恋愛勇者の運命探し

うさぎのしっぽ

妹系

「好きです、妹尾甘李せのおあまりさん。俺と付き合ってください……!」


 夕暮れ時の校舎。校庭から聞こえる野球部の掛け声。ひとけのない廊下。オレンジ色の光が射し込む教室の片隅。

 シチュエーションは完璧だった。女子が喜びそうなロマンチックな演出。これでこの告白は成功したも同然。そう思っていた。

 だが。


「ごめんなさい」


 返事はまさかのノーだった。

 緋色勇也ひいろゆうやは愕然とした。


「な、なんで」


 たった今振られた相手に理由を聞くのは、あまりよろしい行為とは言えない。相手も眉を寄せて若干困った表情だった。

 甘李はぶかぶかのカーディガンの袖で口元を隠しながら、瞳を潤ませた。あざとい仕草とわかっていても、庇護欲をたまらなくそそられる。


「だって、あまりんまだ男の子と付き合うとか考えたことないしぃ。ちょっと怖いかも」

「怖くないよ! 俺が手取り足取りリードするから。妹尾さんは全部俺を信じて託してくれれば」

「あまりん、きみと喋ったことないしぃ」

「これからいっぱい話せばいいんだよ!」

「それにぃ」


 甘李はつやつやと輝く唇に人差し指を当てて、小首をかしげた。


「きみ、誰だっけぇ?」


 緋色勇也、十六歳。高校二年生。恋多き男。人呼んで恋愛勇者バカである。






 今日のできごとを幼馴染に聞かせたところ、鼻で笑われた。


「ほら、だから言ったじゃん。絶対に振られるに決まってるって」


 小山内那奈おさないななは、勇也の部屋にあったポテトチップスをつまみながら言った。勇也が自分の机に突っ伏しているのをいいことに、ちゃっかりベッドを占領してうつ伏せに転がっている。おまけに勇也が愛読しているマンガも勝手に拝借していた。足を空中でぶらつかせているせいで、部屋着のワンピースが捲れて際どいところまで見えているが、二人ともまるで気にならなかった。子どもの頃、一緒に風呂だって入った仲だ。裸を知っているのに下着でギャーギャー喚けなど、到底無理な話である。


「大体なんでイケると思っちゃったかなー。話したこともないくせに」

「話したよ。一昨日ノートの回収する時、ちゃんと目を見て話したもん」

「それ、回収します、ありがとうで終わるやつじゃん。会話のうちに入らないでしょ」


 小バカにした物言いに、たまらず勇也は反論した。


「目が合った瞬間俺にはビビビッて来たんだよ。今までは同じ教室でも、近くで見たことなかったし」

「にしたって、同じクラスなのに名前も覚えられてないとは思わなかったわ。ま、ドンマイ」

「慰め方が雑なんだよ!」


 涙でぐしょぐしょだろう顔を上げて抗議するも、那奈はケラケラ笑っていた。


「振られんのは慣れてるでしょ? 先週は三年の先輩にも玉砕してたし、その前は他校のミスコン優勝者だっけ? あ、違う。一年の弓道部の子だ。あれ、教育実習で来てた大学生はいつだったかなぁ」


 ここ数ヶ月以内に勇也が当たって砕けた相手を列挙し、那奈は呆れたように息を吐き出した。


「月イチペースで惚れて振られてを繰り返してりゃ、誰だってまたかって思うわよ。しかも望みの薄い相手ばっか」

「今回はいつもと違う。絶対に運命だって思ったんだ」

「うん、それ前回も前々回も聞いた」

「妹尾さんは確かに男子に人気があって、俺には高嶺の花かもしれない。でも、誰もがそうやって手をこまねいているからこそ、妹尾さんはものすごく純粋でうぶなところがあるんだよ! あれだけ可愛くてモテる子が、男子と付き合ったことがないから怖い、とか言うんだぜ?」


