押し切り建立された。

 なんてったって肝心の風紀の方が……正直、あまり良い噂を聞かない。信者が家と絶縁しただとか、熱心な信徒が子供に学校行事を休ませてまで修行させるだとか、裏で始末されるとか、そういう噂ばかり流れてくる。もちろん宗教団体という存在そのものに対する風評被害もあるだろうとは思うが、まあここの場合、それだけではないだろう。最近も、別の課の職員がここに入信したとかで、勤怠が良くないと上司がぼやいていた。

 だが残念ながら市としては、ここを無くすわけにはいかない。ので、本当に、非常に気が乗らないながら、日夜面倒ごとの「ある程度の鎮火」を請け負っていた。

 彼らをかばう理由は二つ。一つは、ここの組織力と情報収集能力。反発されやすい組織なだけはあり、結束は固く、裏から表までありとあらゆる情報を仕入れてくれる。さらにこの町には信者が比較的多いため、町中の監視カメラのように、信者ネットワークが張り巡らされているのも地味にありがたい。監視カメラに映らないで、人目につくようなものも、あるのだ。もう一つは、ここの蔵書。多くの神社仏閣より仕入れた古文書が、この組織には多く眠っている。これらは、私たちにとって、非常に貴重だった。……廃仏毀釈と神仏習合がなければ、もここにこれほど頼る必要もなかったのだけれど。

 神景会本部の建物は、日本の古いお寺のような見た目をしている。しかしそれに反して室内は真っ白に統一され、華美な装飾が施されていた。この差は思わず眼を見張るものがあり、否応なしに神の存在を肯定させてくるので、恐ろしい。

「まもなく龍禅院様のお部屋にお通しします。皆さんゆったりしていってくださいね」

 通された応接間は高い天井から燦々と日光が降り注ぎ、白い壁を柔らかく照らしている。絹張りの真っ白なソファに出された紅茶を零しそうで、手が震えた。

「透子ちゃん、大丈夫?」

「う、この持ち方が、マナーだもん」

「……無理しなくていいから、両手で持って。誰も怒らないよ」

 高田さんがこそっと耳打ちしてくれるけど、なんとなく恥ずかしくて、意地を張る。ゆっくりと近づけて、なんとか飲んだ。

「……あっつ!!」

 思わず取りこぼしてしまったカップを、さっと彼が支えた。手元にはハンカチ。う、すみません。高田さんは本当に器用で気が利く。……彼の手袋が、びちゃびちゃになってしまった。

「……透子ちゃん、大丈夫だよ。大人でもそこまでのマナーは気にしてないから」

「そ、そうかな」

「うん、ひとまず置いておきなよ」

 私はおとなしくソーサーに紅茶を置いた。……いや、冷静になってみれば、そんな今無理に紅茶を飲む必要なんてなかった。緊張してたのかな。

「龍禅院様の御仕度ができたそうです。皆様どうぞこちらに」

 白い女信者が私たちを奥に手招いた。彼女の顔はやはり暖かな笑みを浮かべている。私はその目をみていると、なんだか取り込まれてしまうような思い込みに襲われて、とっさに目を合わせないようにして奥に入った。


 信者が下がると、奥では龍禅院さんがお茶を注いでいた。白無垢に似た着物の中から、黒々とした枯れ枝のような腕が覗き、丁寧に茶葉を蒸らしている。

「あら、孝平さんはお留守?」

 こうへい、とは根崎さんの下の名前だ。あの人に孝行の「孝」とは、面白いことを言うものだと常々思ってしまう。

 骸骨に人の皮を貼り付けたような顔が振り返る。その風貌に反して爛々と輝く両目からは死の気配は一切感じなかった。

「お久しぶりです龍禅院さん」

「ええ、ええ、おかえりなさい、善輝さん、透子ちゃん」

 ちなみに高田さんの下の名前はよしきだ。

 龍禅院さんはくすくすと笑う。開いた扇子で口元を隠し、所作の一つ一つに気品が溢れている。そう、一見すればとっても上品なおばさまなのだ……。

 最後の信者が恭しく礼をして部屋を出た。彼女がもし、龍禅院さんの本性を知ったらどう思うのだろう。傷つくだろうか、あるいは破門するだろうか……手玉に取られて、駒として使われるような気がしなくもない。

