不思議系
「好きです、
立入禁止で無人の屋上。空には雲がゆっくりたなびく。壁に寄りかかって空を見上げる彼女のなんと絵になることか。可能ならば、このままずっと眺めていたい。
そう考えていた緋色勇也の顔を、彼女はふいに見つめた。屋上への侵入者に、たった今気づいたようだ。先ほどの勇也の告白も、耳に届いていないだろう。
亜理紗は丸く見開いた瞳で勇也を観察したあと、口を開いた。
「きみ、宇宙人?」
「……はい?」
「この学校で屋上に来る人間はめったにいない。でも宇宙人ならきっと、交信のために定期的に来なきゃいけない。わたしずっとそう思ってた」
突飛な話だが、彼女はいたって真剣だった。
勇也は咳払いをした。
「俺は地球人だよ。ここへ来たのは、きみに会いに来たからで」
「わかった、妖精のお使いだ」
亜理紗はすぐさま答えた。
「妖精のお使いは人間に化けることができるって聞いたことある。妖精を信じる人間のところに、願いを叶えに来てくれるって。わたし、これまで三回妖精のお使いに会った。さすがに同じ学校の子に化けてくるのははじめてだね」
「いや、俺は普通の人間で」
「あ、そっか。正体を言っちゃダメなんだよね。ごめんね」
「だ、だから」
「でも、今は特にお願いがなくて……どうしよう」
勇也の否定は耳に届かないようで、亜理紗はぼんやりと宙を眺めた。
「せっかく妖精のお使いが来てくれたんだから、お願いはしなきゃだよね。妖精は普段は優しいけど、お使いをそのまま帰したなんて知られたらすごく怒るだろうし。妖精は純粋で、好意を断られる意味が理解できないから」
うーん、と腕を組んで亜理紗は唸る。やがて腕をほどくと、ぽんと手を打った。
「じゃあ妖精のお使いさんに、ひとつだけお願いするね。わたしのために花束をひとつ用意してくれる?」
「は、花束?」
「そう。大きくなくていいの。でも、見てるだけで元気になるような、そんな花がいいかな。夕方、隣の駅で待ってるから」
そう言うと、亜理紗は弾むような足取りで、聞いたことのないメロディーの鼻唄をうたいながら出ていった。
取り残された勇也は、呆然とつぶやいた。
「花屋ってどこだ」
「パシリかよ」
事情を聞いた幼馴染から、冷たく吐き捨てられた。
「それでマジで渡しにいくの、妖精のお使いさん? 見るだけで元気になれる魔法の花束」
「あそこまで純粋に信じ切られちゃ、やるしかないだろ」
勇也は両手でそっと花束を抱えた。色鮮やかな黄色やオレンジの花を取り入れた、太陽のような花束だった。
那奈が隣でわざとらしくため息をついた。
「だからってわざわざ午後の授業サボる? 人を巻き添えにして」
「別に俺は一人でよかったんだよ。じゃあ那奈も付き添うなんて言うなよ」
「あんたが先生に今すぐ病院にいかないと腹が爆発しそうなくらい痛いって喚くからでしょ!」
さすがに迫真の演技がすぎたようだった。担任は救急車を呼ぶべきか本気で考えていた。唯一那奈だけが、勇也の嘘に気づいていたようだが。
「しかたないじゃん。俺花屋なんていったことないし、どう注文すればいいかもわかんないし」
「妖精の魔法でも使われたらいかが?」
「やめろってば」
勇也が妖精と呼ばれたのがよほどおかしかったのか、那奈は口元を奇妙に歪ませた。
「噂には聞いてたけど、本当に不思議ちゃんなのね。一年生だし、直接しゃべったことないから半信半疑だったけど」
「まあ、それは俺も」
学年が違うこともあり、勇也が彼女の存在を知ったのはここ最近だ。変わった感性を持つ彼女は、同学年ではかなりの有名人だったらしい。勇也たち上級生には、どちらかと言うとその容姿で知られていた。
くるくるしたくせ毛は薄い茶色。瞳は大きく澄んでいて、驚くほど小さな顔はニキビも肌荒れも縁が遠そうだ。長い手足は折れそうなほど細く、儚さもあいまって彼女こそが妖精のようだった。
勇也は、亜理紗の姿を頭に思い浮かべてうっとりとした。
「あんな美少女が一学年下にいるとは思わなかった。間近で見たのははじめてだけど、めっちゃ可愛かった」
