バイクレーサー就職希望

 夏休みが終わり、祐介は二学期からちゃんと授業に出席した。『スナック・ワラカス』で約束したとおり、留年も退学もすることなく、何がなんでも卒業せねばならない。


 そして、いよいよ就職先も決めなければならない時期に来ている。早い者はすでに一学期から準備しているようだったが祐介は何にもしていない。就職相談室なるものが用意されていて、そこで教師に相談して決めるという流れである。ある日、遅れに遅れて相談室を訪ねた。


「おお、片山やないか。お前が来るのを待ってたんや。ようやく働く気になってくれたか。さて、どんな仕事をしたい。どんなことでも応援する用意があるから安心しなさい」


 その教師は普段は化学の専門で、顔は合わせたことはあるが個人的に話したことは殆どない。


「はい、それではどんな仕事に就きたいんや。どこか目指している会社はあるのか」


「会社はよくわからないんですけど…、僕、バイクレーサーになりたいと思ってるんですよ。いま必死でバイトしたりサーキット行ったりしてます。小さなレースにもちょいちょい出て。どうしたらなれるんですかね」


 するとその先生はとたんに眉間にしわを寄せ、顔を紅潮させた。


「おまえ本気か。そんな夢物語は無理に決まってるやないか」


「なんでっ。現にその世界で生きている人たちが何人もいてるから。いま、俺の将来のためならどこまでも応援するって言うたんちゃうのっ」


「そりゃ言うたけどもバイクレーサーと言われてもなぁ。そんな就職先聞いたことがない。いい加減なことばかり言わんと真面目に考えろ」


「そんな。どんな用意もあると言うから人が正直に言ってみたのに、結局なんもあらへんがな。大したことないな、先生も」


 教師はさらに激高した。


「なんやとうらぁっ。お前がおかしなことばかり言うから困ってるやないか。こっちにはこの通り、無数の企業から案内がきとるんや。その中からなぜ選ぼうとしない」


「ふん、所詮その中から選ばせようとしてるだけやないか。それとも、それ全部先生が集めたんか、違うやろ。上から預かったファイルをただペラペラとやってるだけやったら、俺でもできるわい。いかにも自分が探してきたみたいに言うな」


 すると、教師はその一〇センチもあろうかという分厚いファイルを思い切りテーブルに叩きつけた。


「お前なんかはよ出ていけっ。うらぁっ」


 この一言で祐介は退室。こういうやり取りになることは目に見えていた。一刻も早く学校を去りたかった。しかし、チーフ、スナックの三好さん夫婦、友達、彼女、そして母親のことを思うとここはなんとか乗り越えなければならない。


 どうしたものかと考えあぐねていると数日後、一年のときの担任から呼び出しがかかる。家のこと、友達のことに最も耳を傾けてくれた、祐介が学校で唯一信頼を置いていた男性教師である。


「あの教師は最低や。口では俺のことを考えてる風に言ってるけど、実際には自分のことしか考えてない。どこでもええから早く就職を決めさせたがってる感じバレバレやわ」


「そうやな。実は私もあの先生のこと苦手でね。あの先生は糖尿病を患っていて、精神状態にもすごく影響がでるようでその分確かに斑があるんだよ。でも、どんなに体調が悪くても毎日毎日一生懸命頑張っておられる。教師だって人間だから、正直無理してしまってることも多々ある。自分の心身の言うことがきかないのに、生徒の就職先を決めようとしているわけだね。俺からも謝るよ。悪かったな、片山」


 まさかの一言に祐介は絶句してしまった。

 その教師に謝られてしまうと、就職相談にいかないわけにはいかない。後日、祐介は再度相談室へ行くことにした。


 祐介が就職相談担当の教師に謝ると、その教師も謝った。こうして再び就職先について話し合い、最終的に薦められたのがかの大企業、日生自動車であった。こちらで営業と整備の各部門の募集があり、その教師は整備のほうを勧めてくれたので、あれよあれよで入社試験の申込をしてしまったのである。


 すると後日、あることが発覚する。なんと田所も日生自動車を受けるというではないか。彼は営業部門にトライするという。


 不安でいっぱいだった祐介だが、田所の一言で少しやる気が出てきた。

 このことを母親に話すととても喜んだ。そしてチーフにも話す。


「ほほぅ、片山君と田所君はほんまに縁があるんやな。ええ道やと思うで」


「でもひとつ気がかりなのがレースが出来るかどうか。就職担当のその教師が、整備士を選べばレースくらいできるんじゃないか、なんて曖昧なことを言ってごまかすんよ」


「それはええ加減な話やな。しかしバイクレースなんぞどこへいってもやってないのとちゃうか。そういうのんはたぶん静岡か三重か、そのあたりのバイクのメーカーにでも行かなあかんのとちゃうか。まぁ若いんやし、バイクレースはもう趣味でええがな」


「そんなチーフまで。僕が本気でバイクレーサーになりたくて頑張ってるの知ってるくせに。現にこの世にバイクレーサーが存在してるんやから絶対に何か道があると思うんですよ」


「そうやな、確かに。ただ片山君、この際言うとくけど君には料理の世界があっとると思うで。いや、その気がないことは知っとる。聞くだけ聞いといて。それが中華か他の料理かわからんけども、あの包丁使いや鍋の使い方は間違いなく料理の才能をもっとる。普通の人はあの大きくて重たい包丁は扱えんへんぞ。餃子も簡単やと思ってるやろうけど、あれは三年修業してもできへんやつはできへん。それを片山君は見よう見真似で高校一年の時にできてしもた」


「料理? 嘘でしょ」


「嘘やない。味覚も鋭いし神経が繊細や。リズム感もある。でもまぁ、この辺でやめとこう。わしが余計なことを言うと混乱してしまうやろから。せっかく高校へ行ったんやからそれを無駄にしたらアカン。整備士もきっと向いてるはず。田所君とがんばり」


 しばらくしてから就職試験の時期になった。内容は面接と筆記試験だ。会社は祐介の家から片道一時間ほどかかる大阪市福島区にあった。田所と祐介の二人で出かけ、帰りも同じ。電車の中で二人して試験にうまく対応できなかったことを嘆いた。


 後日、日生自動車から試験結果の連絡が来る。結果は田所だけが受かった。祐介は田所の家庭環境をよく知っていたので、これでようやく独立して平和に暮らすことが出来ると思うとすごく嬉しく思った。が、自分のことを思うと情けなく、悔しくもあった。


 結果が出てから再び学校の相談室へ行き次の就職先を案内してもらう。


「おおっ、片山にぴったりのがあったぞ。これええんやないか。今度はマスダや。立派な会社やぞ~」


「で、バイクレースは」


「もうお前もしつこいやつやな~。ちょっと聞いてくるから待ちなさい」


 教師は一度退室し、五分ほどして戻ってきた。


「う~ん、今電話してみたら、なにやら以前はレースチームがあったらしいけど、今はどうかよくわからないそうな。会社でやっているのではなく、社員たちが勝手にやってるクラブなんやってよ。しかも、それは四輪らしい。でも、二輪のクラブを自分で立ち上げたらどうですか、なんて話してたわ」


「そんなことできるんかいな」


「そりゃお前の頑張り次第や。バイクレースも夢やない」


 隣町という近さを理由に、とりあえず試験を受けることにした。そして、こちらは面接だけで簡単に内定を得ることができた。前者とは比較にならない規模だが一応就職先が決まったことで、田所と酒を交わし、母親も一安心。チーフにもその旨を報告する。


 祐介は将来に何の希望も感じられず、ただただ不安で一杯だった。

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