24歳、

4

 3ヶ月にも渡るblendsのデビュー6周年ツアーは大盛況の内に幕を閉じた。

 その間、瑞樹くんが自宅に帰ってくる度に私たちは表面上なにも変わることなく、じゃれあい、愛を囁き、体を繋げ、2人の時を過ごしていた。

 ツアーが終わったらきちんと話そう、と思いながら瑞樹くんの優しさに絆され、心地よい愛に浸かってしまう私に目を瞑った。


 今日、瑞樹くんが最終公演を行った地方から帰ってくる。あとは寝るだけの状態の私は寝室には行かず、リビングで瑞樹くんを待った。


「ただいま」


 夜遅いということもあり、控えめに発せられた瑞樹くんの声がする。


「おかえり」


 私も倣って同じ程度の声量を発すると「起きてたんだ」と意外そうな声が返ってきた。


「うん、待ってた」


 長いツアーが終わって落ち着ける自宅に帰ってきたと思ったら、別れ話が待っている。しかも寝耳に水の別れ話だ。

 そんな瑞樹くんを思うと明日の方がいいのかもと考えたのだが、引き延ばすほど躊躇いが出てきそうで、結局私は自分のために今夜話すことを決意した。


「あ、お母さんから聞いてる?」

「ん?なにを?」

「……いや、透くんが捻挫したって話」




 6年ぶりの電話はスマホを持つ手すら震えさせる。


「姉さん?」


 少し長めの呼び出し音の後に聞こえた透の声は戸惑いと驚きに満ちていた。


「突然ごめん……。捻挫したって聞いて」


 誰にとは言わなかった。


「あぁ。でもそんなに酷くないよ。2、3週間安静にって感じじゃないかな?」

「うん……病院には明日行くって?」

「そう。マネージャーが連れて行ってくれるから」

 

 それは暗に私を遠ざけようとしているように聞こえた。


「明日、仕事が終わってから家に行ってもいい?」

「待って。なんて聞いてるのか知らないけど、本当にそんな大した怪我じゃないから」

 

 それは明確な"来るな"という意思表示に他ならなかった。


「行きたい。透のところに行きたいの」


 私の切羽詰まった言葉が透の心を揺さぶったのだろうか。


「……わかった」


 ため息を吐きながら、それはもう渋々といった様子で、それでも透は受け入れてくれた。


「だけど、」


 透は言葉を繋げる。


「覚悟をして。俺に会いにくるということが、どういった意味を持つのか」


 覚悟をしておいで。その言葉を残し、電話は切れた。



 覚悟。その言葉を反芻していると、瑞樹くんがお風呂上がりの体に水を流し込みながら私の顔を覗き込んだ。


「なに考えてるの?」


 疲れているであろうにニコリと微笑んだ瑞樹くんの顔は、微塵も疲れを感じさせない。艶のある唇が私を誘うように弧を描いた。


「あ、いや……」


 いよいよ私は覚悟を決めて瑞樹くんにさよならを言わなければいけない。


「もしかして、透くんのこと?」


 言い淀んだ私に被せるようにそう発言した瑞樹くんの唇はさらに深く弧を描く。隙間から見える形の整った歯はこの場に相応しくなかった。

 私の真意を探ろうと細められた目の奥に、嫉妬に燃える緑の炎が見える。

 私はこの人を今から傷つける。それも一種の覚悟だろうか。


「透のことというか……私たちのこと。別れたい」


 瑞樹くんの顔から目を逸らさない。それが唯一できる私なりの誠意であった。




 「別れたい」香澄さんのその言葉に俺は意外なほど冷静だった。きっとそれはここ数ヶ月の間に感じた些細な違和感のせいだろう。

 

 合コンに行った日の夜だろう。

 俺は合コンに参加すると言った香澄さんに呆れていた。だけど、そこに嫉妬や焦燥などはなかった。ただ、香澄さんの俺への扱いの雑さと無神経さに呆れていたのだ。

 なぜ嫉妬や焦燥感を感じないか。それは香澄さんが俺以外を選ばない自信があったからだ。これは自惚れでもなんでもなく、紛れもない事実だ。

 香澄さんは自分でも気づいていないだろうが、だけど彼女の中には明確な基準があった。

 それは透くんかそれ以外か、ということだ。唯一無二が透くん、その次に透くんと関わりのある男、つまり俺の存在がここだ。そしてそれ以外。

 だから透くんとなんら関わりのない男が参加する合コンなんて心配などしていなかった。

 俺から香澄さんを奪っていく可能性がある人、それは黒岩透、ただ一人だけだという確信があった。

 

 だから香澄さんの心が離れたな、という雰囲気を感じとった瞬間、それは必然的に透くんとなにかあったな、ということになったわけだった。


「どうして?透くんとなにかあった?」


 俺はその言葉が香澄さんと俺自信を追い詰めると知りながら、避けることは絶対にしなかった。したくなかった。

 狡くて弱い香澄さん、最後はどうかその手で介錯をしてください。それが俺の望みだ。


「……なにかあったわけじゃない。ただ好きなの、そばにいたいの」

「血が繋がった実の弟なのに?」


 俺は今どんな顔をしているのだろうか。大切に育てた恋が死んでいく。俺の手で花を手折り、枯らしていくしかないのだ。


「そうだよ。私は弟の透が好き」


 言い切った香澄さんは俺とは対照的に晴れやかだった。枯れていくしかない恋と今からも大切にされるだろう恋。惨めだ。すごく、惨めだ。


「……そう。誰にも理解されない、認めてもらえない。全てを失うかもしれないよ?それでも?」


 あなたはどうして確かにあった俺との幸せを手放すことができるのだろうか。


「それでも。私が透と一緒にいたい」


 揺るがない、芯の強い瞳。俺との恋の中で揺るがないものはあったのだろうか。


 俺はあなたみたいな八方美人の優柔不断な人が大嫌いだ。誰かの気持ちを考えているフリして本当は自分の気持ちを守ることばかり。それなのにどうしてこんなに好きになってしまったのかな。

 あなたにとって透くん以外はみんな等しく同じだよ。俺じゃなくても、例えば仁くんや智宏くんでもあなたは好きになって縋ってた。たまたま距離を縮めるのが早かったのが俺だったってだけだ。あなたにとっての特別は透くんだけなんだよ。


 言いたかったことは結局言えなかった。


「もう疲れた……。透くんと2人、どこへでもいけばいい。ここじゃないどこかで幸せになって」


 嘘だ。俺じゃない誰かと幸せになんてならないで。この先あなたが一生不幸ならそれでいい。

 そしてその不幸の狭間で俺との幸せを思い出してほしい。そして俺を呼んで。

 そうしたら俺は全て忘れてあなたの元へ飛んで行くから。不幸から掬い上げるから。

 だからどうか、幸せにならないで。

 

 これは呪いだ。俺からの最後のプレゼントだ。

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