「はじめてで告ったの?」
那奈は呆れるよりもドン引きの表情だった。
「確かに可愛いけど、高校生にもなって妖精とかイタくない?」
「わかってないなー、那奈は。そりゃおまえみたいなやつが言ったら頭打ったかって思うけど、あんな可愛い子が言うなら許される。いや、彼女ならなんでも許される。死ねと言っても許され」
「ねーよ」
那奈はバッサリ言い切ると、あたりを見回した。
「で、隣の駅って言ってたけど、本当にここでいいの?」
「いいはずだけど」
勇也は自信なく答える。なにせ数分しか会話していなかっただけに、詳しい待ち合わせはしていない。たぶんあちらは、妖精のお使いなら特定できると考えているのだろう。
「藤木さんはよくこの駅の周辺を歩いてるとは聞いたな」
「どこ情報よ、それ。キモ」
那奈は思いきり顔をしかめた。勇也は聞こえないふりをした。
しかし、駅周辺はお世辞にも栄えているとは言えず、人通りも少ない。あるのは半分近くシャッターが降りた昔ながらの商店街、小さな理髪店、移動販売のパン屋、そして古い病院。
勇也はあっと声をもらした。ふと目を向けた病院の入り口から、亜理紗が出てくるのが見えた。しかも一人じゃない。亜理紗が車イスを押して出てきたのは、四十代くらいの女性だった。母親だろうか。勇也は思わず息を飲んだ。
那奈が早くしろ、と言わんばかりに背中をドンと押した。よろめきながら進み出ると、女性と話していた亜理紗がこちらに気づいた。
「あっ、妖精のお使いさん。来てくれてありがとう」
心から嬉しそうな笑顔に、こちらも癒やされる。思わずほわんとしていると、女性がくすりと笑った。間近で見ると、亜理紗によく似ている。
どぎまぎしつつ花束を差し出すと、亜理紗は大喜びで受け取った。
「わあ、きれいな花束。ね、ママ、言った通りでしょ? 妖精はお花畑をいっぱい知ってるから、妖精のお使いも花探しが得意なの」
「ええ、そうね」
女性は優しく微笑んで娘を撫でると、今度は勇也に申し訳なさそうな表情を見せた。
「ごめんなさいね、うちの娘がわがまま言って」
「い、いや、とんでもないっす」
まさかこの段階で親に引き合わせてもらえるとは。まだ返事ももらってないのに。
緊張からごくりとつばを飲む。乾きかけた唇を無理やりこじ開けて、一気に自分の思いを伝えた。
「あ、あの、僕絶対に、あああ亜理紗さんを幸せにするんで、お義母様にもどうか僕たちの交際を認めてほしいのですが──!」
しかし、母娘はどちらも聞いていなかった。
亜理紗が勇也に背を向けて、車イスの母親と目線を合わせるようにかがむ。それから、勇也が持ってきた花束を、母親の腕にいだかせた。
勇也がぽかんとしていると、亜理紗はそっと母親の手を握った。
「ママ、この花には妖精の魔法がいっぱい詰まってるの。これをお部屋に飾ったら、きっとすぐに退院できるよ」
「それは素敵な魔法だわ」
母親は花束に顔を近づけて、その香りを吸い込んだ。
「とってもきれいでいい香り。なんだか元気になってきたみたい」
「本当?」
「亜理紗のおかげね」
心底幸せそうに笑顔を浮かべる母娘。それを眺めているうちに、自分がここにいてはいけないような気持ちになった。
今は母娘水入らずでいさせてやろう。羽はないので飛べないが、足音を立てぬようそっとうしろに下がる。
勇也が離れても、母娘は気づいていないようだった。あえて声はかけず、那奈が待つ場所まで戻る。那奈は怪訝な顔を向けた。
「帰っちゃって大丈夫なの?」
「ああ。なんかもういいや」
勇也は心が浄化されたような、清々しい気分で言った。
「妖精はお願いを叶えたら、また他の信じる子のところにいかなくちゃ」
那奈は一瞬きょとんとし、次いでくすりと笑った。
「ほんと、そういうところがね」
いつもとは違う表情で囁かれたその言葉は、勇也の耳には届いていなかった。
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