常に違う手仕事の味
道山のようにどんどん没落していく人がいるかと思うと、いつ会っても変わらずクールで格好いい常連客もいる。中井だ。年の頃は四〇代半ば。体系はやや太り気味で一七〇センチあるかないか。髪は短めでいつもぴちっとかためている。言葉は関東のアクセントで、とても品のある人だ。無駄なことは一切しゃべらないから謎が多い。わかっていることは、当時全国に名を轟かせていた某有名持ち帰り専門寿司店本部のえらいさんだったことだ。
時間帯にかかわらず、決まって一人でやってきて、何品かを組み合わせて注文する。通常の客、特に男性は毎回同じものを頼むことが多いのだが、中井は毎回内容が変わる。肉団子の甘酢、うずらのうま煮、鶏の辛し炒め、エビチリなど。夜遅く来られる時はキリンの瓶ビールを必ず注文し、叉焼や鶏天などをつまみにして、最後にワンタンとチャーハンとか、酢豚とラーメンなどと、とにかくバランス感がある。
ある夜、いつものように遅めの時間に、中井がやってきた。簾をくぐり、まずチーフの顔を見てニコッと笑顔を見せる。そして席につくやいなや壁の札をスピーディに端から端まで眺め、はきはきとした口調で注文。
「う~ん、ニラレバと餃子二つ。あとビールっ」
その後、店で唯一真面目な読み物、毎日新聞をテーブルの上に大きく広げ、机に肘を突いて紙面に集中する。背筋をぴんと伸ばし、指をぺろっとなめてページをめくり、また右上から目を丸くしてぐいぐいと読み込んでいく。
ゴオオ―――ッ。チーフが換気扇のスイッチを入れた。直後にレバーを入れて、バチバチバチッと激しく水分がはじける。十秒もしないうちに音は静かになり、今度はフライパンからニンニクと醤油の香ばしいにおいが湧き上がってくる。
祐介が中井に声をかけた。
「あのぅ、中井さんって確か○○寿司にお勤めなんですよね。持ち帰り専門なんてすごいアイデアですね。あんな高級な世界を、若い主婦がマクドナルドへ行くみたいな感覚でお寿司を注文できてしまうんですから。全国に凄い勢いで店が増えてるみたいですやん」
当時、寿司屋といえば品書きはなく、暖簾だけが揺れているという店構えがお決まりで、いまのような回転寿司は大阪の街中にはあったが決してポピュラーな存在ではなかった。持ち帰り専門寿司にいたっては中井が勤める企業以外は見たことがない。
「一応その手軽さが売りなわけだけど、まだまだ問題だらけで大変だよ。せっかくお客は来てくれてるのに、店によっては一〇分以上も待たせちゃったりするから」
「しかし、それでも文句言わずに待つんですね。大阪の人間なんて絶対に待たれへんはずやのに。なんか不思議な世界です。ところで寿司は作りおきしておくんですか。それとも注文してから握るとか」
「基本的には作りおき、と言いたいところだけど、実際にはすぐになくなっちゃうから追いかけて握っていかなきゃならない。各店に必ず一人は社員が入って、寿司は彼らが作ることになってんだけど、シャリを握るのはまずロボットからなんだよ。こいつがいまいち遅くて仕事にならない。だからいまそれを改良してる最中なんだよね」
「へぇっ~ロボットが握ってるんですか。スターウォーズに出てくるロボットが板前になってるとか」
「じゃなくってなんの飾りも色気もないつまんない形をした機械だよ。一応シャリを軽くまとめるっていうレベルで、仕上げはやっぱり人間がやんなきゃならないし」
「おもしろそうです」
「ほんとにそう思うの。じゃあ一度見においでよ。興味持ってもらえると俺も嬉しいや」
数日後の白昼、中井が書いてくれたメモの場所へ出かけた。そこは『北京飯店』から車で十五分ほどのところ。トラックなどが出入りするような大工場をイメージしていたのだがまったく違い、住宅街の片隅のわずか五坪ほどの小さな工場だった。聞けば、普段は本部の大きな工場にいることが多いそうだが、最近は機械のテストやセッティングのために、こちらの小さな工場に来ているのだという。
中井は、頭まですっぽりと囲んだ真っ白のポリエステル製のつなぎ服を着ていた。マスクを取り、いつもの中井の笑顔が見えた。
「おぅ、来たね。一応、ここに同じような服があるから、これ着てもらえるかな」
二人して黒子ならぬ白子状態である。
中へ入ると、すぐに台下冷蔵庫の上にそれらしき機械が置かれてあった。