 信者が十分遠ざかったくらいの頃合いで、白い蝶のような扇がぱちん、と閉じられた。この部屋は完全防音だと前に言っていたと思うが、相変わらず用心深い。

「で、用件はなんだい」

 節くれだった腕と足を控えることもなく晒して、彼女は書き物机の側の豪勢な椅子に座った。龍禅院こと谷原香織は、自らの姉、谷原花枝を教主とした巨大新興宗教団体「神景会」の実質的なトップであり、裏を返せば一代で富と権威を手に入れた実力者でもある。その豪胆さは、年老いてなお衰えていない。

「また調査をお願いしたいのです。できれば二、三日中に」

「人使いが荒いねえ、一ヶ月ばかり前にも頼んできてたじゃない」

「それだけ、事態が逼迫し始めているということでもありまして……」

「で、報酬は?」

 この人は本来、お金か、あるいはそれに通ずる交換条件がなければ動いてはくれない。その分の交換条件として「目を瞑って」いるはずなのだが。

「ん? 払うのかい? 払わないのかい? 金がないなら、体で払うかい?」

 おっと、小学生が聞いちゃいけないタイプの会話だ。

「……僕の立場、わかってておっしゃってますよね?」

「別にどうとでもなるだろう、そこんところ、で、どうなんだい?」

「……断れると、思います?」

「つっまんない男だねえお前は、あの蛇蝎男の方がよっぽどいい」

 お? かなり早めに終わったな、よしよし。彼女はタバコに火をつけると面白くなさそうにそれを吹かした。根崎さんが吸う安っぽいタバコではなく、どうやら高級そうな細身の葉巻だ。儲けてるなあ。

「ま、わかったよ。こっちで調べておく。代わりにあの件、火消しを頼むよ」

「わかりました、いつもすみません」

「思ってもないこと言うんじゃないよ。とっとと行っておくれ。調査結果は、メールで送るから、あ、ラインでもいいよ」

 扇子と同じモチーフのスマホケースに彩られたアイフォーンが、袖から取り出された。両手打ち派か、しかも結構早い。「これQR」と差し出すのが、一瞬女子高生っぽく見えたので、私は大きく頭を振った。ないない、大丈夫か私。




回されたたらいの中身


「はい、お待たせしました白井さん」

 男は無言で立ち上がった。なかなかの好青年で、もう少し髪が乱れて、疲れ果てたような顔をしていなければさぞモテるだろうにという風貌をしている。ちなみに私はパソコンの隙間から様子を見ていた。こんなところにスーツ着た小学生がいたら不自然だからね。

「ここは…ここはどういった所なんですか……」

 彼は不安そうに周囲を見渡した。確かにここは、他の部署とも離れていて、歩いてくるだけでもどことなく心細いというか、一苦労だったろう。

「あ、そこからですかぁ、見ての通りの左遷先です、相談も人員も厄介なものの吹き溜まり。科学と法で解決できない厄介な「じんてき」災害専門の部です」

「根崎」

 ケタケタと根崎さんが笑って、高田さんが指摘する間も無くするりとその場を離れてしまった。そういえば、給湯室のお姉さんたちが、根崎さんのことを「ゴキブリの擬人化」と言っていたのを思い出す。ああいう人たちは、時々結構な本質を突くよなあ。

