裏町で最も賑やかな場所

 まかないを食べ終え、キャベツのみじん切りに戻ろうとしたらチーフが言った。


「もう三時頃やろ。休憩しておいで。ほんで帰りに田中はんところの皿引き上げてきて」


 田中はんというのはパチンコ屋の従業員で、しばしば出前を取ってくれる常連客だ。パチンコ屋の二階の寮に住んでいる。

 白衣に白色のゴム長姿のまま祐介はイナイチを西へ二〇〇メートルほど歩き、パチンコ屋の二階ではなく一階の遊技ホールの中へ入っていった。店の名は「パーラー171」。車の行き交う音が途端に軍艦マーチと煽るマイク放送に入れ替わる。


「さぁっいらっしゃいませ、いらっやしませ、でます、だします、とらせます、今日もじゃんじゃんばりばり、さぁさぁいらっしゃいませ~♪」


 パチンコ玉の音の渦の中を歩いていく祐介。従業員の殆どが顔見知りだ。

「はぁい、いらっしゃい! 北京飯店、今日もがんばりや!」


 客からも声がかかる。

「おぅ、祐介、なんだ休憩か。こっちの台やっていいぞ」


「柳河原さん。まいどです。今日は夜勤明けですか」


「そうだ。でもなかなか出が悪くてなぁ。人がせっかく朝一番から来てるっていうのに。今月はもうかなり凹んじゃってるよ」


 別名パチンコ部長。『北京飯店』で濃度ナンバーワンの常連客である。髪型、顔つき、体系といい、ぴんから兄弟のリードボーカル宮史郎にそっくりだ。柳河原は茨木インターチェンジ近くのピストン製造工場に勤めており、暇さえあれば「パーラー171」に入り浸っていた。


「ちょっと先に店の中ぐるっと周ってきますね」


 柳河原が座っているのは「ギャラクシーダイバー」という機種が並ぶ列である。戦闘機かプロペラ機をモチーフにしていて、①の穴に入ると「ブ~ン」と音がなり中央部の羽が一回開き、②の穴に入ると二回開く。そしてVと書かれた穴に玉が入ると羽が連続して十八回開き、またVの穴に玉が入るとさらに十八回開く。この繰り返しを最大八回まで続けることができる仕掛けだ。数字が揃って一気に終了するデジパチ系ではなく、羽モノ、いわゆる平台である。ローリスク・ローリターンで、長い時間をかけて遊ぶことができる持久戦タイプの機種である。


 パチンコ店というものはだいたいどこも、各列ごとに違う機種を並べているもので、その列ごとに音も雰囲気も、客層も大きく違う。やはり勝負が早くてハイリスク・ハイリターンなデジパチ系の列では、強面の顔つきの人が多く、台を叩いたりして怒っている者の姿もよく見かける。


 今日はひと際顔色が青白い近所の運送会社に勤める運転手、福留。今にでも台をぶっ壊してしまいそう殺気に満ちている。


「福留さんっ、福留さん。顔が危ないですって」


「おいっ片山っ、ほんまこの台でんのや、もう二万つっこんでるんやぞ、むかつくのっ」


「あれ、今日は夜勤ですか」


「おぅ、今晩から走らなあかん。五時頃に食べに行くから焼きそばと餃子一人前作っといてくれっ」


「あ、わかりました。ほどほどにおきばりやす(京都系の関西弁で頑張ってくださいという意味)」


 夏でも黒い長そでセーター姿の地元ヤクザ龍神会の若頭ガッちゃんは、無口な人でいつものように一瞥して軽く頷くだけ。

 ほかにも知った顔がうようよといる。鎌田南町の稼ぎ頭、大仁田社長だ。このあたりでで知らぬ者はいないほど存在感のある自動車販売店の社長だ。ほか、いつもぴちぴちのタイトスカートをはいた保険レディの下島。この人は四〇歳代だがスタイルも顔もとてもきれいな人で、ここで知り合う男たちを続々と保険加入させてしまうことから保険魔女とも呼ばれていた。

