アニキとアロハ、親分に散る
夕方の五時過ぎ、いかにもな感じの男二人組みが店にやってきた。先に入ってきたのは、白色のスーツに絨毯みたいな細やかなパーマの男で、テーブル席へつく。続いて入ってきたのが、だぼだぼジーンズにアロハシャツ。カウンター席に座り、大きな声を放った。
「アニキっ。ビールいっときますか」
「おう」
「先にビールや」
「あ、はい、生ですか」
「ビール言うたら瓶やろがっ」
祐介はキリンビールの栓を抜き、コップ二つと共にテーブルのアニキの前に置いた。アニキはタバコをくわえ、アロハがすかさずライターで火をつけ、すぐにビールを一つのコップにだけ注ぐ。
勝手口から外を見れば、歩道を遮るように黒いクラウンが斜めに停まっていた。TV映画の難波金融道のワンシーンのようである。
タバコを胸いっぱいに吸いながら、アニキが壁に貼られたメニュー札をじろじろと睨む。
「すぅーーー、はぁぁぁぁ。ほな、餃子と炒飯や」
と、その瞬間、前に来たことのある二人だと気がついた。そう、炒飯パラパラ問題のあのコンビだ。結局今日も炒飯と餃子ではないか。
チーフはいつもと変わらぬリズムで料理を始める。鉄板の火を上げ、餃子を並べる間に、祐介が冷蔵庫から赤ハム二枚を取り出し、一センチ幅に切り分け、青ネギの刻みを小さなざるに入れる。チーフがガスコンロの下に置いてある炒飯用のフライパンを火にかけ、ラードをたっぷりと入れ、よく馴染んだら油を再び戻す。溶いた生卵をフライパンにいれ、ハムと下味をつけた炒飯をどっさり。祐介が餃子の入った鉄板に水をそそいで蓋をする。
カンカンカンッ。チーフは鍋の中身を数回回転させ、その後、オタマの背で叩くようにして固まったご飯を崩していく。店内に餃子の焼ける香ばしい匂いと、炒飯の玉子とラードのまろやかな香りが広がっていく。
この間、聞き耳を立てずとも、大きな声で話す二人の会話の内容はやっぱりでかい。
「アニキッ、駅前の福島組にガサが入りよったらしいですわ。駅向うの江島組との抗争が騒がしゅうなってきましたでぇ。わしらは見てるだけでよろしんでっか」
「あほぅ、そんなちっぽけな組の喧嘩に顔を出してる暇はあらへん。そんなことより今度の襲名式の会場は決まったんかい」
「へぇ、大阪のロイヤルプラザホテルの大広間でええんちゃうかと若が言うてましたんで。今週の土曜日、会合があるんでその時に全部決まると思います」
「おぅ、わかった。会合はどこでするんや」
「え、新大阪のすかいらーくですわ」
炒飯が出来上がった。炒飯は単品とかスープ系のものと一緒に頼まれていないときは、小椀にスープを入れて出すことになっている。炒飯にレンゲ一つを載せて、ミニスープと共にアニキの前に出した。
「炒飯、おまっとぅさんです」
するとアニキは何も言わず、足をかぱっと開き、犬のように荒々しく、でもおいしそうに炒飯を食べるのであった。そして、くちゃくちゃと音をたてて食べるうち、次は餃子が焼きあがり、タレ用の皿を一つだけだした。アロハはビールを注ぐだけで、今日は何も食べないようである。
少したってからカウンターでこちらに背を向けて座っていたアロハが、がばっとチーフのほうへ振り向きこう言った。
「おぅ、この餃子ぼろぼろやないか。皮がめくれて中が出てきとるぞ。もっとちゃんと包まれへんのかい」
チーフはちらっと見て「はぁ、えらいすんまへ~ん」と特に相手にしない。
すると今度はアニキが噛み付いた。
「すんませんやあらへんがなっ。中華屋のくせして餃子もちゃんと包まれへんのか」
チーフはロンピーを片手に、片方の眉毛を上げてこう言い返す。
「ほなもう一人前焼きまひょか」
「はぁ、それは店の奢りかい」
「いや、なんも悪いことしてへんのやから奢りやあれへん」
「なんやとっ」
この二人はとにかく言いがかりをつけたくてしょうがないようである。今までの例から言ってチーフは絶対に引かない。祐介は不安になった。もし、揉め事になったらとりあえずパチンコ屋まで走れば誰かいるか、などとその後のことを考えていた。
と、その瞬間、暖簾がめくれて突然風が入ってきた。
カラカラカラ……。
ゆっくりと開く扉の向こうには、なんと龍神会の親分が立っていた。月に一、二回のペースで、必ず一時間ほど前に予約の電話を入れてから来店するのだが、この日はたまたまか、珍しく電話なしでのご来店であった。
親分は瞬時にその異様な空気を読み取ったのか、一歩入ったところでじっと立ち止まっている。年齢は六〇歳代半ばくらい。肩に上着をかけ、下は白いシャツ姿。髪はやや薄いが全体に跳ね上がっていて、映画「ダーティハリー」みたいなサングラスをかけている。
とその直後、先まで威勢を放っていたアロハとアニキが、椅子から転げ落ちるようにして直立不動となり「うぉっす」と水差し鳥みたいに頭を下げた。すると、親分は彼らの前をゆっくりと歩いて奥のテーブルへ向かい、そのすぐ後ろから芸人キムニーを大柄にしたようないつものお付役の男が入ってきた。大きなキムニーは入口に立ち、二人をじろっと睨んだかと思うと今度は親分がくるっと振り向き、低い声でこう言った。
「おのれらここで何をさらしとるんやっ」
「はっ、えろうすんませんです」
すると大きなキムニーが目が覚めるような図太い声で恫喝し、祐介とチーフも背筋がピッーン。
