第7話 街道上のキマイラ

 それは地の底から響くようなうなり声だった。

「ガァッ!」

「うわっ!」

 

 フィリップは本能的に地面に転がった。 

 その上を何かが通り過ぎる。


「で、出たぁー! でやす!」 

 御者が悲鳴をあげた。

 このキャンプ場にいた他の人々も恐怖に満ちた視線をこちらに送っている。


 顔をあげるとそこには確かにヒグマのような巨大な体格、しかし四本足の上にコウモリのような翼、そして頭部はまさしくライオンだった。


「キマイラでやすぅぅ! 錬金術師殿ぉぉー!」

 御者が泣きながら飛びついてくる。

「何とか、何とかしてくださいでやす!」

「そうは言っても戦う力とかないぞ……」


 クルエラはいつのまに移動したのか、すでに馬車の陰に隠れていた。弟子ながら目端の利くタイプである。


 キマイラが咆哮ほうこうをあげた。

 複数の焚火に照らされその黒々とした体毛と、黄金色のたてがみがきらめいた。

 

 ヒグマでも十分脅威だが、どうみてもヒグマよりも敏捷性が高く、何なら飛ぶくらいしそうな生物だ。体高もどうやら2m~3m近いのではないだろうか。


 キマイラがじろりとある人物を睨みつけた。

 翼をひろげ奇声を上げて威嚇する。

 その先には小柄な体格に白金色の髪の毛、そして細身の剣を抜き放ったエレノアが立っていた。


「機関銃でもないと無理そうだ! エレノア! 逃げろ!」

 フィリップが叫ぶ。

「錬金術師殿、下がっておられよ」


 エレノアは細身の剣を両手で握りしめ、半身になって剣身を右後方に下げた。剣道でいう脇構えのような構え方だ。キマイラに怯えることなくさっそうとした姿はなかなか決まっていた。もっとも頬には黒パンの食べかすがついているのがちらりと見えた。


 キマイラは慎重になったのか若干後ずさりして距離をとった。

 剣にひるんだのかもしれない。


 エレノアがぶつぶつと何かつぶやいた。

 それに伴って剣がにぶく光を放ち始めた。


「グゥッ!」

 キマイラがさらに後ずさる。


 エレノアの白金の髪の毛が逆立ち吹いてもいない風にたなびいたように見えた。

「魔物よ、いま下がるなら斬らぬ。退かれよ!」

 エレノアのりんとした声が周囲に響く。ここのところ堕落した勇者・堕勇者だゆうしゃとなっていた彼女とは似ても似つかなかった。


 一瞬迷ったように見えたがキマイラは低い唸り声をあげた。

 瞬間、キマイラは身を沈めた後、ぐるりと反転した。

「ガァッ!」

「うわ」

 そしてよりによって地面に転がって様子を見ていたフィリップと、御者のほうに向かってくる。鋭い牙、大きな腕と鋼鉄の刃物のような爪。

 こんなものに攻撃されたら確実に死ねそうだった。

 その動きはスローモーションのように見えた。

(これは死んだ……いや一度死んだっぽいから二度目か?)

 

 ケラケラ笑うクルエラや黄金のスプーンなど僅かな経験が走馬灯のように駆け巡る。


 もうだめだ!と思った瞬間。突風のようなものを感じた。

 そしてドサッドサッと重いものが二つ地面に落ちる音がした。


「ん……?」

 キマイラの気配が消えた。

 おそるおそる目をあける。


「ひええー! でやす!」

 フィリップにしがみついていた御者が悲鳴をあげた。

 フィリップの左右に奇麗に胴のあたりから両断されたキマイラが転がっていた。


 そこから5mは離れた位置にエレノアが立っていた。

「ふぅー……危ないところでしたな……」

「先生、大丈夫ですかぁ?」

 ひょい、とクルエラが戻ってきた。


「あ、あぁ……」

堕勇者だゆうしゃ……じゃなかったエレノアさんがユニークスキル使って倒したみたいですねぇ」


エレノアが胸を張った。

「これが唯一の取り柄でな」

「つまり……?」

「風の刃を飛ばしてあのキマイラを倒したみたいですよぅ」

「な、なるほど……?」


 まだピンとはこないが、よくよく聞いてみるとエレノアは剣に風の力をまとわせ、それを刃にかえて10m離れたキマイラを両断したらしい。

 そのキマイラはパキパキと分解しつつあり、何かの結晶に変わっていっていた。赤く半透明の鉱石がばらばらと地面に落ちる。


「結晶化が始まりやしたね……助かったぁ」

 御者がへたりこむ。

「結晶化……?」

(魔王が操ったり作り出した魔物は、赤いクリスタルに変わるというか戻るんですよ)

 クルエラが耳元でささやく。

(そうなんだ……)


「それにしても助かったよ、ありがとう」

 フィリップは気を取り直してエレノアにお礼を言った。

 エレノアはさらに胸をそらす。


「護衛の任は十分に果たせたようだな」

「食費はちょっと多めですけどぉ」クルエラがケラケラと笑った。


「いや本当に助かったでやす……ちょっと夜で心配でやすが他にも魔物がいないとも限らないでやす、先に進みませんか? もう少し我慢すれば宿場町もあるでやすよ」

 御者が言う。


 確かにここを離れたほうが安全かもしれなかった。

 クルエラがひょい、と赤いクリスタルを回収する。


「それ触っても大丈夫なやつ?」

 フィリップは思わず聞いてしまう。

「錬金術の良い触媒になるんですよぅ」

「そうなんだ……」


 この世界は分からないことだらけだ。本当に魔物も実在する。

 しかし勇者の免許証を持った人間は確かに強い。そのことがはっきり分かっただけでも大きな収穫だとフィリップは考えていた。


――フィリップの現在の所持金

駅馬車乗車中のため特段変化なし。


銅貨10枚(4000円相当・財布)

銀貨8枚 銅貨10枚 銀貨(68000円相当・クルエラ管理)

一部が黄金色になった小刀




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