チーフの餃子は食べる造形芸術

 午後一時半頃。昼のラッシュが一段落して、ルーティーンである一番人気メニューの餃子の仕込みに入る。今日はチーフと二人でキャベツをザクザク、ザクザクザク……。


「片山君、餃子って中華やってるもんやったら誰でもできると思ってるやろう。けど実際はそうでもないんやで。片山君は高一の時からできてた。そんな十五や十六の若いもんがぱっとできてまうなんてちょっと珍しい話なんや」


「前もチーフそんなこと言うてはりましたね。でも、僕には実感がなくて。餃子ができへん中華屋さんはどうしてはるんですか」


「そういう店は工場に頼むんや。お金を払ったら自分の好みに合わせてくれる。中には技を持ってても、しんどいとか忙しいとかで外注してる店もけっこうある」


「へぇ、そんなもんですか。お客さんはみんなその店の手造りやと信じて食べてるでしょうね」


「まぁな、確かに餃子は手間暇がかかるねん。せやから仮に店の手造りでも殆どはミキサーで餡(餃子の中身)を作ってる。しかもそういう店は殆どが白菜を山ほど混ぜてるか、でんぷん類を添加してる。なんやったらキャベツを入れてない。そのほうがはるかに安く上がるから。そういう餃子はだいたい歯応えがないんや。で、うまみを加えようとして使い古しのラードや旨み調味料をどっさり入れる。食べたときにジュワッと脂が染み出てくるやろ」


「ほんならキャベツだけとか、全部手切りというのは珍しいんですね。これ、確かに大変。ミキサーを使う方法があると聞いてしまうとそれでやってまおうと思ってしまいますね。なんでキャベツの手切りをやり続けるんですか」


「それは歯応えや。食べるときにザクザクとしたら気持ちええやろ。それにキャベツは噛むとじんわりとした甘みが出てきよる。胃腸の健康にもええし。せやからうまみがあるのに何個でも食べとうなるんや。これが旨み調味料やラードでは重たくて気持ち悪うなってしまう」


「キャベツってすごいんですね。キャベツは潰すのではなく、刃を立てて細かく切らなあかんのもその歯応えのためなんですね」


「そう。中華包丁は重たいから、下手に切ると野菜の繊維を潰してしまうわけや。そうなると、ほら、保管してたら何度か水がボタボタ漏れてたことあったやろ。ああなったらもう歯応えもうまみもなくなってしまう」


 祐介が高一でまだ仕事をはじめて間なしの頃、キャベツのみじん切りを冷蔵庫で保管していたら、その日の晩に水が滴り落ちていたことが何度かあった。その際チーフは、キャベツはみじんに潰すのではなく、細かく切るのだといって、その切り方をして見せたことがあった。それを見て以来、祐介は潰すのではなく、切ることを意識するようになったのだ。


 チーフから教わった餃子用キャベツのみじん切りはこうである。


 まず天側と地側で二等分にし、餃子には地側を使用する。天側は大きな笊に入れておき揚げ物などに添えるケン切りとする。地側をまな板の上に並べ、端から中華包丁で幅五ミリ程度に切っていく。この際、格好つけて早くトントントンとやってはならない。そういう場合は、だいたいにおいて同じところに何度も包丁を落としていたり、寸前に切ったものの上を何度も叩くことになり、結果的に断面が潰れてしまうのだ。また刃先がしっかりとまな板に着地していない確率も高い。少々粗くとも、確実に毎回刃をキャベツにあてて、同じ幅同じ長さでしっかりとまな板に着地するように切り続けることが大事なのだ。


 これが終わると、縦に切ったそれを今度は横に向けて、再び五ミリ幅にザクザクザクと切る。そして最終的に、左手でキャベツを寄せながら、タンタンタンと適当に乱れ切りにするのだが、これもあまりやりすぎると水分が出てしまうので、音を聞きながらいいころ合いを見計らって手を止める。


 この作業は、ぱっと見にはとても単純に見えるのだが、実はけっこう難しい。糸のように細くて長い、ケン切りのほうがよっぽど楽で簡単である。


 キャベツの次はニンニクの皮むきだ。これは餃子に限らず、料理の殆どに使うため、週に二回のルーティン作業である。三〇分ほど水に浸けておいた大量のニンニクの皮を剥きまくる。ヘタの部分にペティナイフで切れ目を入れ、そこを引っ張るとぺろっと簡単にはがれる。


 次にショウガの皮をとる。ニンニクと共におろし金でおろし、直系五〇、六〇センチほどの大きなステンレス製ボウルの中に入れる。


 ここにタマネギとニラ、青ねぎのみじん切り、豚の挽肉、醤油、塩、コショウ、ラード少々、ごま油、片栗粉を少し入れて粘りが出るまで練り込む。最後に山盛りのキャベツのみじん切りを加えるのだが、ここからは掌を大きく開いて、ざっくりと混ぜ合わせる。キャベツを加えてからも力を入れて練り込んでしまうと、時間と共にうまみをたっぷりと含んだ水分が流出してしまうからである。


 店一番人気の餃子のおいしさの秘密は、たかがされど、キャベツとその切り方にあった。


 餃子の餡ができたら包み作業に入る。包んだ餃子はチーフが言う「バット」に載せていく。ここでのバットとは、両端に三センチほどの側板のついた四十五センチ×三十センチの木製の板のこと。ここに片栗粉を撒き、餃子を並べていく。


