所轄の神様にお祈りください

鳴る子

第1話 出来損ないのサラマンダー①

発火


 三井倫太郎が目を覚ますと、気づいたら、ぼう、という音がしていた。目を覚ました時、既に辺り一面はオレンジ色に光り輝き、咄嗟に火事だと思った。体は動かなかった。煙を吸ったせいか、寝起きだからなのか。

 悲鳴をあげることもできないまま、呆然と立ち尽くしている。立っている? まさか、僕は寝ていたはず。

 目線だけ動かすともう既に服に引火している。ただ怖かった。叫んでもがいて暴れまわって、全身に回る炎をなんとか消したかった。でもなぜか、できない。もう筋肉が死んでいるのかもしれない。

 喉の中に水分がない。舌が口内に張り付いて、空気だけがひゅうぅと通っていく。その空気すら熱がこもっていて、じりじりと喉を焼いている。皮膚に張り付いた服が、全身を溶かすのをより早めているようで、硬直した体を振りほどこうともがけないままもがき続ける。いっそ意識がなくなった方が楽だった。いや、むしろここで僕はどうして正気を保ったままでいるのだろう。既に煙か恐怖で意識を失っていてもおかしくはない。

 ぱちん、と背後で音がした。振り返ると部屋の隅に積んであった本が引火している。まずい、と咄嗟に布団を掴んで叩いて消す。もう手に入らない古本ばかりだ、命より大事な蔵書である。

 そこではたと気付く。なんで今、体が動いたんだ? おまけに、部屋の周りは燃えていない。燃えているのは、僕だけだった。これは一体どういう……? 

 ……一瞬我に返ったせいか、全身が痛みと熱を思い出し、また正常な思考がなくなっていく。棒立ちのまま、一歩も動くことができない。ただ……ああ、僕死ぬんだな、そう思うのが精一杯だった。

 ばん、と大きい音がした。何かまた燃えたのだろうか。今度はふり返ることができなかった。

 その音はくぐもっていた。もはや音すら聞こえづらくなっているのか。

「三井!!」

 人の声のようなものが聞こえる。いや、人が来るわけがない、だってこんな時間帯、遅くに人間が……。

「しっかりしろ!! おい三井!!」

 ばっと何かがかけられた。陶器の割れる乾いた音が、耳をつんざいて、そのまま僕は意識を失った。




たらい回しの行き着く先


佐々木side

「人体自然発火ぁ?」

 心底馬鹿馬鹿しいという口調で言うのは、いつも根崎さんだ。

「どーせ煙草かストーブだろ。そんなことで呼び出すんじゃねーよ。こっちだって暇じゃねぇんだ」

 根崎さんはいつもそう言う。彼が忙しそうにしているところは、見たことがないのだけれど。不健康そうな浅黒い肌に、タバコのヤニで黄ばんだガタガタの前歯。分厚い丸メガネは、どう見てもオシャレでかけているとは思えない。この風貌のせいで三、四十代くらいに見られがちなのだが、実は高田さんと同じ、二十一歳である。

「まぁまぁ、そうやって決めてかかることでもないじゃないか。それにこっちに話が来るってことは、ただの事故ってわけでもなさそうだ」

 そしてそれをなだめながら、ニコニコと愛想よく話を聞くのが、高田さん。いつも笑っているせいで、糸目のように思われがちだが、目鼻立ちの整った、端正な美青年である。彼は人の言うことを決して否定しないお人好しなものだから、根崎さんの格好の獲物になりがちだ。

「なんてったってこのご時世珍しい喫煙者様だ。お医者様は値上げなんて屁でもないんだろうよ」

 そう言って根崎さんはポッケの中からぐしゃぐしゃになったタバコを取り出すと、エメラルド色の百円ライターを取り出して、火をつけた。狭い室内に、みるみる紫煙が溜まってゆく。

