美魔女系

「好きです、若狭美磨わかさみまさん。俺と付き合ってください……!」


 放課後の保健室。吹き込む風に揺れるカーテン。窓の向こうに広がる茜色の空。消毒液の臭いが気にはなるものの、この際目をつぶろう。目の前で彼女が、その美しい脚を惜しげもなく披露しているのだから。


 美磨は机に向かって書類を書いていたようだが、きちんと振り返って告白の相手と向き合った。赤いルージュをひいた蠱惑的な唇が薄く開く。


「二年C組の緋色勇也くん。そうだったわね」

「はい!」


 名前を呼ばれるだけで高鳴る鼓動をおさえつつ、勇也は前のめりに答えた。


「二年C組出席番号三十四番、緋色勇也です! 好きな食べ物はハンバーガーとチョコチップアイス、チャームポイントは笑顔で、特技は校長のモノマネっす! あ、今披露しますか?」

「また今度の楽しみにしておくわ」


 美磨はにこりと笑うと、組んでいた脚をほどいた。白衣の裾からのぞくむっちりした太ももが白く輝く。

 若狭美磨、この高校の養護教諭。実年齢は知らない。最低でも一回りは上だろう。それでも、絹のごとき滑らかな黒髪も、瑞々しい白肌も、艶めかしい体躯も、女子高生たちと並んでもなにも見劣りがしない。成熟された美しさだった。


「ところで緋色くん」

「は、はい!」

「わたし、きみよりかなり歳上なんだけど」

「愛があれば歳の差なんて!」

「きみも知ってると思うけど、わたしここの教員なのよね」

「はい! 若狭先生にはよくお世話になってます!」

「そうね、きみは残念なことに常連だから」


 美磨はほうっとため息をついた。仕種のひとつひとつが色っぽい。見ているだけで、思わず喉がごくりと鳴る。


「それなら、わたしの答えもわかるわね? もちろんノーよ。養護教諭として、生徒とそういう関係になるつもりは一切ないわ」


 無論、その答えは想定内だ。大人の女性たる彼女が、そう簡単にうなずいてくれるわけがない。

 勇也は思わず美磨の手を握りしめた。


「俺が卒業してからでいいんです! あと一年以上あるけど、俺絶対に後悔させないんで。なんなら指輪を先生に預けてもいいです。今から買ってきましょうか? いやいや大丈夫です、籍を入れるのは俺が大学を出て稼げるようになってからにするつもりなんで、先生は安心して俺の」


 ベシッ。

 勢いのままに語り続けていた勇也の後頭部を、誰かが背後からはたいてきた。同時に氷よりも冷たい声を浴びせられる。


「このむっつりスケベのド変態が」


 その言葉のチョイスだけで、相手が誰なのか想像がつく。勇也は嫌々ながら振り返った。


「那奈、早退したんじゃなかったの?」

「気分悪いから、しばらく休ませてもらってたの。なのにバカな幼馴染のバカな告白が聞こえてきたから」


 言われて見ると、那奈の顔が少し青白い。声もいつもに比べて張りがなかった。なにより、はたかれた時、まったく力が入っていなかった。


 美磨が心配そうに言った。


「大丈夫、小山内さん? もう少しベッドで休んでから帰ってもいいのよ」

「いえ、今日は帰って寝ます。これ以上ここにいてこのバカの話を聞いてる方が、よっぽど身体に障りそう」


 那奈は心底うんざりした様子で頭を振った。美磨も止めようとはしないものの、まだ不安げだった。


「一人で大丈夫かしら。ご自宅に電話する?」

「今日は母も用があっていないんで」

「そう。わたしもさすがに送っていくことはできないし。困ったわね。どこかに具合の悪い女の子を自宅まで安全に送り届けてくれる、心優しくて紳士的な男の子がいればよかったんだけど」