 改めて勇也は、妹尾甘李のことを思い出す。丸くて大きな少し潤んだ瞳。スベスベの肌に桃色の頬。ぷるぷるとつややかな唇。ふんわりしたウェーブを描く、ココア色の髪。実際、彼女からはココアのような甘い香りがする。校内「妹にしてめちゃくちゃに甘やかしてやりたい女子」ナンバーワンに選ばれただけあって、そっと隣に来て甘える時の小動物のような可愛らしさは、家宝を差し出してしまいかねない。恥じらいのはの字も知らないような誰かさんとは大違いだ。愛くるしいベビーフェイスながら、抜群のプロポーションを誇るギャップもいい。

 誰かさんはふてくされたように言った。


「どうせわたしのはちっちゃいもん」

「なにが?」

「別に」


 那奈は塩がついた指先を舐めながら、憐れむようにつぶやいた。


「あーぁ、バカだね、男って。あんなあけすけな演技に騙されちゃって」

「なんだって?」

「いいえぇ、なぁんでもぉ」

「絶対なんかあるやつじゃん。ってかおまえ、俺のポテチ全部食ったろ!?」

「えー、おっかしいなぁ。そんなに食べた気しないのに」

「うわ、マジかよ」


 勇也がこっそり隠しておいたポテトチップスは、わずかなカケラすら残っていない。那奈は悪びれた様子もなく、再びベッドにごろりと寝転ぶ。仕方なく勇也がカラになった袋をくしゃくしゃにし、そのままポイッとゴミ箱へ投げた。袋はゴミ箱のふちに当たり、床に落下する。それを見て那奈がケタケタと笑った。勇也は今度は立ち上がり、しっかりゴミ箱にインした。

 自分もベッドの隅に腰かけて、勇也はぼんやり甘李のことを考えた。


「今頃妹尾さん、なにしてるんだろ」

「さあね。遊んでると思うけど」

「女の子同士で可愛いカフェで可愛いスイーツ食べて可愛い会話してんのかなぁ。あー、俺も交じりたい」


 ほんわかした光景を思い浮かべ、勇也は一人にまにまする。対し那奈は、冷めたような表情だった。


「そんな可愛いじゃないと思うけどね」


 含みを持ったような言葉は、勇也の耳には届いていなかった。






 妹尾甘李が停学処分になったのは、それから数日後のことだった。ホテルから出てくるところを、巡回中の警察官に見つかって補導されたらしい。一緒にいたのは、SNSで知り合ったという五十代くらいの男性だという。親子ほど歳の離れた二人が、普通の関係であるはずもなく。

 それから一ヶ月と経たず、甘李は自主退学した。最後に教室の荷物を取りに来る彼女をちらりと見かけたが、仏頂面で大股で歩く姿は、とても以前の彼女と同一人物とは思えなかった。少し太ったようだし、肌にはいくつもの吹き出物が浮いている。すっぴんははじめて見たが、詐欺レベルのメイク術にはむしろ関心した。ココア色の髪は健在だが、ボサボサに広がってかなり傷んでいる。目が合った際にギロリと睨まれた時には、殴られるのではないかと内心ビクビクしていた。


 今まで甘李をお姫様扱いしてきた男子たちが一斉に遠ざかって道をあける様は、なかなか異様だった。少し前までは、甘李が重い荷物を持っているものなら、我先にと駆け寄っていたはずなのに、誰も近づこうとしない。

 女子はもっとあからさまに、甘李が通り過ぎると声を潜めもせずに甘李の影口を叩いていた。妊娠したとか、男に騙されてヘンなDVDに映ってしまったとか。噂をする女子たちは嬉々としていて、中には勇也が過去に恋をした女子も混ざっていた。


 女子の外見が必ずしも内面と合致するとは限らない。そう学んだ恋愛勇者だった。


「そういや那奈、最近ずっと牛乳飲んでね?」

「関係ないじゃん」

「まあ、いいけど。身長でも伸ばしたいの?」

「……牛乳飲んだら、大きくなるって聞いたから」

「だから身長が、だろ?」

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