わざとパラパラにしとるんじゃ

『北京飯店』の客層は実に幅広い。中には額や頬に傷があるようなスジの人もいた。


 地元には二つの組があって、ひとつは古くからある龍神会で、こちらの親分がよく舎弟を連れて店に来ていた。もう一つの鈴木組は流れ者が多くて何かと荒っぽい。双方の組は所属している幹が同じなので相応の交流はあったようだが、とりあえず地元民からすれば同じ組でも、出来が良いのと悪いのと暗黙の区別が確かにあった。


 前者の面々はだいたい来る時間やパターンが決まっていて、チーフが慕っていた例のライオネル・リッチーの若頭ガッちゃんは週に一回昼の二時か二時半頃に一人でやってくる。そして親分は月に一回か二回夜に限っていて、来店する一時間前に舎弟から予約の電話が入る。たまにお孫さんを連れて賑やかな食卓になることもあった。


 が、後者の組の者は得体が知れず、いかにもな連中が忘れた頃にぶらりとやってくるのであった。そして、こういうのは総じて変な時間にやってくる。


 ある日の夕方五時前のこと。祐介が出前の皿下げから帰ってくると、なんだかチーフの様子がおかしい。いつもは元気に声をかけてくるのに、ぼそぼそとつぶやいただけでフライパンの中の油に浮かぶ酢豚用の豚の天ぷらを睨みながらオタマでかき混ぜ続けている。顎の下に何重ものしわが出来るほど口をぎゅっと閉じている。


 不思議に思った瞬間、カウンターに違和感を感じた。見るとスジ丸出しの若い男が二人座っているではないか。一人はシルバーのテカテカのスーツを着た男で、もう一人は白い半そでシャツ姿で腕から刺青が見えている。彼らは椅子を二つあけてカウンターを牛耳るような格好で食事をしていた。帰ってきた祐介をちらっと見てから、大きな声で会話をはじめる。なにやら、仲間の誰それが何千万円の利益を上げたとか、次回の会合は超一流ホテルでやれそうだとか、内容もいちいちでかい。伝票を見ると三五〇円のラーメンと五五〇円の炒飯だけである。


 それにしてもこんなチンピラなら見慣れているはずなのに、チーフのご機嫌が異様なまでに斜めなのはなぜなのか。揚げ物の油を今にでも撒き散らしそうな殺気に満ちていた。


 祐介は何事もなかったかのように、いつものように裏の倉庫からいくつかのキャベツを取ってきて、作業台の上に並べてみじん切りのルーティーンワークをこなす。そして数分が経ち、二人の男がすくっと立ちあがった。


「おい、なんぼや」


 祐介は客席側に回り伝票をもう一度確認する。


「ええっとラーメンと炒飯で九〇〇円になります」


 するとスーツ男がうつむいたまま「おぅ、一緒や」と言ってしわしわの千円札を取り出した。


「はい、千円お預かりで一〇〇円のおかえしです。おおきにまいど」


 二人は爪楊枝を咥えながら、暖簾を掻き分け颯爽と出て行った。扉の隙間からイナイチを行きかう車の音が響いてくる。二人の姿が遠ざかるの確認してから祐介は扉を閉めなおして、どばっと吹き出してしまった。


「せこいっ。あれは鈴木組の新人やろか。漫画見てるみたいやったですねぇ」


 するとチーフがやれやれといった表情でため息をつく。


「ほ~んましょうもない連中や。むかつくでぇ。あいつら入ってきて、いきなりカウンターの上に足のせよったんや」


「ええっー、こんな狭いところでよう足載せれたもんですね。堅気の中華屋になんでそんな偉そうに」


「エナメルの光る白い靴やった。でな、その後がまた腹たつ。炒飯を食ってたテカテカスーツおったやろ。あいつが炒飯パラパラやないかって声を荒げよるんや。わしは、わざわざパラパラに仕上げとるんじゃと言い返したった」


「げげっ、パラパラなんがええのに。チーフもよう言い返しますわ」


「あいつはパラパラのうまさがわかってない。わしがそう言うたらその後何も言いよらん。あぁ、思い出したらまた腹がたってきた」


「それで張り詰めた空気やったんですね。でもチーフ、これ見てください。炒飯一粒残さず平らげてますよ。あのパラパラ炒飯を蓮華だけで残さず食べるのはなかなか器用なお兄さんですね。ラーメンも汁一滴残ってません。実はうまくて幸せやったんとちゃいますか。素直にご馳走さん言うて帰ったらええのにね」