 言いながら美磨は、熱い眼差しをこちらに向けている。できればその瞳は、別の意味で見せてほしかった。

 勇也はしぶしぶ手を上げた。


「俺が送っていきます」






 背中に自分のリュックを背負い、腕に那奈のカバンをぶら下げる。重量がないのはラッキーだった。腕っぷしには自信がない。

 いつもなら悪態のひとつやふたつついている那奈が、今日は異常なほどおとなしく歩いている。よほど具合が悪いのだろうか。

 ふと心配になって、思わず口を開いた。


「あのさ」

「あんたもバカよね」


 同時に那奈がしゃべりはじめた。やはりいつもより覇気がない。


「例のクールな一匹狼を諦めたかと思ったら、次はよりにもよって学校の先生とか。呆れるのを通り越して関わりたくないレベル」

「ほっとけ」


 勇也はムスッとして言い返した。


「俺は運命の相手を職業や年齢で選ぶわけじゃない。好きになった人がたまたま歳上で、たまたま自分の学校の先生だったってだけだよ」

「今回は相手が歳上だからよかったけど、逆だったらあんた犯罪者よ。いつかあんたの顔をニュースで見るんじゃないかって、今から気が気じゃない」

「おい、俺だってそんくらいの倫理観はあるわ」


 さすがに犯罪になるような相手に迫ったりはしない。たぶん。

 勇也は咳払いをした。


「まあ、若狭先生は確かに歳上だ。大人の女性だからな。俺よりも人生経験豊富で、色んな男を知ってると思う。だがしかし、俺はそんな若狭先生の最後の男になりたいと……」

「無理よ」


 熱く語る勇也の言葉を、那奈が力なく遮った。勇也がきょとんとして聞き返す。


「なにが?」

「若狭先生の最後の男になるとか、絶対無理。あんたの手に負えない」

「なんでだよ? 先生がいくら俺より一回り歳上だからって、そんな小さいこと俺は気にしないぜ」

「だから」


 那奈がいらだったように頭をおさえた。


「そもそもその一回りって時点で、あんたは間違ってんの」

「はい?」

「若狭先生は、ああ見えてもう五十を過ぎてんの」


 まさかの発言に、勇也は硬直した。五十? 誰が? あの美女が?


「……へ?」

「あと、娘さんと、わたしたちくらいの孫がいるって。自分も娘さんも早くに結婚したらしいわよ。旦那さんは先生の娘さんがまだ小さかった頃に事故で亡くなって、それ以来ずっと女手ひとつで娘さんを育ててきて」

「ちょちょちょちょっと待て!」


 次々に飛び出す寝耳に水な情報に、勇也はあわててストップをかけた。とてもすぐに消化しきれない。


「先生が五十……? いや、冗談でも笑えねえわ。そりゃおまえ失礼だろ」

「冗談じゃない。先生ここの卒業生だから、当時の写真も残ってるし」

「娘はまだしも孫がいるとか」

「先生のスマホの待受画面、お孫さんの高校入学式の写真だった」

「だ、旦那さんが亡くなってから、ずっと独り身ってのも?」

「手帳に今でも旦那さんからもらった手紙を挟んでるんだってさ。お守り代わりに」


 勇也の悪あがきに、那奈は動じることなくすべてにすらすら答えていく。


「……なんでおまえ、そんな詳しいんだよ」

「有名な話よ。大半の生徒が知ってる」

「俺は知らん」


 那奈ははんと鼻で笑った。


「そりゃあんたは、当時夢中になってる女の子以外に、興味がないからでしょ」


 ぐうの音も出なかった。

 勇也は一度深呼吸をした。


「よし、わかった。俺もバカじゃない。すでに心に決まった人がいて、その相手にはもう敵うすべもないってんじゃどうしようもないな。うん、若狭先生のことはすっぱり諦める。いや、年齢に怖気づいたわけじゃない。そんなやわな想いじゃないぞ。そう、俺は単に、先生を幸せにできる人はもう俺以外にいるのだからと思って──」


 那奈の声がまったく聞こえなくなったことに気づき、勇也は立ち止まった。振り返ると、少しうしろで那奈が青い顔でうずくまっている。勇也は急いで駆けよった。


「那奈、どうした? 大丈夫かよ」

「平気……。勇也、もう先に帰って」

「おまえもバカだろ。こんな状態で置いて帰るわけないじゃん」


 言いながら、勇也は一度持っていたカバンを置き、リュックを前に抱えた。それから那奈に背を向けてかがんだ。


「ん」

「……なに」

「乗れよ。おぶってやるから」

「いいよ、重いから」

「そんなん知ってるわ」


 最後につぶやいた余計な一言にも、那奈はつっこまなかった。ただ、消え入りそうなほど小さな声で、「ありがとう」とつぶやいた。

 那奈を背負って歩くのは、何年ぶりだろう。背中全体に感じる重みとぬくもりに、なぜか落ち着かない気分になる。

 こいつの身体、思ったよりも柔らかいんだな。

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