「大変失礼いたしました」

「いや……はあ……でも、なんていうんですかね、人的災害……」

「ようは、なんでも相談室みたいなものなんです。どうぞ楽にしてください」

 白井さんはゆっくりと受付の椅子に腰掛けた。古びた椅子がキイと鳴く。

「正直、半信半疑というか、この目で見るまで、いや、今でも、僕自身、半信半疑なもので……」

 彼は手のひらで顔を覆うと、重く疲れの乗ったため息をふう、と吐いた。

「なるほど、確か、人が突然燃えた、と伺っておりますが」

「ええ……そうなんです……いやでも、僕の、見間違いだったかもしれないな、とも思い始めていて……」

 もう何が何だか……と言いながら、彼は呆然と宙を見つめていた。高田さんは労うように微笑みかける。

「もう少し、詳しくお伺いしても、よろしいですか?」


「そうなんですよ! ほんっと俺、びっくりして、最初はどうなんかな? って思ってたんですけど、二回も見ちゃったから」

 うーん、お見事です高田さん。

 彼の人心掌握術は、正直なかなか真似できるものではないだろう。でも意外だったな、まさか白井さんが重度のアイドルオタクだったとは……。

 さっき、ライブに誘われてたけど、高田さんは断れない人だから、行くんだろうな……私の授業参観とか言って断らせてあげるべき? いやでも、多分、なんだかんだうやむやになる気もする。

「だから俺、オカルトの掲示板とか、色々調べたんですけど、わかんないというかありえないというか……そのことをポロっと警察の人に漏らしたら、ここを紹介されたんですよね」

 人体自然発火、報告の通りだ。彼は自分で自分が狂人になったかのような態度で口を曲げた。もしかしたら、本来は現実主義者なのかもしれない。根崎さんがタバコを吸いに出ていてよかった。でなければ「信じてないのになんで来ちゃったんですかねえ?」みたいなことを言って、また何か面倒なヤブをつついて蛇なり蠍なりを出していたことだろう。

「なるほど」

 そこからさらに高田さんの質問が始まる。

「ふむ、それで、突然燃えた、というのは具体的にどういう状況だったか、説明していただけますか?」

「いや、本当に、目の前でパッと燃え上がったというか、夜勤で、コーヒーを淹れようとしたら、奥にいた三井が突然……」

「服にコンロの火が引火したのでは?」

「火がついたら、普通人は暴れるじゃないですか……あいつ、全身ガンガン燃えてるのに、微動だにしなくて……それで……」

 お役所らしく時々書類も書いてもらいながら。彼はするすると白井さんの話を引き出していく。事前情報との齟齬は特になかった。

「……ありがとうございます。コーヒーでも、いかがですか、少し休憩しましょう」

「ごめんなさい、ありがとうございます」

「私も根掘り葉掘り失礼なことを聞いてしまっているので、申し訳ないです」

 彼は私に目配せした。コーヒーを淹れてきて、と言うことっぽい。もちろん任せてほしい。


「運ぶのは、僕がやるから」

「大丈夫ですか? 腕、痛いんですよね?」

「まあ、なんとかなるよ。ちゃんと一度みてもらったし」

 私は淹れたコーヒーをお盆にセットする。

「別に私は、お母さんだかお父さんについてきて子守されてるって設定で、前に出ちゃってもいいと思うんだけどなあ」

「うーん、子供がいるってだけで、不快に思うお客様もいるからね、やっぱり、極力避けたほうがいいよ。でもありがとね」

 私の頭を硬い手のひらがぽんぽんと叩いて、彼はお盆を持っていった。優しさでやってくれているのはわかるが、背筋の毛が逆立つような恥ずかしさがある。あまり子供扱いされたいわけじゃない時もあるのだ。ただ、されたい気分のこともある。しかしそれを他人に察しろと言うわけにもいかない。でも高田さんはそこの察し力が絶妙で、今はむしろちょっと嬉しかった。うん、嬉しかった。くそう、めんどくさいぞ私。



うさぎのスタンプと一緒に来た


「なぁ、今日の昼メシなんにする?」

「オメーとは食わねぇよ」

 事件があろうとお腹は空く。

「僕はチキン南蛮が食べたいなあ」

「チキン南蛮なんて油の塊じゃねーか」

 油の塊に油かけるとか正気を疑うね、と言いつつ、ぴ、と根崎の手によってボタンは押される。きっと、出てきた券には「チキン南蛮」と書いてあることだろう。捻くれ者ここに極まれり。

