働く理由と仲間たち

 祐介が初めて『北京飯店』を知ったのは高校に入学して三ヵ月ほど経った頃だった。中学の同級生である空本博文が勤めだしたのがきっかけだ。空本は中学一年生の二学期からパンチパーマ姿となり、風邪でもないのに常時マスク着用。刺しゅう入りの長ラン(丈の長い学ラン)にボンタン(とび職人が着るような膨らんだズボン)がユニフォーム。得意技は喧嘩とバイクとシンナーという、混じりっけなしの純度一〇〇パーセントの不良少年であった。


 一方の祐介は真面目な筋肉マン。髪型はスポーツ刈り、胸囲一〇〇センチ、水泳部の部長を務めるなどスポーツ一色の中学時代を過ごし、空本とは接点がないはずなのに不思議と気が合った。


 そして高校入学三か月後、空本が教師も巻き込んで乱闘騒ぎを起こしてしまい、退学処分となり、母親の知人であったチーフに拾ってもらったというわけである。


「学校をクビになって中華屋に就職した」と空本から電話をもらい、さっそく顔を出してみると彼が「鶏の天ぷら」を勧めてくる。斑のない鮮やかな黄色で、さくさくと、そしてしっとりとした衣。真綿のような柔らかで真っ白な鶏の身からは透明な肉汁が滴り、不思議な香りのする塩(山椒入りの塩)をつけると、鶏の天ぷらはおろか、白いご飯、キャベツの千切り、串型に切られたトマトまでもが格別においしく感じられるのであった。


 唐揚げではなく「天ぷら」という言葉の響きにも魅力を感じた。中華は一〇〇%唐揚げと思っていたが、チーフに理由を聞くと「唐揚げはがりがり。天ぷらはさくさく」などとよくわからない返事であったが、とにかくおいしい料理でどんな客も喜ばせてしまうチーフがとてつもなく格好良く思えたのだった。


 あの美味すぎる鶏の天ぷらをまた食べたい。その一心で祐介は、日課の駅前喫茶店『ピアザ』での麻雀やポーカーの賭けゲーム機、同じく駅前のパチンコ屋により一層通うようになる。ガソリン代、日々の喫茶店代、タバコ代、酒代、そして鶏の天ぷら六〇〇円とご飯大盛り二〇〇円が固定経費に加わった。


 が、空本が勤めだして半年ほど経ったある日のこと。「料理よりやっぱりバイクのほうが楽しいわい」と、あっけなく近所の市場の中にあったバイクショップに転職してしまう。そこでチーフが祐介に声をかけたのである。


「片山君、お母さんも心配してるから、どうや、うちでバイトしてみるか」


 こうして高一の三学期からめでたく『北京飯店』で働くことになったのだ。


 が、一目ぼれした鶏の天ぷらにはなかなかありつけず。なんとチーフは大の麺とニラ好きだった。まかないの殆どはニララーメンか肉味噌ラーメン。さらに鶏肉は想像以上に特別な素材だったこともありつけない理由だった。毎朝、問屋が運んでくる丸鳥を捌いて、部位ごとに切り分けた新鮮なもので、数が限られているからすぐに売り切れてしまうのである。


 やがて祐介はレストランの皿洗い、そば屋のウェイター、酒屋の配達などとバイトを複数掛け持ちしだし、高校二年生の夏、町の中心から離れていた『北京飯店』が不便に思えて辞めてしまう。が、店にはしばしば顔を出していた。


 そして高校三年生になり、周囲が大学入学か就職を真面目に考えだした頃、祐介がバイクレーサーになるのだと言い出したのである。バイクレースへの興味は空本の影響が大きかった。


 祐介と空本、二人の共通点は家に団欒がなかったことだ。祐介の父親は祐介が中学二年の時に急逝。電機メーカーに勤めており、超多忙とストレス過多による過労死であった。悲しみを癒す間もなく母親は身を粉にして働きだし、三歳年上の兄はミュージシャンになるのだといって家を出て行ってしまう。グレることはなかったが、家の中で自分以外の誰かの声を聞くことはなかった。


