真面目系
「好きです、
時刻は午前七時三十分。誰もいない教室。朝練をはじめたサッカー部の声や、器楽部の演奏がわずかに聞こえてくる。BGMは完璧。さらに、教室の隅に置かれた花瓶にある花が瑞々しく花弁を広げており、水やりをする彼女の姿がなんとも絵になっている。まさに絶好の告白のシチュエーション。新しい青春の一ページに、これほどふさわしい瞬間はあるだろうか。
「えーと、ごめん、なさい?」
振られたが。
「で、失恋の痛手なんて痛い言い訳で保健室でサボってるわけ?」
「うるせえ……」
ベッドの布団を頭からかぶり、その中で丸くなりながら、緋色勇也は精いっぱいの虚勢を張った。
「飯田さんなら絶対……俺のことを……優しく迎え入れてくれると……うぅ」
「逆になんでそんな結論にいたったのか知りたいわ」
ベッドの脇から聞こえる声は、幼馴染の小山内那奈のものだ。失恋したばかりで傷心の勇也を慰めようという気持ちは、相変わらず微塵もないらしい。
「ついこの前まで、あまりん可愛いあまりん最高とか言ってたくせに。それを知ってるから、みんなあんたの好きが信用できないのよ」
確かに、勇也はつい二週間ほど前まで、某学校のアイドルに夢中だった。肝心の本人には気持ちどころか存在すら認識されていなかったが、周囲にはとうに知れ渡っていたようだ。
「俺は脈がないとわかった相手に未練がましく付きまとわないだけだよ。いざ付き合ったら、俺ほど一途に彼女を溺愛する男はなかなかいないぜ」
「蝶子ちゃんにも振られたでしょ、きっぱりと、即答で。未練たらったらじゃん」
那奈は思いきり小バカにしたように言った。
「そもそもなんで妹尾さんから蝶子ちゃんにいったのかがわかんない。あの二人、見た目も性格も正反対なのに」
勇也が以前惚れ込んでいた妹尾甘李は、甘え上手の妹系。対し蝶子はクラス委員を務めているだけあり、先生からの信頼も厚いしっかり者だ。髪も染めてくるくる巻くなんてこともなく、黒髪のストレートロング。ノーメイクながら素肌美人。黒縁メガネの向こうの目は切れ長で、制服もきっちり着こなしている。一見クールなように見えて、クラスメイトを影でこっそりフォローする優しさもある。しかも、彼女は着痩せするタイプだ。慎ましやかと見せかけてまさかのスタイル。男のロマンしかない。
布団の向こうで那奈の舌打ちが聞こえた。
「このむっつりスケベが」
勇也が反論しようと布団をはいだ時、カラカラと音がして保健室のドアが開いた。そこから若干気まずそうに顔をのぞかせたのは、今うわさをしていた飯田蝶子本人だった。勇也はさしてスプリングがきいていないはずのベッドから飛び起きた。
「い、いいいいい飯田さん、なななぜこここここここへ」
蝶子はおずおずと近づいてきた。
「具合はどう? 先生から一応確認してくるよう言われて」
「もちもちもちろん元気であります! 心配無用、元気百倍。あ、いや、でもけっしてサボっているわけじゃ」
ああ、そういえばなんとなく腹が頭痛を起こしてめまいが。わざとらしく勇也が腹をおさえる。那奈が冷たい目線を送ってきた。
蝶子は戸惑っている表情だった。
「そ、そんなに悪くはなさそうね。先生にはもう少し休んでるって伝えておくわ。もし早退するなら早めにね。お大事に」
「あの」
そそくさと去りかけた蝶子に、思わず勇也は声をかけた。
「今朝は突然ごめん。でも、俺の気持ちを知っててほしくて」
「ううん、いいの。ちょっと混乱したけど」
「わかってるよ。だから今度また改めて、落ち着いた頃にもう一度……」
「あ、あの」
蝶子は引きつったような笑顔を見せた。
「今は那奈ちゃんが聞いているし、その話はちょっと」
「え、那奈? ああ、こいつなら気にしなくていいよ」