 チーフのリズミカルでスピーディ、そして美しい包み作業には到底かなわない。さっと左の手の平に餃子の皮を広げたかと思うと、右手のステンレス製サジで掬った餡を皮の真ん中にべたっと塗りつけ、両手の指できゅっきゅっきゅっと五回摘む。この時、中に空気が入ると焼き上げの際に穴が開きやすくなるのでできるだけぴっちりと綴じる。


 皮を左手に取ってから包み終える時間は一個で四、五秒か。早いだけでなく、何個包んでも同じ形をしている。祐介はチーフの倍の時間を要し、形もやや不安定。チーフが包むその美しい湾曲のフォルムに見蕩れるばかりだ。チーフの餃子は食べる造形芸術なのだ。


「夜は餃子何人前なってるかな」


 餃子は店売りだけでなく、出前や持ち帰りも毎日必ず入る。


「ええっと、今のところ出前のみで四人前だけですね」


「ほな七、八人前多めに包んどこうか」


 包む量は日によってまちまちだが、一回の仕込みで最低でも三〇〇個以上、バット四、五枚分だ。一人前が八個入りなので約四〇人前といったところだ。たまに宴会の出前やテイクアウトなどがある時は別に二〇~三〇人前を作ることもある。それほどでもないときは、餡が残れば上から新聞紙をかけ、コーラの冷蔵庫の中にまた保管しておく。


「よっしゃ、たまには餃子でも食べよう。片山君、いま包んだ餃子二人前焼いてみ」


 今まで幾度となく焼いてきた餃子だが、あらためてチーフが見てくれる。餃子は専用の鉄板で焼く。内寸が二五センチ×三〇センチほどの鉄の箱が二つ連なり、四本の棒バーナーがついた業務用のものである。常に四つの種火がついたままで、注文数に応じて一~四つのバルブをコントロールする。


 左二つのバルブを全開にし、ラードをひとたらし。三〇秒ほどして餃子を十六個並べ、しばらくそのまま焼く。カチカチと焼ける小さな音が聞こえてきたら、水を加えてすぐに蓋をする。ジュッワ―――。


 蒸し焼き状態にするため蓋は絶対に開けない。焼き上げ時間は鉄板のコンディションが毎回違うので感覚が頼りだ。目安は音と香りである。焼きはじめに立ち上がっていた蒸気はだんだんと鎮静し、前半は「パチパチ」、後に「チクチク」という細かい音にかわり、最後にこんがりとした香りが漂ってきたら、それが完成サイン。


 蓋を開けると膨らんでいた餃子の皮がしゅっと縮み、中の具がわずかに透き通って見えた。すかさず、羽子板を曲げたような形のステンレス製のヘラを滑らせて餃子を掬い取り、皿に盛り付ける。


「片山君、完璧や。油や片栗粉やのうて、わずかな油だけでカリッと焼き上げるのがこの餃子の特徴や。なんも言うことあらへんで。ほな、あとラーメンも食べよ」


「うわぁよかった。今までチーフの見よう見まねでやってきたことやからちょっと不安でした」


 この後、チーフがラーメンを作る。店では、ストレートの中細と一度蒸してある太麺の二種類の麺があり、前者は通常の麺類に、後者はちゃんぽんや焼きそば、揚げソバ用である。


 丼鉢に醤油と塩、ニンニク、ショウガ、うま味調味料と唐辛子が少々、酢、砂糖で仕立ててある元ダレを入れて、清んだ鶏ガラスープを注ぐ。そこにゆで上げた麺を加えて、菜箸で一度引き上げて畳むようにして入れなおす。そして叉焼一枚、湯通ししたモヤシ、刻んだ青ねぎ少々を入れて完成。


 チーフは餃子のタレに、さらに酢を同量足し、餃子を一つ口に運んだ。


「お、うまいな」


「ほんまですね。作りたての餃子が一番うまいかも。確かにキャベツの歯応えがあって、ラードや豚肉とは違う優しい甘みがじんわりとでてくる」


 餃子とラーメンを食べ終えたチーフと僕は、ご飯に残りの清湯スープをかけてお茶漬けのようにしてかきこむ。


 黄金色の澄んだ鶏ガラスープがたまらない。一見、薄味のように思われがちだが、このスープだと毎日でも飲める。鶏のさらっとしたうまみと香り、わずかな塩気は、いわば中華のおすましだ。


「おー、腹いっぱいや。そろそろ三時やから休憩しておいでや」


「いや、もうバイクレース辞めたからパチンコンも卒業しました。皿下げあるんやったら行ってきます。なけりゃ餃子の折箱とタレでも入れときますけど」


「そうか、ほなやっといて。わし車でちょっと寝てくるわ」


 餃子は持ち帰りの注文もかなり多い。そのために必要不可欠なのが、この折箱とタレだ。真っ赤な折箱は上部に中華料理と書かれ、内側が銀色でピカピカと光った耐水耐油性のもの。大中小の各サイズがあり、それぞれ餃子を二人前、三人前、四人前入れることができる。平たい状態の折箱を、手作業で一つ一つ形成していくのだ。


 午後三時過ぎ。一人で折箱を組み立てていると、ふと有線から流れてくるモノラル音楽が新鮮に聞こえた。


「な~ぎさのバルコニーで待ってて♪やーがて朝が。霧のぉヴェールでふたりを~つつみこむわ♬」


 今から四年前の高校三年の時、よく聞いた曲である。友人、彼女、バイクレースなど様々な記憶が頭の中に甦る。わずか九ミリリットルのタレを一つ一つ詰めながら、あの頃の自分がなぜあんなに生き急いでいたのかと不思議で仕方がなかった。

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