「うらぁっ。おのれらみたいんが来るところやないんじゃボケっ。はよどっか失せいっ」
「はいっ、えろうすんませんでした」
二人は血相を変えて直立したまま何度もお辞儀をして、逃げるようにして外へ出て行った。奇跡のナイスタイミング。
親分がサングラスを取り、チーフのほうを見る。
サングラスを取った親分の素顔を見たのは初めてだ。想像通りの細く鋭い目つきで、きりりと吊りあがった眉はどうやら刺青のようである。
「えろう悪かったね、この通りですわ、わしのほうから謝るさかい許したって。あの子らは隣の鈴木組のもんでね、物事の分別をつけられへんねん。まだまだ世間知らずということで大目に見たって。お代はわしが払うよって、ほんますんまへんなぁ」
「すんまへん」と、大きなキムニーも頭を下げる。
「いやいや、親分さんに頭下げてもらったらこっちが困りますわ。そんな無理なこと言われたわけやないし、うちは大丈夫ですから」
毒を以て毒を制すとはまさにこのことだ。この人たちの世界を称賛するわけではないが、親分といい若頭のガッちゃんといい、正直龍神会の存在は様々な場面で魔除けとなっているのは事実だ。そう考えると、付き合いの正月の門松一〇万円は喜捨のようなもの。下手な寺院へ寄進するより、よっぽど現実的で御利益があるような。
親分たちはいつものように生ビールと骨付きの唐揚げ、餃子、そして親分特製の鶏の辛子炒めなどを注文してくれた。鶏の辛し炒めという料理があるが、これは豆板醤ベースの味付けのため基本的に辛い。それをさらに辛くしたものが親分の好みなのである。
厨房ではチーフが骨付きもも肉に、醤油、片栗粉、水、溶き卵、ごま油を混ぜている。祐介は鉄板に餃子二人前を並べた後、辛子炒め用の鶏肉を準備。
使うのはムネ肉のみ。四、五センチの大きさにスライスし、塩少々、片栗粉、水、わずかな卵で衣付けする。その後、野菜の支度。ピーマン、しいたけ、白菜を斜め切りにし、青ネギの白い部分は縦に半分に切ってから五センチ幅にカット。あらかじめボイルしておいたニンジンと水煮のヤングコーン二本も笊の中に入れ、最後にニンニク半分を包丁で潰す。チーフが骨付き唐揚げと辛子炒め用の鶏の天ぷらをたっぷりのラードの中に入れる。パチパチパチ。餃子に水。ジュワッ~。
そして特製辛子炒めに取り掛かる。フライパンを火にかけラードを一度たっぷりと入れてから戻す。そこに豆板醤を小さじ一ほどだろうか、いつもの倍。チリチリチリ。すぐにニンニクを加え、香りが立ったらほかの野菜をすべて入れる。醤油、塩、胡椒、うま味調味料少々をてきぱきと。チャッーーーーー。
ムネ肉は火の通りが早い。隣で祐介がムネ肉のみをざるに取り出す。チーフは野菜に鶏ガラスープを加え、お玉で少し掬い取ってサッと味見して、もう少しだけ豆板醤を足し、ざっとかき混ぜたら水溶き片栗粉を桑てとろみをつけ、そこに鶏の天ぷら、ごま油をひとたらししてかき混ぜたら出来上がり。通常の辛子炒めよりも赤い親分特製鶏の辛子炒めの完成だ。
祐介は辛子炒めにレンゲを一つ挿し、取り皿四つと餃子の小皿二枚と共に向かい合って座るお二人の間に差し出した。
「おまっとぅさんです」
厨房へ戻るとチーフが骨付き唐揚げをすべてざるに掬い上げ、オタマの背でパンパンッと叩いていく。割り目を入れることで、中まで熱が入りやすくなるようにしているのだ。この骨付き唐揚げもとても人気があった。表面はガリガリ、中身はしっとり、肉汁ボタボタ。某ファストフードのそれをカリカリの衣にしたような感覚である。割り目を入れて再度揚げるので少し時間を要するのだ。そうこうしているうちにいい香りがしてきた。餃子の出来上がりだ。
餃子を持っていくと同時に生ビールのお代わりも。数分後、骨付き唐揚げが出来上がった。何度見ても確かにおいしそうである。
親分さんたちは食事中しゃべることは殆どない。そして必ず、親分が大きなキムニーに料理をよそうのである。ご自身がたくさん食べられないだけかもしれないが、それはまるで親が子にするような雰囲気なのであった。食事のとり方もとてもきれいで、必ず残さず平らげ、最後に一服するのだった。吸っていたいたのは細長くてこげ茶色のジョーカーというタバコ。チョコレートのような甘い香りが特徴的だ。それを吸い終えたらお勘定である。無駄話などをしてだらだらとすることはあり得ない。
電卓で計算するとざっと四千円ほど。金額を告げると、親分はさっと一万円を差し出して「ほい、これ先の分も。足るか」と言ってきた。
「え、足り過ぎます。お釣りがありますっ」
「いや、釣りはいらんから」
「いやいや、それは困ります」
そう言うと大きなキムニーが遮った。
「ええから。ほな、ごちそうさん」
「おおきに、ありがとうございます」
先までのじめッと湿った空気はどこへやら。スピーカーからはテレサ・テンの「時の流れに身をまかせ」が流れ、店内に澄み切った空気が流れていた。
カタギじゃない人を英雄視するのは違うとわかっていても、やっぱり格好良すぎる。このように町は清濁を併せ持ちながら、微妙なバランスで保たれていた。
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