 別の平台が並ぶ列へ行くと、しばしば出前をとってくれる団地の主婦、伊藤と目があった。この人はいつもエプロン姿で買い物袋を膝の上に載せながらパチンコをしている。


「あ、にいちゃん、ええところにきたわ。夕方六時までに、ラーメン二つと焼きそば二つ、あと唐揚げももってきてくれるかな。もう子供らがあんたんとこの中華大好きやねん」


「はいな、ラーメンと焼きそば。六時まで、おおきにです」

 胸ポケットからメモとボールペンを取り出し、注文を書きとめ、ギャラクシーダイバーの柳河原のところへ戻った。


「みんなどんなだった。出てたか」


「いやぁみなさん全然です。福留さんなんて完全にキレてました。あのまま行ったら台のガラス割ってしまうんちゃうかなって」


「いや、ほんとシャレなんないよ。今月はまったく出してないんだ。ひどいもんだよ」


「でもみなさん注文してくれはったから『北京飯店』としてはちょっと嬉しいですけど」


「なんだ~また注文とってきたのか。お前は本当ちゃっかりしてるなぁ。早く店の跡取りになれって」


「いやいや、それはないですわ」


 柳河原が回してくれた台には、すでに両手で軽く一杯ほどのパチンコ玉が入っている。お金で言うと三〇〇円分くらいの量だ。本当はこのように台を占領して仲間内で回し合うのは禁止されているのだが、店員と客はお互い大半が顔見知りなので、現実的には見て見ぬふり状態。中には公然と、三、四台を占領するような者もいたほどである。


「その台は俺が朝いちばん打ってたやつで、昼頃までは出てたんだぞ。小箱一杯出して、その辺りからちょっと止まった。で、次にこっちの台を打ちはじめたら、最初は今一つだったけど途中から一気に出て、今また止まっちゃったんだよ。そっちは足がいいけど寄りが悪い。こっちは寄りがいいけど足がいまいち。頑張ればもう一杯くらい出るかもしれないな」


 足とはパチンコ台の下部にある、羽が開くためのポケット①と②のことである。そしてVゾーンに玉が入ると大当たりとなり、羽の内側に効率よく玉が入ることを「寄りがいい」と表現するのだ。

 そうこうしているうちに祐介の台がVに入って羽が連続で開きだした。


「お、柳河原さん、入りましたよ。でも、ほんまや、玉が全然寄ってこんわ。なんじゃこりゃ」


「一番上じゃなくて釘の二番目あたりを狙うといいぞ。玉の流れが変わるから」


「おっとっと、ほんまですね。先より入るようになりました」


 当時の羽モノは、デジパチ系とは違って平台はコンピュータでコントロールされることなく、釘と腕次第で勝てる、と信じられていた。たまに裏側で何かにコントロールされている、という話もあったが真相はよくわからない。ただ、釘の状態がいい台でも、その時々で上り調子と下り調子があることは確かであった。


 気が付けば小箱に半分ほども玉がたまっていた。当時のパチンコは地域や店によって少しずつルールが違い、「パーラー171」では四〇〇〇個で打ち止め終了となり、玉一個のレートが二.五円なので、換金すると約一万円になる。小箱ひとつが約一〇〇〇個入るので、小箱半分はだいたい一二〇〇円から一三〇〇円ほどになる。


 今度は柳河原の台の羽が開きだす。ブーン、ブーン…。


「おお、来ましたね。さすが柳河原さん。今どこまで出てるんですか」


「昼から休憩なしで三箱弱ってところだな」


「ほな、もう少しで終了じゃないですか。早く終ってくれたら僕ができるのに」


「おいおい、調子に乗るなって。今日もお前は軍資金ゼロの丸儲けじゃないか。勝ったらちゃんとコーヒー奢れよ」


「わかってますって。どっちにしろあと一時間で店に戻らなあかんので」


 羽モノは、一時間や一時間半くらいで終了することはまずできない。終了まで到達するには平均三、四時間はかかるもの。


「それはそうと、最近チーフの姿を見なくなったじゃないかよ。前はよく来てたのになんで? 」


「あ、チーフはこの間ブラボー(デジパチ系)かなんかをやって、タバコ二、三本吸っただけで一万円すってしもたとかで、もうアホらしくてやってられんって言ってました。こんなもんに金を捨てるくらいなら、奇麗な女性が入れてくれるコーヒーをお代わりしてるほうがよっぽど幸せや言うて」


「ほんとチーフはいつも女のことしか頭にないなぁ」


「そうなんですよ、さっきもまたバス停に立ってるおねーさんに声かけにいったんですよ。それも口説き文句が、餃子奢るでぇやって。信じられへんでしょ」


「わっはっはっはっ、面白い。それでどうなった」


「どないもこないも。おねーさん、めっちゃ怖がってましたよ。チーフ本気で言うんですわ。うちの餃子はうまいって評判なんやからって」


「それは本当だ。他のどこよりもうまい。それは間違いないけどバス停でバス待ってる人にとっちゃ迷惑でしかないよな」


「そうでしょ。そのくせパチンコはせーへんし酒は飲まんし。チーフはエロおやじなだけで意外にも健全なんです。なんやわけがわかりません」


「でも、『北京飯店』では奇麗な女の人をたまに見かけるよな。だから本気で餃子奢ると言えば喜んでもらえるって思ったんじゃないのか」


「ほんまですね。あれは本気で言うてたんか」


「本気だよ。そういう純なところが、一つ間違えたら女受けがよかったりするんだぞ。チーフって意外にもてるだろ。女はああいうタイプを放っておけないんだ」


「そういえばチーフって、奇麗なおねーさんがやってる喫茶店をよく知ってますね。顔見知りなのか、どこへいっても親しくしゃべってたりするし。ほんま、どうやって探してくるのか」


