爽やか系

「好きです、小山内那奈さん。俺と付き合ってください……!」


 屋上へと続く階段の手前。めったに人が近づかないそこは、大きな窓から陽射しがいっぱいに入り込む。わずかに開いた窓の隙間から爽やかな風が吹き、そこにいた二人の髪をふわりと揺らした。

 少女漫画のワンシーンのごとき、絶好のシチュエーション。どんな女子でも、胸をときめかせずにはいられない。


 しかし、緋色勇也はおもしろくなかった。今回のこの告白は自分がしたわけでも、もちろんされたわけでもない。

 正真正銘の本日の告白相手、小山内那奈はやや困っているようだった。今まで恋愛とも女子力とも無縁で生きてきただけに、はじめての男子の告白に戸惑っているのだろう。

 相手も気の毒だ。きっと那奈の本性を知らなかったに違いない。


 ここは幼馴染である自分が助けてやろうかと、勇也は隠れていた壁からスッと離れた。しかし。


「あの、佐和田さわだくん」


 那奈が口を開き、勇也は再び壁にへばりついた。

 隣のクラスの佐和田そうは、那奈から呼ばれてうれしそうに顔を上げた。だが、那奈は変わらず浮かない顔である。


「わたし、まだ誰かと付き合うとか、そんな気分じゃなくて……」

「うん」

「だから、気持ちはうれしいんだけど、それには応えられないので」

「誰か好きな人がいるの?」


 佐和田は一歩、那奈との距離を縮めた。

 那奈はわずかに顔を赤くさせた。今まで見たことのない表情に、胸に嫌なざわめきが広がる。

 なんなんだ、その可愛い女子みたいな顔は。まるで本当に好きなやつでもいるみたいじゃないか。


「いや、そういうんじゃなくて、その……」

「E組の唯野」

「え?」

「告白断ってたでしょ。それに、D組の川崎」

「う、うん」

「あと、三年の剣道部主将、一年の学年トップ、この前練習試合で来てた他校のバスケ部のエース、それから……」


 衝撃の事実。幼馴染はめちゃくちゃモテていた。






 ショックのせいか、張りついていた壁からわずかに身体がふらつく。そのほんの一瞬で、幼馴染は勇也の存在を感知した。


「あんた、なにやってんのよ」


 あきれ半分、気まずさ半分といった那奈が、ため息をついた。


「ごめん、佐和田くん。うちの幼馴染バカが盗み聞きしてたみたいで」

「聞きたくて聞いたわけじゃないっつの」


 勇也はしぶしぶ答えた。誰が好きこのんで、幼馴染の告白現場に居合わせたいものか。今日はたまたま、次に告白する舞台の下見をしていただけだ。偶然にも佐和田が同じシチュエーションで告白をはじめたにすぎない。

 佐和田がわずかに口元を引きつらせたように見えた。


「緋色、毎回告白するのに下見なんかしてんの……?」

「こういうバカなの」


 那奈はひたいをおさえると、じろりと勇也をにらみつけた。


「用が済んだら教室戻れば? 次に告白する相手も探さなきゃでしょうし」


 皮肉めいた言葉に、こちらもついカチンとくる。とっさに佐和田に向かって、勇也は言った。


「かわいそうに佐和田、こんなガサツで優しさのかけらもないようなやつに騙されて。悪いことは言わないから、こいつはやめとけ。ポテチのファミリーパックを一人で食ったあとに、晩飯三杯おかわりするようなやつだぜ」


 佐和田は面食らったような顔をしたが、すぐに微笑を浮かべた。女子からの人気が高いだけあり、なかなか整った顔をしている。


「いいじゃん、別に。無理なダイエットしている女子より、俺はよっぽど好きだけど」


 フォローにくわえて、再び好きとぶっこんでくるあたり、なかなか強敵だ。勇也は懸命に反論を考えてハッとした。なにを俺はむきになってるんだ?

 佐和田はふと気になったように首をひねった


「緋色と小山内さんは幼馴染なんだっけ? 仲いいんだね。お互いの夕飯事情を知ってるとか」


 勇也は顔をしかめた。


「知ってるもなんも、昨日こいつ俺の部屋でポテチ食ったあと、人のベッドで寝やがって……」

「勇也!」


 那奈がなぜか尖った声で遮ってきた。勇也は口をつぐんだが、佐和田は今度こそ引きつった表情で勇也と那奈を交互に見た。


「小山内さんが、緋色のベッドで……?」


 仮にも好きだと告白した女子が、ほかの男のベッドに寝ていたと言われたら、尋常じゃないショックだろう。思わず同情した勇也は、慰めのつもりで言った。


「いや、寝てたと言っても、やましいことはないぜ? 俺も那奈も、母ちゃんに夕飯だって呼ばれるまでは二人してぐっすりだったし。夜も那奈んとこのおばさんが帰るまでは一緒にいたけど、普通に二人でゲームしてたくらいで、なあ?」