 彼は、高田さんの前をわざと邪魔なように通って、閑散とした食堂のカウンターに歩いて行った。人が少ないのは、今が午後三時だからで、決してこの市役所のメニューが人も寄り付かないほど不味いからではない。美味しくもないけど。

「透子ちゃんは何がいい?」

「からあげ定食!」

「それ好きだよね~」

 そう言って彼は私の代わりにボタンに手を乗せてくれる。私はポケットから某シンプルなネコキャラクターの財布を取り出し、五百円玉を入れた。

「高田さんはチキン南蛮?」

「うん」

「払おうか?」

「……」

「あ、いやその、ごめんなさい」

「だ、大丈夫だよ」

 子猫ちゃんのお財布持って私払おうかとは何事だ私よ。いやこれが高田さん相手でよかった。根崎さん相手だったら嫌味百倍で返ってきてたところだ。ううう、なんか最近ミスが多いぞ私。脳がバグってるのかな。

 大人しくカウンターに向かえば、案の定根崎さんがチキン南蛮を運んでいた。

「油の塊なんじゃないの?」

「……俺はこの通りスリムだからいーんだよ」

 スリムというよりは不健康、という言葉を飲み込んだ。

 高田さんに唐揚げ定食のお盆を持ってもらうのは流石に申し訳ないので、えっちらおっちら、がんばってお盆を持つ。おばちゃんが心配してくれたけど、だいじょーぶだいじょーぶ。あ、お味噌汁こぼれた。

「龍禅院さんから調査の連絡来てましたか?」

「あー、来てた来てた」

「結果は?」

「クロだってよ」

 スマホをいじりながら根崎さんは答えた。

「どう考えても、神だってさ」

「……何を調べたって、言ってた?」

 高田さんが根崎さんのスマホを覗き込むようにして隣に座った。

「隣来んなっつってんだろ……あー、一度目の時は自宅だったろ? 同じアパートに信者が一人住んでたらしいんだが、火事にしては家の被害が皆無で、畳すら燃えてなかったんだと、本人があんなになってんのにな。んで、二回目は別の信者が見てた。映像はもちろんない」

 根崎さんはスマホを見ながらチキン南蛮をご飯と一緒に食べる。タレの乗ったマヨネーズが、ぼたっと落ちた。

「それは、なかなか……今時スマホもあるのに、だれも撮ってないってのは、怪しい」

「俺だったら人が燃えてるってだけで面白いから絶対撮るね」

 不謹慎なことと米粒を同時に根崎さんが口から飛ばすので、高田さんはそれを払いつつ聞き返す。

「誰かに殺されかけたっていう可能性は?」

「同じ手口はねーだろ。おまけに二度目は病院内だ、なんでわざわざリスク上げてんだよ、縛りプレイか? 中卒でもわかるわこれくらい」

 人の神経をカリカリと削るような言動を横で受けながらも、高田さんはやっぱり姿勢良くしっかりと座っていた。二人はコンビを組んでずいぶんと長いから、さすが慣れている。

「なるほどね……でも、しっかり検査はした方が良いよね、わかる人たちに見てもらうべきだ」

「あ~? とっとと殺しちゃえばいいだろ、めんどくさい」

 高田さんと私の手が、ピタリと止まった。

「……一般の市民に手をかけるわけにはいかないだろう」

「俺たちは一般人を殺そうが天然記念物仕留めようが、罪に問われないけどな」

 根崎さんはいやらしくニタリと笑った。ヤニで色のついた、別の生き物みたいな歯並びが、彼をより一層おぞましいものとして演出する。

「それは食堂でしちゃいけない話だろ」

「……細けえないちいち」

「ともかく、一度話くらいは聞くべきだ」

「はい了解~わかりましたわかりました。その意見に従います~はい解散~」

 根崎さんは席を立った。心底面倒といった態度に腹はたつが、彼に怒ってもしょうがない。重苦しい空気の中で、彼の不真面目な口笛だけが、空虚に響いていた。


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