「適当に入って、またいつものように馴れ馴れしくしゃべってるだけじゃないの」

「あ、そうか。人見知りの逆か。それでバスを待つ人にもすぐ声かけにいってしまうのかもしれませんね。すごい性格ですわ。ところで柳河原さんは彼女作らないんですか。結婚とかは」


「俺が結婚できるわけないだろっ。できるもんだったらしたいって。この顔だぞ」


「これが女の~道ならば~♪」


「バカ、それは宮史郎だって。お前またそれ言ってんの」


「でもこないだ、男は顔やない、生き様や、ってテレビで誰かが言うてましたよ」


「そんなテレビなんか奇麗ごとしか言わないから。現実は生き様なんて誰も外から見ることできないっていうの。顔なんだよ、顔。しいて言えばあとは声だろ。何だって最初で決まるんだって。それでよかったら付き合いが始まって後から生き様が見えてくるんだから」


「ふぅん。そういわれてみればそうですね。やっぱりちゃんと散髪いっとこっと」

「そういうことだ。テレビで言ってることなんか信じちゃいけないぞ。現実を見ていけ、現実を」


「現実か…。日頃から連れに言われまくってる言葉ですわ。あ、そろそろ時間が。柳河原さん、この台ありがとうございました。僕、お先に失礼します」


「おぅ、お疲れさん。今晩も行くからな。よろしくっ」


「はい、待ってます。おきばりやす」


 そういって祐介は少しずつ貯めた山盛りの小箱を手にもってカウンターへ行く。店の外にある換金所(一応は古物商)で換金し、コーヒーを柳河原に差し入れ、すぐにまた外へ出て二階の寮へと向かった。


 店で使っている皿は白い陶器製で周囲に雷門と鳳凰のデザイン入りだが、出前用の皿は無地の薄緑色でメラミン製である。三枚の空き皿を指で挟むようにしてさっと持ち上げると、ちょうどそこに休憩に入ろうとする田中はんが階段を上がってきた。


「うっす、片山君。今日も揚げソバと餃子一人前もってきてくれへんかな。三〇分後が有難い」


「あ、わかりました。今から店戻りますんですぐに。お疲れ様です」


 祐介は皿を片手にイナイチの歩道を東へ戻っていく。「パーラー171」は『北京飯店』にとって、重要なお得意先であり広告広場なのであった。


 店に戻ると、すでにキャベツのみじん切りを終えて、チーフが餃子を包んでいるところだった。


「おかえり~。今日はいくら勝ったんや」


「ええ、三〇〇〇円ほどです。柳河原さんがいい台を回してくて」


「なに、昼間っからまたパチンコかいな。ほんまにジャンキーやのぅ」


「ええ、あの店に柳河原さんの銅像作って置いといたらええんとちゃうかなと思うくらいの皆勤賞ものです。物凄い集中力ですわ。あ、そうそう、また注文くれはりました。福留さんが焼きそばと餃子一人前で五時に店で。あと出前が五時半にまた田中はんで、六時が団地A棟の伊藤さんです。あ、それと柳河原さん今晩も来るからよろしくと」


「ふん、それはわかっとる。それにしても片山君は負けへんな。今月はなんぼになった?」


「そうですね、たぶん五万円くらいかな。パチプロ、いやセミプロくらいやったらなれるかな」


「ふふ、欲を出したら負けるで。不思議やけど賭け事はみんなそんなもんや。今くらいの感じがちょうどええんやて。どうや、今度こそ新品タイヤが買えそうか」


「ええ、今度こそ。もう、ほんまにスリックタイヤ(レース仕様の溝のないタイヤ)て高くて嫌になりますわ。一本一〇〇〇〇円ちょいします。リアタイヤだと一五〇〇〇円くらいですから」


「ま、せいぜいおきばり。さて、田中はんと団地の伊藤さんの出前、両方まとめて作ってしまおか。注文なんやった? 」


「揚げソバ、餃子イーガと、焼きそばとラーメンがリャンガっ、エンザーキ―(骨付き鶏の唐揚げ)イーガっ」


「おっしゃ」

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