「ほんまチンピラめ。ややこしゅうなったら嫌やから、それ以上なんも言わんかった。ひょっとしたら親分んとこの連中やったら気を使うし」


「しかし、そうだとしたら礼儀知らずですね。一発、ガッちゃんにたれこんどいたほうがええのとちゃいますか」


「いや、ガッちゃんにそんな下らん話は申し訳ない。逆に迷惑をかけてしまうかもわからんし。もうええ、忘れよう」


 チーフはそう言って、いつものように勝手口に片足をかけて、ロンピーをふかしながらバス停のほうへと目をやった。


 ちなみにガッちゃんは身長が一八〇センチほどあって、同じライオネル・リッチーでも機嫌が悪いライオネルな顔つきなので、どこからどう見てもやばい人である。だのに、チーフのみならず町の人々から慕われているところがあった。


 以前「パーラー171」で起こったある事件が大きなきっかけとなっている。それは店の店員と客の誰かがグルになってイカサマをやっていることが発覚した際に起こった。


 そのイカサマとは、客が玉が詰まったと店員を呼び出し、台の扉を開け、玉をわんさかと入れさせるという、あまりにも幼稚でしょぼい悪巧みだ。そいつらはしょっちゅうその動作を繰り返していたようで、多くの人が現場を目撃していた。


 その現場をたまたま見たある客が「それはイカサマやろ」と指摘し、二人対一人で激しい口論になったという。そして、少し離れたところでパチンコをしていたガッちゃんがいきなり立ち上がり、つかつかと歩いていって何も言わずに店員を殴り、その店員が吹っ飛ぶようにして通路に倒れ、騒動が一瞬にして治まったという。スジの人がけち臭い悪党をやっつけてしまった、という珍事件。以来、特にパチンコ屋に入り浸っている者のあいだで、「さすがのガッちゃん」「実は格好いいガッちゃん」「任侠ガッちゃん」などと英雄視する人が増えたのだった。


 そんなガッちゃんもこのパラパラ炒飯を愛していた一人だ。


 実はこのパラパラが難しい。祐介は何度もトライしてきたが、どうしてもチーフが作る炒飯のような食感にならないのだ。それだけじゃない、香りや味も違う。もちろん、いれる調味料も鍋もすべて同じだ。


 バイト時代からの苦手料理であり、いまだにチーフと同じように出来たためしがない。その理由が何なのか、わからないからこそ脅威なのである。


 なぜ、うまくできないのか、あらためて問うてみる。するとチーフは下味をつけて一度炒めてある冷えた炒飯を手に取りこう言う。


「片山君、この米粒を見てみ。炊き立てとは違って乾いてるやろ。一度しっかりと炒めて冷ましてるから、この粒の中に味と油が凝縮されとるんや。仕上げは温めてるだけでええ。ただし、強火でさっと。あんまりいじくったらあかん。いかに触らんようにして混ぜるか。それでパラパラになる」


 チーフがその冷め切ったチャーハンを指で摘まんで口に入れた。祐介も真似て口に入れる。すると乾いていて硬いのだが、噛み締めるほどに内側から旨みが滲み出てくる。


「あともう一つ難しいのが、僕がやるとべたついて味がすっきりとしないことです。強火なんですけどね。混ぜ方が悪いのかな」


「なんやろな。わしが見てもどこもおかしなところは見当たらんのやけど」


 炒飯を混ぜる際はオタマの背側を使う。ぽんぽんと叩くようにして、冷えて固まったご飯を崩していく感じだ。ここで押し付けすぎると米がベタベタとしてしまう。かといってほぐし足らないと温度や味、食感にばらつきが出てしまう。米の細胞を潰さず、なおかつ均一にばらさなければならない。たかが仕上げであるが、これは炒飯の生命線である。べたついたものとパラパラとしたものでは、いくら下味をうまくつけていても、香りや味わい深さがまったく違ってくる。


 理論的に考えているうちはまだまだ。スポーツのように身体での理解が不可欠である。シンプルなものほど難しい、ということを祐介はこの頃から強く感じるようになっていた。

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