「お前はどうなんだよ」

 高田さんは人好きのする笑みを浮かべたままだ。根崎さんはその言葉を無視したまま煙を吸った。この人が禁煙という二文字を律儀に守ったことは、私が見てきた中では今のところ一度もない。結婚式だろうが葬式だろうが、構わずぷかぷか煙を吹いている。スプリンクラーを誤作動させても、逆に怒鳴り込んで行って向こうに謝らせ、菓子折りまでもらってきたことがあった。

 高田さんは呆れた様子で「一本だけにしろよ」と言いつつ窓を開ける。

「……さて、話を本題に戻そう。三井倫太郎さん、三十二歳、職業・小児科医。二年前、タバコの不始末によって住んでいた部屋で火災が起き、重傷を負っている。なので今でも全身に火傷の跡がある、と」

「わあ、子供泣いちゃいそう」

「ところがどっこい、全身に包帯を巻いた『ミイラ先生』として、逆に親しまれているらしい」

 私の発言に、高田さんは苦笑いした。そりゃそうか、私、小学三年生だった。子供泣いちゃいそうは、どうも不自然だ。

「子供の方が、案外偏見ないしね~」

 ふんわりと笑うのは渡辺さんだ。

「バカってことだろ」

「……あー、話して、いいか?」

「あ、ごめんね~」

 彼女は我が科唯一にして一番の高嶺の花。最も美しき紅一点……あ、自分を勘定に入れ忘れてた。まあちんちくりんの女子小学生のことは紅に入れずに薄ピンク程度に思っていたっていいだろう。

「オーケイ……今年の一月になって、三井さんは再度火災に巻き込まれた。前回は重症といえど全身がただれた程度で済んだが、今回はさらに重い後遺症が残る見込みだ。良くて指先の麻痺、悪くて腕を切断だろうと」

「死なねーと分からんバカっているんだな、マジで」

「ところが、彼の友人である白井さんの証言によると、二年前の事件の数ヶ月前から、三井さんは既に禁煙し始めていたらしい」

 高田さんは細い眉を寄せて言った。根崎さんとは対照的に姿勢も良く、眉を寄せているだけでも絵になる人だった。

「おいおいたかが「友人」の言うこと真に受けてどーすんだよ。どうせ余罪を軽くしてやりたいとかそういう話だろ」

「目の前で「発火するところを見た」って言ってるんだ、きちんと調査すべきだと思う」

「確かに庇うなら、発火したなんて言わない気がするわ、無理があるもの」

 渡辺さんはペンを顎に当てつつ、そう呟く。なめらかなグロスが、蟲惑する花弁のようだ。

「……はいはい、おまかせしますよ」

 ふう、と吐かれた煙はゆらゆらと舞って根崎さんの視線を覆い隠した。その煙の後ろで、やっぱり高田さんは笑顔だ。こうして渡辺さんと並べてみると、眼福すら感じる。

「それじゃあ神景会の人に、また頼むべきね〜」

「俺は今回は行かねえぞ、あのババアと喋ってるだけでイライラする」

「根崎、失礼だぞ」

「すんませえん、でも何にせよ俺は行かねえ」

 根崎さんはいつも失礼だが、言うことには同意してしまう。基本的にあそこに行くのは、気が滅入るというかなんというか。数少ない協力団体だから、大事にしないとなんだけども。

 高田さんは渡辺さんと調査の割り当てを始めた。今回は渡辺さんが妊娠しているから、高田さんが外に出ることになるだろう。それに根崎さんと渡辺さんより、根崎さんと高田さんがペアになった方が効率がいい。

「なら、今回は俺が行くよ」

「点数稼ぎご苦労様〜」

「根崎さん、言い過ぎですよ、それと、私も行きます」

「ありがとう透子ちゃん」 

 流石に高田さん一人だけに行かせるわけにはいかないからね。

「では、そういうことで」

 なんにせよ、私の役割はひとまずここで終わった。椅子から飛び降りて、全員分の冷蔵庫のお茶でも持ってくることにする。こういうときはただでさえお荷物気味なので、少しでも貢献度は上げておきたい。

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