 一方の空本も四人家族なのだが、母親が保険レディをやりながらお父さん以外に男をすぐに作ってしまうようなどうしようもない女。父親は真面目で無口すぎるサラリーマンで、毎夕六時に確実に帰宅する。あと聡明で可愛い妹が一人いたが、子供の頃から大人のような自立した感じで距離を感じる子だった。


 他にも三人の仲間がいた。五人組の中心人物が浅賀健。同じ中学の同級生で、天然の赤毛に彫りの深い顔は西洋人とのハーフのよう。空本や祐介とは正反対の性格で、常に冷静沈着で頭脳的。中学の校内暴力の走りの時代で、他所の中学とはもちろん、一般市民まで巻き込む事件も多発し社会問題となっていた。が、彼は他の中学も含め連合会を立ち上げ、見事に統治してしまったという、©とても中学生とは思えない天性の政治力の持ち主である。そのうえ決して驕ることも粋がることもないため、おのずと周囲から番長として崇められる存在になった。浅賀は中学卒業前から家を出て彼女と同棲を始め、卒業と同時に溶接工場に勤めだし、一八歳で独立起業し二十歳で一億円企業に成長。ビジネスマンとしてもずば抜けた才能の持ち主である。


 四人目は新谷はじめ。祐介と同じ水泳部だが、とにかく練習をしない。それなのに水泳競技の中で最も過酷と言われる中長距離が大阪府下で毎年トップ一〇に入るほどの天才スイマーである。一人っ子で危機感が薄く常に締りのない表情をしているので、人一倍攻撃的でせっかちな空本からしばしば突かれる存在であった。


 そしてもう一人が田所義男。他の四人とは違う隣町の中学の出だが、彼もまた中学時代は水泳部で祐介のライバルでもあり、同じ高校の同級生でもあった。


 この五人で夜になるとどこかで肩を寄せ合い、人生について語り合える家族同然の仲だった。


 その中で空本と祐介は他の三人よりも特にバイク好き。レースへと進化していったのは、浅賀健の三歳年上の兄、洋一の存在が大きい。洋一はすでに二年前からレースにのめり込んでいた。彼は大阪北部一帯を仕切っていた巨大暴走族の元総長。が、悪質な犯罪には一切興味がなく、ある意味純粋過ぎる、ストレート過ぎる性分の人。


 そんな洋一がレースの世界に魅了されたのは、暴走族時代の一番下っ端だった者が、トップレーサーとして日本中に名を馳せていたことが大きな要因だ。「あのヘタレでトップになれるなら」というわけである。持ち前の集中力と爆発力で、全国各地のトップレーサーとどんどん顔見知りになり、着実にレース順位を上げている最中だった。空本と祐介はその後を追うように続いたというわけである。


 しかし、レースに参加するには想像を絶するコストがかかる。ライセンスの取得、専用のバイクの購入、特殊な有鉛ガソリン、スリックタイヤやその他諸々の部品やオイルなど毎回新調しなければならないものも無数にあり、その上バイクを運ぶための車、サーキットまでの交通費、遠征中の食費などともう際限がない。


 空本は勤めるバイクショップからある程度のサポートを受けていたが、祐介は普通の高校生なので、一般的なアルバイトに精を出すのはもちろん、より効率のいい資金稼ぎをする必要があった。その一つがパチンコや賭博だったのである。


 だが、レースに没頭するほどに、日頃の整備やサーキットのある鈴鹿や岡山などへの遠征が増えていく。何かもっといい稼ぎ方はないかと思案しているところに、ある時『北京飯店』のパートのおばさんが辞めることに。そこで今度は、サーキットへ行く際は休ませてもらうという都合のいい条件であらためてお世話になることになったのだ。こうして二度目の『北京飯店』バイト生活が始まったのである。

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