24歳、

5

 私は今日覚悟を持って弟に会いに行く。


 仕事終わり、必要最低限の荷物を詰めたキャリーバッグを引きながら、メッセージアプリで送られてきた住所を訪ねた。インターホンを押す前に透に電話をかける。


「今着いた。マンションの下にいる」

「開けるよ」


 その声に合わてエントランスに繋がる自動扉が開く。足を進めてマンション内に入ると後方でゆっくりと扉が閉まった。

 もう後戻りはできない。透の声が頭の中に響く。踏み入れてしまえば地獄へのカウントダウンが始まる。

 違う。誰かに理解されないことなど、人から軽蔑され後ろ指をさされることなど、問題として取り上げる価値もないのだ。

 私はこの6年をかけて何が本当の地獄なのかをようやく理解した。


 玄関の扉を開ける。透はそこに立っていた。


「足、捻挫してるんでしょ?」

「覚悟はしてきた?」


 私の言葉を無視して透は不敵に笑う。

 覚悟、覚悟……?私がきょとんとした顔を見せると、透は子供を見るような目で笑った。


「俺から逃げないで。もう、ずっと。ここが地獄だとしても」


 私は思わず笑う。透はちっともわかっていない。


「私にとっての地獄は透がそばに居ない世界だったよ」


 私たちの愛は責め苦を受けているようだった。愛は喉を掻きむしりたくなる程に深い深い苦しみを伴ってきた。それでも離れている方が余程の苦しみだったのだ。身を引き裂かれるほどの痛みだった。

 時間も治してくれなかった。他の人など到底無理な話であった。ジュクジュクと膿んだ傷痕は瘡蓋が出来るたびにまた掻きむしり、どろりとした血を流す。身体はもう治すことを諦めてしまっていた。


 唇が磁石のように引き寄せられ静かに合わさった。私は透だった。透は私だった。


「本当にバカだな。救いようのない馬鹿だ。どうして普通の幸せを手放すの」


 透の瞳にはうっすらと透明の膜が張っている。それは愛だ。


「うん……そうなんだよ。馬鹿なんだよ。だからいまだに血の繋がった弟を忘れられなくて、大切な人を傷つけて、それでも私は、一緒にいたいの……透と2人で生きていきたい」


 私の瞳からこぼれ落ちたそれも愛だ。


「そんなの、俺だってそうだ。ずっとだ、初めてあなたを見て、あなたに赦されたあの瞬間から、俺にはあなただけだ」


 愛を多分に含んだ瞳が優しく細められる。


「……かすみ、2人で逃げようか。全て捨てて、2人で」


 衒いも駆け引きもない、ただの言葉だった。罪悪感もなければ周りへの配慮も社会人としての自覚もない、身勝手な言葉であった。


 しかし私には救いであった。救いだったのだ。

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