 言えば言うほど、佐和田の顔色が悪くなっていく。反対に隣に立つ那奈は、真っ赤になって震えていた。


「あんた、もういいから黙っててくんない……?」

「だって」

「余計にこじれるから」


 釈然としないながら、勇也は口を閉じた。

 那奈が咳払いをして、再び佐和田に向き直る。


「ほんとにごめん、佐和田くん。だけど、やっぱり今は……」

「いや、いい」


 佐和田が真顔で口を挟んだ。


「確かに俺が抱いてた小山内さんのイメージとはだいぶ違うけど、それは俺だっておんなじだと思うし。うん、人と付き合うってのはつまり、その人の知らなかった一面を受け入れるって意味もあるんだよね、きっと。小山内さんに俺の知らない顔があったって、なにもおかしくないわけで」


 那奈に話しかけるというより、自分に言い聞かせているような口調だった。


「小山内さんの貞操観念は不安だけど、それを引っくるめて受け入れれば……」

「佐和田くん?」


 那奈が呼びかけると、佐和田は「決めた」とつぶやいた。


「俺は小山内さんが、これまで緋色とどんな関係でどんな付き合い方をしてたとしてもかまわない。過去は変えられないけど、これからのことはいくらでも上書きできる」


 意を決したような表情で、佐和田は再び那奈を真剣に見つめた。勇也がすぐそばに突っ立っていることなど、もう覚えてもいないようだ。


「小山内那奈さん、改めて好きです。もう一回俺と付き合うことを、まじめに考えてもらえませんか」


 二度目の告白に、那奈もうっすらと頬を染めた。その反応が、勇也にはおもしろくない。

 佐和田は頭をさげてまっすぐに那奈に片手を差し出した。那奈はどうすべきか迷っているように見えた。


 一瞬、勇也は考えた。

 もし那奈が佐和田と付き合い出したら、これまでのように那奈と過ごすことはまずできない。登下校はバラバラになるだろう。夕食をともにすることも減るに違いない。休日だって、デートが最優先になるはずだ。勇也が那奈といられる時間は、ほぼなくなってしまうのかもしれない。


 想像した瞬間、なぜか背筋がスッと冷たくなった。那奈がいない生活なんて、考えたこともなかった。散々自分は彼女をつくろうと躍起になっていたのに、逆のパターンはまるで予期していなかった。那奈なら自分に彼女ができても隣にいてくれると、根拠のない自信があった。

 だけど、もし、違っていたら──


 気づいたら出されていた佐和田の手を、はたき落としていた。ほとんど無意識だったが、驚く佐和田に向かって、低い声を発した。


「那奈に触んな」


 佐和田が再び固まった。呆然としていた那奈が、信じられないものを見る目つきで、勇也を見る。勇也はその手を握って、さっさとその場から立ち去った。佐和田がどんな顔をしているかもわからなかった。


「ちょ、ちょっと待ってよ、勇也」


 動揺した那奈の声が、必死に呼びかけてくる。


「急にどうしたのよ、あんたらしくもない……。ていうか、さっきのって……」


 教室の前まで来て、勇也は立ち止まって振り返った。まだ戸惑ったような那奈が、赤くなった顔で見つめてくる。


「……那奈」


 名前を呼べば、まだ繋いだままの手がぴくりと動く。それが不思議とうれしかった。安堵のままに口を開く。


「もうあんなやつに騙されんなよ」

「……は?」

「ああいう一見爽やかなやつの方が、よっぽどスケベなこと考えてんだよ。俺がいなけりゃ、放課後にはきっと」


 きっと、なんなのかは続けられなかった。皆まで言わせず、那奈がほどいた腕で思いっきり殴ってきたからだ。


「いってぇ!」

「最悪、スケベはそっちじゃん」


 打って変わって冷ややかな目で、那奈がにらみつけてくる。


「あんなことまで言ったくせに、ほんとバカ」


 憤然とした様子で、那奈は教室へ入っていく。そのうしろ姿を、勇也は首をかしげて見送った。

 あんなこととはなんだろう。そんなにおかしいことは言っていないはずなのに。

 勇也は単に、「触んな」と言っただけだ。「那奈俺のに触んな」と。


「……ん?」


 やっぱりおかしいのか?

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