24歳、see you in hell

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 香澄さんからオススメされた漫画を空き時間にスマホで読んでいると、「あ、それ話題のやつだ!」とからりとした明るい声が後ろから聞こえてきた。

 

「近い!」


 手元を覗き込む智宏くんの顔が思ったより近くて、驚きに身を捩った。


「あぁ、ごめんごめん」


 本気で思っていないような軽い謝罪と共に椅子を引いて俺の横に腰を下ろした智宏くんが、また手元のスマホを覗き込む。


「撮影早かったね。次は透くん?」


 漫画を気にしている智宏くんの気持ちには敢えて触れず、俺は仕事の話を振った。デビュー6周年を間近に控えた俺たちは、今日だけで雑誌媒体の取材が10件以上入っていたのだ。


「そうそう。次が最後の取材で、それが終わったらライブの打ち合わせね」

「……ねむいっ!!」

「ならそれ読んでないで寝なよ」


 ごもっともだと思ったが、白熱の展開にスワイプする手が止まらないのだ。


「それも香澄さんのオススメ?」

「まぁ……」

「もう2年だっけ?」

「8月で2年半だね」

「……そんなになるかぁ!」


 智宏くんは懐かしむように目を細めた。

 あの日、俺が香澄さんの特別になってからそれだけの時間が過ぎていた。変わったこと、変わらないこと、それぞれにあるけれど、根っこの香澄さんを想う気持ちだけは唯一揺るがないものだった。


 疲労困憊な身体を引きずりながら自宅玄関の扉を開ければ、パタパタとスリッパを鳴らして香澄さんが出迎えてくれた。


「おかえり!お疲れ様」

「ただいま」


 このやりとりにもさすがに慣れたはずなのに、たまにくすぐったくなって照れてしまうのだから、俺は重症だな、と思う。




▼▲

 付き合ってすぐ、俺は事務所所有のマンションから退去することを決めた。元々デビュー4周年が過ぎたらそうしようか、とメンバーで話し合っていたこともあるが、なにより香澄さんとの逢瀬に2人が同じマンションに住むということは絶対条件だった。

 セキュリティが厳重な物件は比例して家賃も高い。香澄さんの懐事情を勝手に心配し、「俺が家賃払うから」と引っ越しを提案すると香澄さんは、失敬なやつだな、と言わんばかりの冷めた目を俺に向けた。


「そんなことまでさせられない。でも瑞樹くんに私が住んでるマンションに引っ越ししてきてもらうのも、無理だしねぇ」


 確かに、悪いとは言わないが香澄さんの住むマンションは芸能人が住むにはセキュリティが多少心許なかった。


「……!じゃあ、一緒に住みますか!」


 名案だ!というかこの選択しかない!と俺が閃いたままを言うと、香澄さんは目を丸くした。情報を処理しきれず固まったままの香澄さんに俺は追い討ちをかける。


「ご両親にも同棲の挨拶をさせてくださいね」


 我ながらアイドルよろしく、必殺スマイルを献上できたと思う。香澄さんは目を白黒させながらも、頬を染め、少女のように微笑んだ。



 善は急げと、俺の仕事が比較的早く終わる日に香澄さんの実家へ同棲の挨拶をしに行った。

 香澄さんのご両親、特にお母さんは本当に喜んでくれて、俺はまた香澄さんを幸せにする覚悟を強くした。


 

 メンバーにも付き合ったことと同棲をすることの報告をすると、仁くんは「まじでバレないようにしろよ」と釘を刺しつつ、智宏くんは「同棲!うらやましい!」とおちゃらけつつ、祝福してくれた。

 透くんは「幸せにしてあげてね」と結婚の挨拶に対するような返答をしてきた。俺は「必ず」とだけ返す。

 透くんの瞳は地獄の淵でも見ているのだろうか。熱をなくした無機質な瞳が微かに揺れていた。

▲▼


 あれから2年以上だ。「おかえり」と「ただいま」にこそばゆくなるなんて、童貞の中高生みたいだろ。





 作ってくれた料理を「うまい!うまい!」と頬張っていると、ガラスコップに入ったお酒を持った香澄さんが俺の横に着席した。

 香澄さんの雰囲気になにか言いづらいことがあったな、と直感的に気づく。ちらちらとこちらを窺う素振りを見せつつ、お酒をちびちびと飲むばかりで一向に話し始めない香澄さんを見て助け舟を出す。


「なにー?なんか言いたいことがあるだろ」


 バレてたか、とばつの悪そうな顔をした香澄さんは「うん」と頷いた後、ぽつりと言葉を落とした。


「……合コン行ってもいい?」

「…………え?合コン?」


 思ってもみなかった単語に時が止まる。香澄さんは疑問系で言ったが、尋ねるというよりは決定事項の報告のように感じた。

 俺の怪訝な表情に焦ったのか、香澄さんはつっかえながら話し始めた。


「なるほどね。つまり後輩に頼まれて断れなくてってこと?」


 なにがなるほどなのか。微塵も納得していないが、話しを聞いた俺は、なるほど、と相槌を打った。


「うん……。彼氏いるって言ってない私を、何回も熱心に誘ってくれてて……断るのも心苦しくなってきて……」


 香澄さんのことだから他意はないのだろう。それはわかっている。わかっているけれど。


「一回だけ参加して、やっぱり合コンは苦手ってなればもう誘ってこないかなって」


 浅はか。短絡的。八方美人。香澄さんの可愛くて、そして憎らしい一部だ。

 

「まぁ、いいんじゃない?」


 強がり。意地っ張り。虚栄心。俺の根本は歳を重ねても変わっていない。


 俺の隠された気持ちに香澄さんは気づかない。その証拠に話を額面通りに受け取って、安堵のため息を吐いている。

 俺だって狡い。香澄さんを失いたくなくて理解のある彼氏のふりをしているのに、鈍い香澄さんに腹を立てている。気づかれないのも当たり前だ。だって俺が隠しているのだから。


 香澄さんは鈍いのか鋭いのか。この人はどんなことをしても俺が好きでい続けると思っているのだろうか。

 まぁ、否定できないのが情けないところなんだけど。


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