「こんな餅つき機みたいな感じだったんですね。想像以上に小さい」
「そうそう、まず動かしてみるね。ちょっと見ててよ」
ウィーン、ウィーン……。
下にあるお皿の上に、シャリが乗って出てきた。皿は直系四十センチ程度の丸い形をしており、音と同時に少し回ってシャリが一つのっかっている。
「一つとって食べてみて」
「うわっ、崩れそうで崩れない。奇麗な形をしていますね。あ、甘酸っぱくておいしい。すごいっ」
「これがまだまだなんだよ。職人技には到底及ばない。シャリもちょっと締りが緩いから、人が握りなおさなきゃならない。まぁ、ネタを載せる作業は最初から人の手ありきなんだけどね」
中井は冷蔵庫を開け、マグロが入った真空パックを取り出す。すでにカットされている。
「まずはシャリを左手に載せて、右手でネタを一枚取って、ほらこうして軽く握ると一応はちゃんとした寿司に見えるでしょ」
シャリを握った左手に、右手の人差し指と中指を重ね、軽く二回抑えるようにした。
「ええっ、今の動きは寿司職人に見えます。おもしろいっ。僕にもやらせてください」
ウィーン、ウィーン。
「お、いいじゃない。それは紛れもない握りずしだよ」
「楽しいっ。僕、寿司屋できるかも」
「そうそう、そんな風に思ってもらえるととりあえずは成功なんだよ。うちはほら、フランチャイズだから、それぞれのオーナーに気に入ってもらえないと店が出せない。寿司職人の世界って何年にもわたって厳しい修行を積まなきゃなんないでしょ。それじゃ人生が終わっちゃうから。でも、これだと、あぁちょっとやってみるか、と気軽に誰でもやれるから。そこがいいところではあるんだけどね」
「それだけではあかんのですか」
「うん、この機械そのものの問題だよ。喜んでくれる人は多いんだけど、機械がついていけてない。ようやく握るスピードが前よりも早くなったのはいいけど、今度は握りの強さが一定しないんだよ。このつまみを回すと早くなるんだけど、シャリが崩れやすいだろ。握る強さも調整できるんだけど、これがなかなかいい具合にかみ合わないんだよね」
操作ダイヤルがいくつか並び、「早い⇔遅い」とか「シャリ 柔らかさ 硬い⇔柔らかい」、「大きい⇔小さい」などと書かれている。
「まぁどっちにしても最終的には人間が、シャリの上に魚を置いて一度ぎゅっと握るわけだからちょっとは固められるんだけど、それだとやっぱり職人技には叶わないって話に戻ってきちゃう。寿司ってのは、ある程度ふんわりとしていて、でも、しっかりとまとまっている、というのが一番おいしく感じるんだよ。なかなか難しいでしょ」
もう一度シャリを触ってみる。
「確かにふわっとしているけど、がしっと掴むと固まりすぎますね。職人気分で調子に乗ってぎゅっぎゅっとやりすぎると、全部カチカチの寿司になってしまう」
「これが意外に難しいんだ。さらにワサビも手でつけないといけない。これだって個人差あるよね。みんなが同じようにできるかって言うと、問題ありだよ」
「でも、握り盛合せが五〇〇円くらいなんでしょ。寿司屋で注文したら二〇〇〇円くらいのもんがそんな安いねんから、もう十分すぎるくらい十分やと思います」
「まぁね。でも、人間ってどんどん欲が出てくるから。先回りして開発しておかないとさ。とりあえず現段階でこれは、ご飯の量は絶対間違えない、というだけのロボットって感じだね」
「ふふふ、いざこの機械と共に仕事したら、すぐ飽きてくるんでしょうね。一日中やるとなるとごっつ退屈になりそうな」
「そりゃ退屈でたまんないよぉ。だから俺だってわざわざ『北京飯店』へいくんじゃない。『北京飯店』は色んなメニューがあるだろう。それに同じものを頼んでも毎回どこかが少し違う。俺が言うのもなんだけどさ、最近はどこで食べても同じような味の店ばっかりじゃん。ラーメンとか牛丼とか。商売的に考えたら仕方ないけど、同じものを食べても同じ味が二度とないってのが俺は好きだなぁ。それこそが手仕事の魅力なんだと思うよ。職人技は微差があってなんぼ。だからまた食べに行っちゃうんだねぇ」
小汚くて狭い『北京飯店』で修行している自分が少しばかり誇らしく思えた。
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