「そういう意味じゃ」
蝶子はなにやら言いかけたが、首を振って口を閉ざした。顔に「こいつ話通じない」と書いてある気がしたが、見間違いだろう。
「そうだ、飯田さん。今度一回だけ俺とデートしてくれない?」
勇也の誘いに蝶子は目を丸くし、黙って聞いていた那奈が眉をひそめた。
「あの、緋色くん。今朝も言ったけど、わたしあなたと付き合うつもりは……」
「うん、今はそうだよね。でもデートしてみたら、俺は案外いいやつかもよ? 返事はその時まで保留にしてよ、ね?」
「……なんで緋色くんってそんなにしつこ、いえ、打たれ強いの?」
今別の単語が聞こえた気がしたが、聞き間違いだろう。
「俺、すごく惚れっぽいんだけどさ」
「ええ、知ってる。みんな知ってる」
「うん。だけど、一回一回の恋を大事にしたいんだよね。どんなきっかけでも、どんな終わりでも、相手を好きになったことに一片の悔いも残したくないし。心残りがあると、次の恋にも進みづらいしさ。それに俺、好きになった人には全力で当たっていかないと失礼だって思うんだ。惚れたからには、俺の気持ちを理解してほしいし。俺こんなんだから、本当に好きなのかって疑われること多いし」
語ってから、勇也は思わず笑った。
「だからよく那奈に怒られんだよね。あきらめが悪いのとしつこいのを履き違えるなって」
蝶子はしばらくの間、勇也をまじまじと見ていた。そんなに見つめられると照れてしまう。
勇也が自惚れた言葉を発する前に、蝶子が口を開いた。
「緋色くんは、絶対百パーセント一ミリも脈がない相手にも一度は告白するって聞いたけど」
「う、うん……」
「でも、言われてみればそうよね。当たって砕けたあとよりも、どうやって当たっていくかが肝心よね。やらずに後悔より、やって後悔の方がもちろん……」
「……飯田さん?」
勇也が呼びかけると、蝶子は「決めた」と叫んだ。いつになく瞳が強く輝いている。
「わたしも思いきってぶつかってみるわ。一片の悔いも残さないためにも、自分の気持ちに整理をつけるためにも」
「お、おお」
突然の宣言に面食らったものの、すぐに勇也は自らもこぶしを握って答えた。
「いいと思うよ! 俺は飯田さんの整理がつくまで、いくらだって待つつもりだし。あ、でも手くらいは繋いでも──」
「それじゃあお大事に!」
話の途中で、蝶子は保健室を飛び出していった。勇也が唖然としていると、那奈がまたしても鼻で笑った。
「はい、これで今回の恋もジ・エンド」
「な、なんで……」
「さあね。明日にでもなりゃわかるでしょ」
翌日、勇也の目に飛び込んできたのは、知らない男と仲睦まじく登校してくる飯田蝶子の姿だった。いつになく頬を紅潮させて微笑む彼女の目線の先は、よく見ると一学年上の生徒会副会長だった。長身のイケメンで、女子からの人気はかなりのものだ。そんな彼がなぜ蝶子と親しげに歩いているのか。
「蝶子ちゃん、委員会会議で会ってから、ずっとあの人に憧れてたんだって。よかったじゃん、勇也。あんた恋のキューピッドだよ」
那奈がからかうように言い、勇也の肩をぽんぽんと叩く。たいした力ではないのに、膝からくずおれそうな感覚に陥る。
好きな相手に自分の気持ちを訴えたつもりが、恋のアシストをしてしまうとは。しかも結果は大成功ときている。
もはや他人が目に入らないのか、蝶子は勇也に気づきもせず生徒会副会長の彼と廊下の奥へ消えていく。ちらりと見えた横顔は、どこまでも幸せそうだった。
まあ、いいか。惚れた相手が幸せなら、自分もまた幸せだ。勇也はそう自分を納得させた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます